一
五月晴れとはうらはらの降りみ降らずみの日曜日、やっと「文集」の原稿にかかる。本文集の編輯委員を仰せつかりながら、今日はもう締切日間近かだ。こんなことでは「締切日厳守なのに何をボヤボヤしているのだ」などと会員を督促する資格はないと反省しきり。
妙なもので、どうしても書きたいというテーマがないといわゆる荏苒時を過ごすということにたる。ゴールデン・ウィークを目途にしていたのだが、おそくとも四月いっぱいに纏まるはずだった仕事が連休に喰いこむハメになってしまった。国際ライセンスの仲介で大詰めで劇的な展開があったためだ。やっと三日にケリがついたもののもう駄目。
「本来ならこの辺りの長さで文集原稿一丁上がりというわけなんだが……」
とぼやきたがら成約レポートとコメントのドラフトを仕上げ、タイプのためにお客さんに渡したところ、
「日頃よくお書きになるし、特にこのようなドラフトには好適大いに書いて下さい」
ということで水性インキのデラックス・ペンを届けてくれた。その途端、
「仕方のないことは仕方がないんだ、何れゆっくり」
と文集原稿の延引を都合よく自らに納得させていたことが罪悪感となって思い出されてゾッとしたのは皮肉なことだった。
そのためせっば詰まった今日までそのぺんを使うたびにこの罪悪感にさいなまされて憂欝だった。この間唯一つのしかし大きな救いだったのは同じく編輯委員の磯部君が僕も実は未だだ」と言ってくれたことだ。そして、「コリャ、書かにゃいかんな」と発奮することになったのだから妙だ。
ためらわず実行に移せば何とかなることを妙に理屈をつけてもって廻す僕らインテリ?の通弊を改めて実感し反省した次第だ。
二
ところで、僕は今ふしぎな経験をしている(と自分ではおもっている)。それはいわゆる世界特許戦争、より具体的には内外の工業所有権とかT.T、(技術移転)をめぐる戦略闘争において、わが国産業界は大企業レベルで一般に驚くほど後進的であるということに基いている。特許を取得することが最終目的であるかのように保有特許の権利行使を怠って棚上げしてしまう傾向、公正な国際ライセンス契約の諸規定はどうかという基本的知識に欠けている点、さては裁判恐怖症にむしばまれている点など数え上げれば切りがない。
この信じられないほどの後進性は主として戦后かなりの期間続いた契約条件無視の先進技術導入競争に起因するものだった。それは営業活動そこのけのセリ市のような競争だったのである。こんなことの惰性の裡に健全な専門部門が育つわけがなかったのだ。
今や押しも押されない世界の経済大国であるわが国の産業界にこのような盲点があるといっても大抵の人はよく理解できないらしい。このことは嘆かわしいことにわが十二月クラブの諸兄においても同然である。
したがってこの盲点こそ今の僕の仕事の対象なのだと説明しても目をパチクリされるのが落ちである。もっともこのことはご本尊の企業自体さえわかっていないのだからわかれという方が無理なのだろうとおもっている。
いずれにしてもこの後進性が重大問題であることには変りはない。最近漸く一部にこれが改善の動きがきざしてきたことは遅まきながら結構なことだとおもう。若手弁護士の関心、企業団体などの勉強会などにこのことが窺えるのだ。
僕の場合、ヒョンな縁で試しにと持ち込まれて手伝うことが附合いの始まりになることが多い。上記のお客さんもこの例だったが、今では何でも相談にあずかる。上の例も解らず屋の相手で手こずり非常識な主張を撤回させるのに手間取った記念すべき?契約交渉だった。
三
諸兄は最近の日米自動車摩擦問題に関する政府間交渉の合意が米国の独禁違反にはならない旨の司法長官の事前確認をなぜ必要とするのかふしぎにおもわれたにちがいない。
しかし、米国やECにおいては今や独禁政策については政府もクソもないのであって、そこでは一般に聖域とおもわれている特許法にしても「今や独禁の海にただよう小島」と特許法曹界を嘆かせているのである。ついでに附言すれば上記の司法長官のレターもよく読めば前提条件付きで必ずしも日本政府の希望通りのものではないと僕にはおもわれるものなのだ。
