四十周年記念文集に何を書こうかと迷って期日を遅らせてしまいました。
ひとりものを思うとき、私の想念の大部分を占めているのは依然として亡くなった長男夫婦のことであります。しかしこれをここに誌すにはあるためらいを感ずるのでありますが、これ以外のことを書くのも私には空々しい感じがするのです。
そこでこの六月四日付で嫁の父親と連名で外務省事務次官宛に提出した次の文章を載せて、責をふさぎたいと思います。
杉江清一同妻妙子の殉職についてのお願い
杉江清一同妻妙子がラオス、ビエンチャンにおいて、無惨に殺害されてから三年半の年月が経過いたしました。しかし私共の心情においてこのような時の経過はありません。
今なお二人の変り果てた姿はまざまざと脳裡に浮び、二人の無念さを思い、なぜあの二人がこのようなひどい仕打ちに遭わなければならなかったのか、と人知れず悲嘆の涙を拭うのであります。すべては運命(さだめ)とあきらめる気持には到底至りません。
このような私共の心情をいっそう深めたのは、外務省のこの事件の扱い方と二人に対する処遇にあったことは、しばしば申し上げてまいりました。ことに私共の気持をいらだたせたのは多くの私共の疑問、お願いに対するお答えがほとんどなく、矛盾する本件の扱いと見解に対し、納得できる説明のないことでありました。
しかし三回忌を過ぎて、外務省は、事件はもはや決着済みと考えておられると判断して、この事件の扱いに関する私共の見解を総合して、朝日新聞誌上に発表する機会を得たのであります。
それ以後すべてを私共の心の内に収めて、今日に至りました。しかし昨年九月毎日新聞地方版に「背後に日本人? 杉江代理大使夫妻惨殺事件」という衝撃的なニュースが掲載されました。その情報の出所である
Far Eastern Eonomic Review の九月五日付発行誌を見ると、ラオスにおける麻薬密売ルートに関する詳細な報告記事の中に次のような注目すべき記述があるのであります。
「コネクション (注=麻薬ルート)のバンコク側の情報屋が、タイ国並びに西欧筋の麻薬取締官に話したところでは、一九七七年後期に、ブーンシリは日本人ブローカー一名及びカイソン・バンナボンというラオスの木材輸出業者と共に中国人バイヤーと協力して、阿片二〇トン(全部と言わぬまでも、その一部でも)の出荷を計画し、タイ湾に待っている船に積み込もうとしたが、これは未遂に終った。
カイソンとブローカーは、商談のためバンコクヘ行ったと言われるが、商談は不成立に終った。この失敗は一九七七年のクリスマスの日に、ビエンチヤンの邸宅の寝室で殺害された日本の臨時代理大使杉江清一氏(三二歳)及び同夫人の不気味なナイフによる殺害事件に関係があったという疑いがある。
一九七八年八月二八日ラオスの人民裁判は、この殺害事件に関連して、二人のタイ人を欠席裁判で死刑を宣告し、一名のラオス商人と杉江氏邸の雇人三名に終身刑を言い渡した。
バンコク麻薬筋は、杉江氏は上記の共同謀議を知ったために消されたと言う説は信ずるに足りるとしている。この見解は、ビエンチャンの西側外交筋も支持しており、同筋の言うところでは、殺される一週間前に杉江氏は阿片密輸の話をもって、ある西側外交官を訪問している。
ラオス政府は日本の外務省に対して、この犯罪(ラオス国民から見て特異かつ異状に惨忍なもの)は盗賊の行為によるものであると通知した。日本政府は、まだ杉江氏と麻薬の関連について何の情報も得ていないとしているので、このラオス側の説明を受け入れている模様である。」
以上が関係部分の翻訳であります。
この記事は伝聞に基くものでありますが、私共は諸般の考察から信憑性は高いと考えてをります。もしこれが事実であるとすれば、清一のラオスにおける麻薬密売ルートに関する情報の入手とその対処が、日本人をも含む大麻薬密売計画を挫折させたことになり、清一の名誉回復に大きく貢献すると思うのであります。
又もし日本人が殺害事件そのものにも関与していたとすれば、その犯罪は厳しく追求されなければなりません。
このため昨年九月、外務省に人事課長を通じて調査を依頼しました。その際記事に対する私共の考え方と、特に調査していただきたい事項をメモにして渡しました。そして調査するという回答をいただきながら九ヶ月を経過した今日調査の困難性をいわれるのみで、具体的な調査結果はほとんど示されないのであります。
しかし例えば、清一が、麻薬密売の情報をもって訪れたという西側外交官については、少くともラオスにおける米仏大使館について、その有無を照会することは可能だと思います。その他の点についても調査の可能な部分は多いと思います。そしてそれらについて結果のいかんを問わず知りたいのが私共の願いであります。
