7組 長谷井輝夫 |
趣味の欄に、やきもの鑑賞と英国現代政治史研究と書くと、友人からやきもの鑑賞はよく分かるが、英国現代政治史研究とは何んだ、と冷かされる。 ここ十数年、暇をみては英国現代政治史、主として政治家の伝記を読み続けている。ヴィクトリア朝の最後の総理ジイスレエイリの言葉「伝記を読みたまえ、そこに理屈ぬきの歴史があるから」と改めて心に思い浮べながら各種の伝記を読んで楽しんでいるのである。 さて、英国の伝記との最初の出合いは、横浜高商の二年のとき、西堀正弘、木村増三、佐治正二、片柳梁太郎の諸君と一緒に、西村教授から教科書として与えられた、リットン・ストレイチの名作「ヴィクトリア朝の著名人たち」の一部である「ゴルドン将軍の死」であった。ストレイチの第三作である「エリザベスとエセックス」が、昭和十六年に小説家片岡鉄兵によって訳されたが、戦時中この本を門司税関の官舎で読みふけったものである。 戦後の二十八年角川文庫から小川和夫訳で「ヴィクトリア女王」が刊行されたが、読み始めると途中休むのが、おしい程面白い本である。永く絶版中であったが、現在は富山房百科文庫に収められている。ストレイチは、従来の型にはまった伝記の様式を打破して、事実を整理して芸術としての伝記を完成したのである。彼は、ケンブリッジ大学の出身で、友人に経済学者J・M・ケインズや小説家のヴァージニア・ウルフ等がいたことは有名な話である。 昭和四十二年四月に、私は欧州中小金融制度視察団の一員として渡欧したさい、ロンドンの最大の書店ホイルスで、ハロルド・ニコルソンの「ジオージ五世伝」を購入した。 この本の初版は、一九五二年で、私の入手したものは、第四版一九六七年のものであった。この本については、故小泉信三先生が皇太子殿下にご進講されたということを何かで読んでおり、かねてから入手したいと考えていたのである。この本が縁となって、ハロルド・ニコルソンの名著を次々と読み進んでいった。一番面白いのは、彼の一九三〇年から一九六二年までの「日記と書翰」三冊である。これは、英国の政治裏面史であり、また世相史でもある。こんなに面白い本が、何故翻訳されないか不思議千万である。 ニコルソンは、貴族の出身で、オックスホード大学を出て、外務省に入り、第一次世界大戦後パリ平和会議に書記官として活躍し、その間の体験から、「一九一九年の平和会議」なる名著を世に問うている。彼はやがて外務省を辞任して、約十年間下院議員として活躍したが、その後は、外交史家として得意の健筆を振って、「力ーゾン郷伝」や「ウィーン会議」の名著を次々に刊行した。また才筆を振って「テニソン」や「バイロン」の伝記をものしている。しかし、彼の代表作は、何といっても、「ジオージ五世伝」である。伝記の最高傑作といっても過言ではない。 さて、英米のこれぞという政治家は、みな回顧録をかく。その代表的人物は、ウインストン・チャーチルである。 彼は「第一次大戦回顧録」と「第二次大戦回顧録」を書いているが、とくに後者によって、ノーベル賞を受けたことは、広く世に知られているところである。わが国でも毎日新聞社が、早速取り上げて、昭和二十四年五月より七ヶ年の歳月をかけて二十四冊の邦訳を完結した。 原著は、六巻実に六千頁にわたる大著である。上原専禄先生の評によると、「ツキジデスの『歴史』に比肩しうる永遠の名著である。」 チャーチルは、外に「英語国民史」四巻や、自分のご先祖の「マルボロー公爵伝」を世に問うている。現在、チャーチルの正式の伝記は、現在二巻出版されているが、引き続いて刊行中である。 チャーチルの次の総理であったアンソニー・イーデンも、三巻の自伝を書いているが、最も退屈な伝記の見本と評されている。ところが、イーデンは、自分の青年時代までの伝記「別の世界」を物にしている。 