独禁政策についてはわが国でも近年ようやく注目されるようになり、会員柿沼兄が顔役の公正取引委員会という活字が時折り大きく紙面を賑わせることになったことは諸兄ご存知の通りである。
こうした国際的風潮から、国際ライセンス契約においても上記の戦后の日本例を典型とするようなライセンサー(実施権供与者)の一方的な条件の押しつけによる一方的規定は独禁法なり不正競争防止法の違反行為として排除されるにいたっている。
一方で、偏った契約条件のライセンス契約は必ずしも両当事者にとって良い結果を斎らすものではないという経験による反省もあった。こうして現在では両当事者にとってフェアーでリーズナブルな契約こそ最上のものという観念が定着しつつある。
四
ついでに上記の「裁判恐怖症」についても一言しよう。米国企業は一般的に特許侵害訴訟を戦術として多用する。そして和解工作の併用も多い。米国訴訟には莫大な費用が掛かることも事実だし、諸兄はびっくりなさるだろうが訴訟に係る特許の五〇%強が無効判決を受けている実態にあるというのにである。
このように裁判における高い特許無効率の原因は本来灰色である特許を白か黒かに審決するというところにあるのだが、厳格な審査で有名な米国特許においてなお特許は灰色だというところに高次元の特許戦略が物を言う余地があるわけである。
ところが日本企業の多くはこうした米国企業の見幕に倶れをなして戦わずして軍門に降る傾向にあるというのが「裁判恐怖症」にかかる所以なのである。企業がそうなのだから二ーズが弁護士に届かないし、弁護士としても離婚問題などで儲かっているのに今更新なに面倒な勉強までして複雑極まりない特許戦略上の係争に役立とうとするはずはない。国際ライセンス契約問題も含めて、特許戦争、技術開発競争におけるわが国の拠って立つ基盤が脆弱だということも故なしとしないのである。
日常こうした世界特許戦争がらみの仕事にともすればボケ勝ちの頭脳を駆使し無い智慧を絞り出して取組んでいる僕には、以上の殆ど信じられないほどの、しかし無視できないふしぎな盲点が「技術立国」のわが国に現実に存在していることに腹が立って仕方ないのだ。
以上のように特異な僕の現在をめぐってあれやこれやと拾っていては切りがない。だが、このように大事な歯車が一ヶ所抜けている一見当たるべからざる勢いの技術先進国ニッポンにとって、単に技術白書などでその後進性が指摘されるだけでノホホンとしていてよいものだろうか。浮草のような僕の立場はただヤバイヤバイと叫びびながらお釈迦様の手の平で踊り廻っているだけなのだろう。
ただ、自覚症状としては年を忘れて仕事に勉強に寧日のない僕の意識が全く未熟な若い日の段階にあるということだ。このためなのだとおもうが、近年時折諸兄との交友で違和感、虚無感を生じることがあって孤独をかこつことがあることをお詫びがてら告白しておく。
五
日本で一番暗かったはずの時代にもかかわらず充実し切った学生生活の交友の日々、ガムシャラに助け合った復員服時代の混迷の日々、それらはやがて明るい日射しの下に友情に浸り切った行楽の日々に続く……、疑いもなく確かめ切ったはずの人生の真実の刻印、その哀歓のかずかずは今も変ることなく心のアルバムに秘められていて、今なお幼稚な孤独感に時に浸るのだ、十二月クラブとはそのものズバリなのに……と。
どうも自由に書き下らしている裡にいやなロジックになってきた。増三教授の学生時代の指摘「抽象的なロマンチスト」そのままだ。いつもこんなことを意識しているわけではなく、大いに解脱した心境でいるつもりなのに。
どうやら与えられた紙数が尽きた。今もなお、いつも楽く育み合える心の拠りどころの十二月クラブであらんことを希うのみ。
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