御報告がないので私共自身 Far Eastern Economic Review 誌社に接触いたしました。そして次のような情報を得たのであります。
1. 清一は麻薬密売のことについて調査し、相当の情報を得ていた。このことは事件後日本の外務省に伝えられている。
2. Review 誌社は清一が訪ねたある西側外交官を知っているが、情報源に関することなので、今はその氏名を明らかにすることはできない。
3. Review 誌社は麻薬密売に関係したある日本人をつかんでおり、その背景も知っている。
今月二十九日これまでに外交領事事務に従事して不幸にも自らの生命を犠牲にされた外務省職員を慰霊し顕彰する碑が外務省玄関に建てられ、私共も御招待を受けました。
この碑が外務省職員の献金によるものであることを知りひとしお嬉しく存じました。
私共はこのような措置とともに、個々の事件の特質に応じて、具体的な慰霊顕彰の措置に行届いたものがあってほしいと思うのであります。二人の殺害事件については原因の究明は慰霊顕彰の前提であり、このような不幸な事件の発生を防止する一助にもなると考えるのであります。
そこでこの際 Far Eastern Economic Review 誌の記事に関して次のことをお尋ねしたいのであります。
1. 二人の殺害の原因は、清一が、麻薬密売計画を知り、何らかの対策を講じようとしたことにあった、という見解について、外務省はどのように考えられるのか。
この点さきに、当時アジア局長であった柳谷氏からこれを肯定する説明があったのに、公務災害補償の特例措置の適用についての文書発表にはこのことが書かれておりません。その理由もこの際お伺いしたいと思います。
2. 「清一が麻薬密売に関し調査し、相当の情報を得ていたことは、事件後日本の外務省に伝えられている。」という Review 誌の言は事実か。
3. 清一が麻薬密売の情報をもって訪れたという西側外交官に関する調査はされたのか、今後調査するお考えなのか。
4. 日本人が直接間接この事件に関与した、との報道について、外務省自身又は捜査当局に依頼して調査されたのか、今後調査するお考えなのか。
5. Review 誌の記事に関する調査は総じてすでに打切られたのか、どうか。
以上の点について文書にて早急にお答えいただくようお願いいたします。
以上の文章を外務省人事課長に直接持参してお願いしたのですが、今(六月二十日)もってその回答はないのであります。
なお Review 誌の前掲記事の最後の節に、ラオス政府及び日本政府は事件の原因を強盗によるものと考えている旨の記述がありますが、これは正確ではありません。
当初外務省は私共に、強盗又は運転手の個人的怨恨に基く犯行であると考える旨の説明がありましたが、間もなく後者の見解を固め、事件を個人的遇発的なものとして処理したのであります。しかし九ヶ月後ラオス国営放送は、本件はアメリカの諜報機関の政治的謀略事件であるとするラオス人民裁判所の判決を報道しました。
その後ラオス政府から犯行の事実関係に関する詳細な報告を送ってきました。これによってこれまでの外務省の見解は誤りであることが明らかになったのであります。そして約一年半後に及んでようやく二人は「戦争内乱その他の異常事態の発生時にその生命又は身体に対する高度の危険が予測される状況の下において、外交領事事務に従事し、そのため公務上の災害を受けた」と認定して、公務災害補償の特別措置の始めての適用となったのであります。
しかし事件の背景と犯行の動機についてはいまだ明らかではありません。
私共は Review 誌の記事についての外務省の対応には依然として責任回避と事勿れ主義の現れをみるのであります。
本年十四日、次男清孝の結婚式を行いました。その最後の御礼の挨拶に私は次の事を述べたのでありますが、不覚にも声を詰らせてしまいました。
「杉江家はさきに長男夫婦を異国の地に失うという人生最大の不幸を経験いたしました。しかし天は私共をお見捨てになることなく、次男清孝が自ら選び、親も心から賛同できるよき伴侶をお与え下さったことを有難く思うのであります。
私共の最大の願いは二人が兄夫婦の分をも背負って、人一倍幸福に、又人一倍充実した人生を送ってくれることであります。」
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