7組  河合 斌人

 

 先日、書斉を大掃除していたら、偶然にも室の片隅から、懐しい卒業アルバムが出て来た。ほこりをはらうのももどかしく、早速むさぼり乍ら頁をめくって、夜のふけるのを忘れてしまった。

 『昔は遠くなりにけり』とばかり、日頃は全くの多忙そのもの、相変らずの東奔西走で、文字通り過去のことなど顧みる余裕も無かったのが、この日だけは別人のようであった。

 井藤半弥先生やそのゼミナリステン達のこと、苦しかった剣道部生活のことなど、国立に通ったあの青春時代の想い出が、止めども無く、次々と呼び戻って来た。

 そしてアルバムの巻末にある卒業生一人一人の言葉が印象強く目にせまってくる。一体自分は何を書き残したんだろうか。不安でもあり興味は尽きない。やっばりそうだったのか。

 『一念を以てといはんよりは無念の念。向う処恒に無意識的に合理的に。両手を切らるれば足にて蹴り倒さん。足をも斬らるれば噛みつきても打ち勝たん』となっていた。

 いやはや、これは自分の文章ではないぞ。きっと誰れかの言葉を引用したに違いない。何故自分で思っていることを卒直に書いて置かなかったのか。今更後悔してもはじまらない。
 弁解ではないが、当時の自分の心境が解らないでもない。突如として決まった十二月への繰上げ卒業、そして十二月八日兵隊検査の最中に聞かされた太平洋戦争突入の大ニュースー激しく回転する世の中の動きーともすれば自分自身がどこか遠くへ押し流れて、自分自身を見失って了いそうになった。

 確りしなければならない。心をひきしめて自分の気持を整えてゆかねば駄目である。こうした追いつめられた心境を、誰れかの言葉を借りて、強がりを述べたのであろう。

 このような不安定な世相の中で、一番大きな支えとなり役立ったのが、有備館道場での鍛錬を通じて得られ三年間の剣道部生活であった。

 入部早々、諸先輩から『鹿島神伝直心影流を伝える我が部の伝統の中に融け込んで、心身を鍛えてゆけ』と気合を入れられた。勿論私のような新米などにその意味が解る筈がなかった。名古屋高商時代も剣道部で三年間選手をやって来たが、そこでは兎も角勝つこと自体が最大目的であり、その為にこそひたすら剣の技を磨いたものだった。

 然し一橋に入ってからは、ちょっと様子がおかしいのである。或る日、三商大戦のための遠征費を先輩達に寄附を仰ぐべく、畏友であった故上野富造君と共に、大先輩の故谷口義夫氏(住友化学且ミ長、会長を歴任された方)を訪問したときのことである。先輩は次の如く諭された。

 『君達は神戸までどんな汽車に乗って行くつもりか。まさか特急など乗らないだろうな。そんな楽をして試合にのぞむなど飛んでもないぞ。そんなやり方のためには寄附なぞ一切出すわけにゆかない』とはっきり述べられたのを、今でも銘記している。
 試合に勝つ為には手段を選ばずでは駄目である。自分自身を徹底的にどん底から鍛えぬいてこそ、真の力強いファイトが培われてゆくのだと始めて気付いた。

 一橋道場に伝わる直心影流の教えは、常に『至誠無息』、『百錬自得』であった。僅か三年の修業ではあったが、ここで学び且つ会得したことが、卒業後今日にいたるまで、どんなにか自分自身の生活信条を形成することに役立って来たか申すまでもない。

 死んだ親爺が高齢に達してから、よく私共兄弟を集めて話していたものである。それは自分の生活信条の発展を、『力』→『愛』→『和』→『信』→『真』という系統で示して説教していた。

 私自身も何時しか還暦を過ぎ、そろそろ自らをかえりみたいと思っている。本当に一橋時代は、立派な先輩や多くの良き友に恵まれて幸であった。

 我国の平均寿命もますます伸びつつある今日、私ももうひとふんばりして、一層充実した人生をおくり度いものだと思っている。どうか引続きよろしく御指導をお願いしたい。

 


卒業25周年記念アルバムより