7組 柳井 孟士 |
戦国の武将には囲碁を嗜む者が多かったようだ。それというのも、暫く前に日本外史をめくっていたら、関ヶ原の役のくだりで、名将の言のうち囲碁に因んだものが二つも目にとまった。 その一つは徳川家康がその子秀忠に与えた訓戒だ。慶長五年秋、家康は秀忠に別軍をひきいさせて中山道を進ませたが、これは信州上田で真田昌幸を攻めるのに手間どったため決戦に参加できなかった。家康は大いに怒り、後日、秀忠を召見してこう言った。(以下頼山陽の原文通り) 「天下をおさむるはなお奕棋の如し。既にその全局に勝てば、則ち敵子の存する者有りと雛も何ぞ輸えいを較するに足らんや云云」と。 これが山陽の創作でなくて真に家康の言だとすれば、この英雄の棋力はなかなかのものだ。 他の一つは越前敦賀城主大谷吉継にかかわるもの。 慶長五年七月二日、石田三成は吉継を佐和山に招いて家康打到の陰謀を打ち明けたが、天下の形勢に明るい吉継はこれを思い止らせようと諌めて日く(以下原文通り) 「子、独りかの変棋する者を見ざるか。中手相対すれば算の成る者勝つ。もし国手に遇えば、その為す所皆我が意表に出づ。内府は国棋なり。云云」と。 現在碁界の最高峰にある藤沢秀行棋聖は、将棋界の元老木村義雄永世名人と並んで三十数年来の熱心な競輪ファン、つまり僕らの商売の上得意である。そんな関係もあって、僕はときどき三子で指導碁を打って頂くのだが、その都度この吉継の言を思い出す。 「そのなすところ皆我が意表に出づ」の一句ほど名人上手の驚異的棋力を言いえてピッタリの言葉はない。 先年、或は高名な棋友(実名を秘してY氏とする)の昇段祝賀碁会に藤沢棋聖をお招きしたときのことだが、Y氏が棋聖同行の新進女性棋士に打って貰う際、「先日、関西棋院のH九段に三子置いて一目勝ちましたから二子でお願しましようか」と問うと、棋聖は「四子置きなさい。アマチュアにはH九段よりこの人の方が強い」と答えられた。四子で打った結果はY氏の惨敗であった。 後で聞いたところでは、H九段は、アマチュアとの指導碁では退屈を紛らわすためか、持碁(無勝負)を目標に打つことが多いという。稀れに失敗すると一目差の結果になる。高段のプロ棋士の碁と僕らのそれとは、ルールは同じだが、内容は全く別のものだ。読みの深さが桁違いなのだ。 碁は麻雀と異なり、何も賭けなくても面白い。むろん幾らか賭ければなお楽しい。賭碁で名高いのは、かの東晋の宰相謝安であろうか。西歴三八三年、秦王符堅は九十万の大軍をひきい、一挙に東晋併呑を目ざして南下した。東晋側が八万の精兵を以てこれをひ水のほとりに屠ったのだが、国家存亡の決戦に大勝したことを知らせる早馬がかけつけたとき、宰相謝安は悠然として客と碁を打っていた。 報告書を開いて読んだ彼は、これを傍に置いて、何事もなかったように碁を打ち続けたという。そんな人物だから賭け方も大きく、一局の碁の勝敗で別荘をやりとりしたという伝えがある。経済大国日本のサラリーマンが、昼飯のソバ代を賭けて楽しむのとは少しスケールが違うようだ。 僕が子供の頃、賭碁好きの魚売りが居た。売り物の魚を一尾だけ残しておいて賭碁を打つ。敗色歴然としてくると、必ず長考に入る。敵手に渡るときまった魚の鮮度が落ちるのを待つためだ。それによって負けた口惜しさを散じていたのだ。 昔、場末の碁会所で、ちょっと異様な光景に接したことがある。一組の客が打ち終って地を作っているので、黒一目の勝かなと思って眺めていると、白番の客が相手の目を盗んで、ズボンの打返しから黒石を二個つまみ出し黒地を埋めた。結果は白の一目勝に逆転した。常習の賭碁師にちがいないが、それにしてもイカサマ用の碁石を隠し持って戦に臨むとは何と周到な用意だろうと、僕は不快な驚きを喫した。 因みに、中国のルールでは、盤上に生き残っている石の数と囲んでいる地の目数とを、白黒それぞれについて合計し、その多い方を勝とするから、掲げはま(取り石のこと)の多少は勝敗と関係がない。もとは、中国でも日本と同じ計算方法だったのだが、唐の時代に掲げはまをごまかす風潮が蔓延して御前試合にまで累を及ぼすようになったので、このての不正を完封するため現行ルールに改めたという。 碁の醍醐味を味うには、渓流のせせらぎの聞えるような幽すいな温泉宿で、親しい棋友と盤を囲み、杯を傾けながら手談をかわすのが最高だが、謝安ならぬ身はこんなのを度々というわけにはゆかないから、僕はこの十年ほど週末には精々盛り場の碁会所を利用している。 幸い、新宿と池袋に大型の碁会所がある。どちらも百面近い盤を備えているが、土曜日曜の午后にはそれが満席になる。客は千差万別、よぼよぼの老人もいればたまに小中学生も来る。少数だが女性もいなくはないし、青い眼の外国人を見かけることもある。盤が百面もあるような大型の碁会所では、受付に段級位を申告すれば、大てい五分か十分内に同程度の棋力の相手と組合せてくれる。 碁は、その変化が限りなく複雑でありながら、ルールは極めて単純だから、六十の手習いも可能である。白と黒と数だけが問題のゲームだから、外国人も難なく覚えることができる。その上、適当な碁会所を利用すれば、僅か数百円のコストで手頃な相手と好きなだけ楽しい時間を過すことができる。 老いて現役を退くと頭悩が運動不足に陥り易い。有吉佐和子女史の描く恍惚の人の生きざまを地で行く労は願い下げにしたいものだが、一説に、囲碁程度の軽い頭の体操が老人性痴呆症予防策として最も有効適切だという。この説を信ずる人は、老後の健康法の一つとして大いに碁を打って頂きたい。 ついでながら、古い書籍を調べてみたら、隣国の聖人は、既に二千数百年前に卑見と同趣旨の囲碁のすすめを説いている。即ち、論語に曰く「飽食終日、心を用うる所なき者は難きかな。博奕なるものあらずや。これをなすは猶やむにまされり。」と。 博突の「奕」は囲碁のことである。 |
卒業25周年記念アルバムより |