7組  佐治 正三

 

 私の処は大家族である。一年前までは、私達夫婦と、家内の両親と、長男夫婦と、彼らの一人娘(小生の孫)と七名一緒であった。昨年五月に妻の母が亡くなったので現在は六名となったが、年齢は九十二歳、六十二歳、五十八歳、三十三歳、三十三歳、四歳、合計百九十歳となる。昨年の暮に長男の職場が東京駅の近くから羽田空港に変って、今迄の処からでは通勤困難となった。これで大家族とお別かれ必至かと思ったが、駅に近く転居すればこの儘継続が望ましいとの結論になった。

 そうは言っても、うまい具合に見付かる筈もないよと高をくくっていた処、熱心な不動産屋さんが、今迄の住居の坪数の土地、大家族がドーヤラ住める中古の家を探して来た。駅から「徒歩三分」だけあって相当のお値段である。20年前に購入した旧宅地も坪価によれば坪単価大体百倍になったと言うが、それでも相当の追加投資が要る。もう、こちとらは第二の人生になっており、この年になって借金するのは誠に気が進まないが、若い嫁さんが「年寄りを放っておく訳にはいかないわよ、孫が一緒にいた方が淋しくないでしよ」と今時涙の出るような泣かせる科白をはいて呉れる。孫娘にはメロメロだから金には換えられない、折角のチャンスと思い切った。

 一番困ったのは古い家財である。勿論、高価な骨董品などある筈もないが、老人が昔、帝政ロシア時代に留学した年代入りのロシア語教師だから、大変な量の洋書がある。

 有難い事に、同窓木村増三君は大学図書館長、同じく横山健之輔君は図書館ボランティヤである。横山君の助言も頂いて一切、一橋図書館に御引取願えたのが、一番助かった。
 何せ、ロシア語の昔の本は殆んど仮綴じ、こんな古本に書物としての価値はないとは思うものの、整理だけでも音を上げかけていた処だから、有難く寄贈させて頂いた。半ば恍惚の老学者には相談なしである。

 この外に、これまでスペースの余裕あるのをよい事に、手当り次第に買い集めたつんどく型の雑多な蔵書は、大体運び込んだ。物置きの中から昔風の大礼服、二重廻しインバネス、桐の丸切り火鉢、手捲き式蓄音機、スーパーヘトロダイン、真空管ラジオ、リボンの切れたロイヤルタイプライター(露語用)、五俵分の木炭、三味線、お琴、打ち直し痛みの木綿蒲団六揃分、子供のヴァイオリン……二十年も一回も使はれない宝物がザクザク出て来るが、これを運び込むとは誰も言はない。捨てるに忍びないと言って目下旧宅ガレーヂに鎮座願っているが、結局は大型廃棄物となる外ないであろう。

 この引越しで、失敗をした。
 家の連中は『引越し専門家に委せればすべて安全確実、余計な手出しはしない方がよい』と言う。こちらは、自分の出来る事はするのが本当だと言う大正ひとけた・昔風。嫌がる長男を手伝はせて二階の書斉から重たい大物を引き降しにかかった途端、足をすべらせ転落、軽い脳震盪状となった。連休第一日目の五月一日。

 幸い外科医にかけつけレントゲンなど摂られ診察をうけたが、老人性軟骨症は写真に出ているが、転落事故の症状は認められないと、の御託宜でケリとなったが、二ヶ月経った今でも、首を廻すと少し痛い。
 ゴルフでヘッド・アップがなくなるから却ってよろしいと言う友人もいるが、年よりが年を忘れて張り切ると禄な事はないとの教訓、身に泌みた。転居先は、国立駅前の紀の国屋の横通り、玄関は細い私道の奥にあり、表通りからは気づかれない。ひそやかに、半ば隠棲の床しさで、堂々たる門構えなど何もないのが、又、気に入っている。

 


卒業25周年記念アルバムより