6組 山本 孝次 |
九年前の続編として、 四七年春、二人の孫の誕生と前後して、女房が乳ガンの手術をしたが、意外に回復が早く、元気に孫の面倒を見る様になった。 四九年七月から五〇年末迄、ガンの再発、コバルト照射、それに伴う肺真菌症の為入退院を繰り返し、この間女房の在宅率三五%。 五一/二年は平穏無事に過ぎた。私は五一年同一コンペでの優勝を四回記録し、労働組合との停年延長交渉において五七歳ピーク説の根拠とした。 五二年秋、四人目の孫(始めての男)が生れた。 五三年夏、ガンの再発はもう無いだろうと思った矢先、女房が突然倒れた。検査の結果は転移による脳腫瘍で三ヵ月はもつまいとの診断である。 医者である女房の弟の懸命の努力によって半年間もたせた。段々と手足が利かなくなり、言葉もさだかで無くなって行くのを見守った。 三五年の結婚生活の内、サービスの悪かった前半二八年の借りを、後半七年で返したつもりである。(彼女は抽選で当った都営霊園に眠っている) その後は結婚した娘又は息子の嫁に大いばりで晩メシの仕度をさせて、優雅な独身生活を送っている。 即ち昼の部では年金年齢迄あと三年、少しでも世間様のお役に立ち度いと頑張り、休日の部では樽・折下君他にチョコレートを進呈し乍ら、テイショットの快感を味い、夜の部では戸辺君の心配をよそに、篤志家の協力を得て晩学乍らビタミンEの効用の研究に取組んでいるのである。 |
卒業25周年記念アルバムより |