6組  渡辺 健二

 

 我が国では目下教育が大きな問題の一つとなっています。その一環として、大学の在り方も色々と問われています。

 このような中で、四十何年前を振り返って見て、勿論、当時と事情は非常に異っていますけれども、そして、準戦時、戦時体制下と云う異常な時代ではありましたけれども、一橋と云う、実にいい大学で、予科、学部を通して、実にいゝ教育を受け、楽しい有意義な人生の一時期を過させていただいたものだと、当時を懐しみ、心の底から有難いと思っています。このような学校に籍を置き、よき教育を受けさせていただいた両親、並びに当時の国民の皆さんに対しく、心から感謝の念を禁じえません、これもただ単に歳のせいからだけでせうか。

 そこで身につけていただいた物の見方、考え、生き方は、激動の時代、波乱の人生を生きた私にとりまして、本質的な影響を与え、大きな支えとなって来たと思います。それは、物質的な、世間的な、或いは所謂功利的な意味においてではなくて、精神的な、内面的な意味においてであります。単に昔を懐しむと云った気持からだけではありません。

 それは教室の中、外、多くの学友や、とくに予科時代の寮生活、ゼミナールと云った風のものを含めた、今で云うキャンバス生活においてです。
 とくに寮生活では、今は当時とがらりと変ってしまった武蔵野の真唯中で、初めて出来た一橋寮で、初めて親元を離れ、初めて一個の独立した人格として、何の屈託もなく、のびのびと、時に行き過ぎもありましたが、ストームに、記念祭に、スポーツに、野狐禅にと、大いに青春を爆発させたと思います。私の場合一寸爆発させ過ぎたと思いますが。

 また教室の面では、とくにこれも予科時代あの粛園事件を契機として、上田貞次郎先生がわれわれの要望を容れられて、学制改革を断行され、予科コースにおける教養過程の一層の充実のためにと、自ら足を運ばれて、牧野、久松、丘といった錚々たる天下の碩学を、我々若造のために招かれたことです。私はこれらの先生方と、三浦新七先生などのご講義から非常な感銘を受けたもので、以後の私にも何らかの大きな影響を与へているものと思います。

 この四十年の間に、多くのクラスメートが、戦火の中で、或いは病床などで、鬼籍の人となられました。私は幸いにして、今日まで、まあ健康に恵まれ、酒で多少人生を狂わした面もありましたが、遅まきながら、これも最近断ち、我なりに、幸せだと思う生活を送らせていただけるようになりました。これまで各方面、十二月クラブにも非礼を重ねて来ましたが、この機会に、心からお詫び申し上げるとともに、益々体を大切にしなくなった多くの学友のためにも、少しでも世の中の為になるような余生を送るようにしたいと思っています。

 一橋のこのようなよきクラスメートに囲まれて、私は幸せです。十二月クラブの諸兄、少しでもこれまでの償いをいたしますから、今後ともよろしくお願いいたします。  合掌

 



卒業25周年記念アルバムより