7組 魚本藤吉郎 |
卒業後四十年といえば正に一応の区切り、お互いに還暦も過ぎ、一寸振り返って見る時かもしれない。考えれば大変な時代を生きて来たものだ。悲しいこと、残念なことも多い。いやそればかりが記憶に残っている。亡友やその御遺族のお嘆き、またそれぞれに家族の御不幸もあろうし、自分にも何もないわけではない。 「四十周年」を祝ってみたい気がするが、これらの痛恨事を考えれば、素直に祝いにくくもある。しかし、生き残った者にはまたそれだけの責任があろう。卒業してお互いそれぞれの途を歩んだが、今、時に集って歓談すれば四十年若返る。これは人生の大きな喜びの一つであろう。励し合ったり、慰め合ったりというよりも、とにかく「やあ、今日は」と話合うだけで命の洗濯になる。十二月クラブはそれだけに有難い。 小生も卒業以来いろいろのこともあり、またいろいろの所をさまよったものだ。これだけ激しい時代を経て来ただけに強烈な印象を受けたことも多い。南方戦線その他古戦場に「センチメンタルジャー二ー」をして感無量の諸兄も多かろう。 さきごろリスボン郊外エストリールの小生の戦時中の借家を訪れたところ、何と全ては昔のまま。そこへ一老人が現れて日く、「戦時中若い日本の外交官が住んでいたが、その一人は確かに貴方だった」と。これも驚きだったが、かつて名将ロンメルとモントゴメリーが「砂漠の決戦」として死闘し、当時その状況を報告させられたがアレキサンドリヤ西方のエル、アラメインを訪れ、砂の白さと紺碧の海に絶句したし、また現在の日ソ関係の原点をなすヤルタ会談の会場、スターリンの生家(ゴリ)を訪れて感無量だった等々考えれば尽きない。 しかし、現在はモスクワにいる身だから、ソ連について時に感ずることを一つ二つ申上げてみたい。 まず何よりもソ連は大国だということだ。日本の六十倍とか世界の六分の一とかいってもぴんと来ないが、三〇〇キロにも及ぶ大洋の如きカザフの麦畑に立ったり、二五キロのモルダビヤのリンゴ園の中を車で通過すると若干実感がわく。しかも科学と輸送機関の発達で開発可能となった資源大国の実力が出るし、また軍事科学の進歩による広大な国ほど安全度も高くなった。 「ソ連は軍事力だけだ」という人がいるが、なかなかもって、科学技術の進歩も相当なもので、米国と共に世界の将来に重大な影響を与える大変な国だ。共産主義経済の限界も云々されるし、確かに幾多の共産主義体制の基本問題も出始めたが、低成長期に入ったとはいえ常にプラスを続けて来た経済成長も見落せない。超安定政権下の「長期計画」の国だし、レーニンの教えに従って「明治維新」のような気迫、気風の漂う面もある。土に密着した国民の愛国心は強烈だし、国民の無類の辛抱強さ、耐乏力は正に驚くべきものがあり、まあ挙国一致の戦時体制と思った方が解りやすい。日本ではソ連のいろいろの面をとり挙げた派手な表題の本も出ているようだが、「冷静な判断」が必要だ。 これがわが隣国。そして当然、善隣友好の関係を持たねばならないが、御承知の懸案である。北方領土問題。容易ならぬ。長期の覚悟が必要であろう。マスコミの一時の反応や国内政治や一内閣云々の問題ではない。評価は後世の史家に委ねるべきものだ。 「日本も頑張るようだが、国民のねばり、辛抱強さについてはわれわれは負けない。それこそ低利で外国へ貸してもいいくらいだ」と、日ごろ笑わないグロムイコ外相が珍しく笑顔で静かにこう語ったが、これは「平和条約交渉のための対話のテーブルについてはいかがです」と小生が言ったのに対する正に本件について「歴史の証人」たるべき人物の言だ。これは日本を馬鹿にした言葉か、穏やかにソ連の覚悟を示したものか。 それにつけて、わが国論の不統一に考えさせられる時がある。鉄の言論統制の先方と対照的に、わが国は民主主義言論の華。それだけの強味はあるが、国の基本的外交政策については国論統一が望ましいのではないか。かつて日本人の愛国心は海外では有名だったが、伝えられる「ルポ艦」の如きは他の外交官に尋ねられても答えようもなく、世界中日本以外には考えられない。「工作されやすい近代日本人」というべきか、正に何をか言わんやだ。 どこの国も同じだと思うが、特にソ連に住んで痛感するのは相手に敬意を表される国でなければ馬鹿にされるということだ。軍事力だけのことを言っているのではない。経済力、文化もあろう、総合的なもので、立派な国、実力のある国ならそれだけ敬意を表されるであろう。 十六年もソ連に駐在し、永年外交団長をつとめた某国の某大使がさきごろ離任に当り、「ソ連は偉大な国だが、依然として自分には理解し難い国だ」と言ったが、相互理解というものは難しいものだ。 親、兄弟でも、また善意のみの友人の間にも誤解は起ろう。まして、国情が異り、それぞれの文化、歴史があるのだから、国と国との相互理解には気の遠くなるほど無限の努力の積み上げが必要であろう。しかもわれわれは次の世代へ難問を残すべきではない。第二次大戦中、「一体先輩達は何をしていたのか」と悲憤慷慨して論じたのもつい先日のようだ。 …等々考えていれば人生死ぬまで「リタイア」はあり得ないのではないかと感ずる。「余世」とか「熟年」とかいうが、これは「人生現役」の頂点ではなかろうか。 私は学生時代偉い先生に接する幸運に恵まれたが、就中、中山伊知郎先生には常に教えられること大なるものがあった。卒業後いろいろお話を承わる機会があったが、実は秘かに「当代世界一流の人物の一人」だなと痛感していた。 偉大な師や先輩や友人がおられると、難問にぶっかった時、「いま自分の立場にあの人がおられたらどうされるだろうか」と自問し、叱咤激励された気がして赤面することが多い。その中山先生が、いつだったか、「僕は諸君に負けないつもりだが、ただ一つ残念ながらどうにもかなわぬ点がある。それはほかでもない、諸君は僕より若いことだ」と言われたのを憶えている。 正に若さは無限の可能性を持つ。その若さを唯一の長所と思っていたわれわれも、どうやら四十年ばかり年を取ったようだ。人生その段階でそれぞれ生き方もあろうが、とにかく生きとし生ける限り一歩一歩己が道を進みたいものだ。そして時に集って「アッハッハ」と歓談したい。お互い健康に注意しょう。 |
卒業25周年記念アルバムより |