6組 (細谷 愛子) |
実生のセンダンの樹の枝が、いつにない酷暑の庭に厚味のある緑の影を作ってくれている七月です。ゼラニウムの紅も、グラジオラスのピンクも埋めつくす程に、今年も生い繁ってしまった雑草に吐息をつぎ乍ら、七年前の夏がそこに戻って来たような幻覚にとらわれます。
主人が発病したのは四十九年六月でした。いえ、正しくはもっとかなり前なのかもしれません。”ものを飲みこむと胸が痛い” 二十数年前結核の前歴のある主人は、ほんの二ヶ月前受けた定期検診も無事に通っていたのであまり心配はしていない様子でした。検査の結果は表向き「食道の小さな潰よう」。病院を尋ね、いい淀む先生から絶対に態度に表わさないことを条件に、食道ガンの宣告を私一人だけがきいたのでした。どこをどんな顔で歩いて帰ったのか覚えては居りませんが、主人にも家族の誰にも真実を知らせてはならないと呪文のように自分に言い聞かせながらも夢をみている様な現実離れした気持でした。 漢方薬、アロエ、熊笹のエキス、しいたけのエキス。ひそかに本屋で、薬店で漁った知識の限り、効くというものはいろいろな名目でのませました。片柳様をはじめ十二月クラプの皆様からもお心のこもった数々のアドバイスをいただきました。でも、その飲むということが苦痛の病人にとってそれは容易な作業ではありませんでした。 すぐに入院させなくてもベッドが一杯で少し待つ様に言われ、そのいらだちを自分の胸一つにしまっておくことの息苦しさをまぎらす為に、手入れをする人のないまま庭を覆った雑草を炎天下に気が狂った様にむしる日々がつづきました。暑さも蚊に喰われるのも気づかない程、あとからあとからあふれて来る涙をしたたり落ちる汗にごまかして拭い乍ら……それはきっと異常な姿だったかもしれません。 やがてコバルト照射の為の一日おきの通院がはじまり、信濃町の駅から慶応病院へ渡る横断道路のアスファルトに八月の太陽の照り返しが陽炎となって揺れ、燃える様なサルビアとマリゴールドの花壇の土が白く乾いていたのをはっきりと覚えています。積乱雲がビルの彼方に消え、赤い羽根の募金の立つ日入院しました。四階の窓際のベッドから茜色の夕焼の中にくっきりと見なれた黒い影を浮び上らせる冨士山。そして欅の木が日に々々色づき、何百何千ともしれぬ鳥の大群が神宮の森へ帰ってゆくのを一しょに眺めた晩秋。そして、不安な木枯しの冬ーー 転移があり手術が不可能との結論が下され頼みの放射線も殆ど何の効果もなくて退院を余儀なくされたのはその年の暮も押しつまった頃でした。 二十四時間頭の中を占めていた亡き人のことが、いつしか半分になり三分の一になり、忙しい毎日のあけくれに一日中想い出すことのない日があったりする自分が責められます。でも日夜考えて涙に浸っている私をみるよりは子供や孫達に囲まれ自分の仕事に積極的に生きてゆく姿の方を喜んでみていてくれるものと信じて居ります。 |
卒業25周年記念アルバムより |