これは、前記の自伝と全く別の実に面白く極めて躍動的な文章である。実に不思議な話である。イーデンのあとの総理ハロルド・マクミランは今年で九十歳のはずであるが、彼の自伝六巻は、極めて生気の溢れる政治史そのものである。六巻全部の語数はなんと二百二十五万語におよび、これを独りで書き上げたのであるから、この点でも大したものである。普通、総理級の伝記は、チャーチルの場合のように、集団著作であるが、マクミランの場合は、他人には読めないような字で毎日日記をつけ続け、その日記の数は、三十冊になったという。この六巻のうち、一番面白いのは、世に出るまでのことを詳しく書いている第一巻である。総理になってからのところは、余り詳しすぎて私にはよく理解しにくいところがある。しかし、誇りと情熱がないと書けない極めてすぐれた自伝である。 忘れてならないのは、マクミランが、いわば、私と会った人といったテーマで自分の接した政治家の風貌姿勢を生き生きと活写した「ザ・パスト・マスターズ」なる本である。第一次大戦のさいの総理アスクイスや次の総理のロイド・ジオージが実に面白く書かれている。この本の最後のところで、現在の総理サツチャー女史の就任を予言している。これは実に一九七五年の出版である。写真がたくさんあり、文章も流麗で読みやすい。副題は、政治と政治家一九〇六年-一九三六年となっている。 一九七〇年に総理となり、EC加盟を実現したエドワード・ヒースは、「旅行」、「音楽」、「航海」の三部作を世に問うて、そのうち、「旅行」は、ベスト・セラーになった。音楽では、ロンドンの交響楽団の指揮としたり、国際的ヨット・レースでは、自分のヨットで参加するという多趣味な才人総理であった。 「旅行」という本は、中学を最優秀の成績で卒業したので、両親からごほうびの意味で、大陸旅行を許可されて、飛行機でパリに行くことから始まる。オックスホード大学の在学中、内乱の始まったスペインに旅行し、ナチス台頭期の一九三七年に有名なニュルンベルグのナチス大会を見学する。それ以来、総理になるまでの八十ヶ国の旅行を丹念に書きつづった珍らしい本である。仲々の写真の名手で、自分で撮影した写真が、たくさん挿入されている。読んで楽しくまた見て楽しいという本である。日本にも来ていて、帰りの土産に、浮世絵を求めたとある。この本は、少年時代からの楽しみの旅行を通じて人生を語るといった、めずらしいスタイルの自伝といえよう。 英国の王様や総理クラスになると、極めて優れた伝記が書かれていることはいうまでもないところである。王様の伝記で極めて優れているのは、前に書いたリットン・ストレイチの「ヴィクトリア女王」とハロルド・ニコルソンの「ジオージ五世伝」である。総理の伝記で最高の出来は、ロイ・ジソキンズの「アスクイス伝」である。 アスクイスは、第一次大戦のさいの総理であったが、戦争指導の力不足をつかれて、大蔵大臣のロイド・ジオージにその席を譲り、大戦後ロイド・ジオージと意見が合わず、自由党を分列させた悲劇の政治家である。 ところで、この本の著書ジエンキンズといったら、どこかで聞いた名だな、と気がつく人があるかも知れない。ハロルド・ウィルソン内閣で、内相などを歴任し、最近までECの委員長をし、ごく最近は、労働党の右派の政治家と一緒に穏健な社会改革派の新政党を樹立した中心人物である。ほかに、「アトリー伝」や「サー・チャールズ.デュルク伝」があり、政治史としては、ロイド・ジオージと保守党の党主バルフォーとの一九一〇年頃の上院改革案をめぐる激しい政治的対立を刻めいに書いた「ミスター・バルクォーズ・プードル」がある。 最後に、最も優れた伝記一冊をあげれば、チャーチル時代の海軍大臣をつとめたダフ・クーパーの自伝「老人は忘れる」である。その面白さを書こうとしたら、遂に紙数がつきた。またの機会に譲りたい。 |