7組 渡辺 公徳 |
日本が大東亜戦争に惨敗して間もなくから志を立て、日本経済再建に必要な資金をアメリカから引出すのに最も有利な方法として、アメリカの銀行に入ることだと考えた。 昭和二十三年二月にバンク・オブ・アメリカの東京支店に採用された。以来満三十一年一ヶ月勤務した上、昭和五十四年二月末退職した。 ここで、楽な身分になって世界を見廻すと、自由世界の先進工業国の中、度重なるオイル・ショックを克服して、活力を失わず、生産性を向上して、経済活動を発展させ得ると期待出来るのは日本だけになってしまった様に見受けられる。 ロンドン・エコノミストの、ノーマン・マクレイは日本人より先に日本の底力に著眼してはやくから日本社会の経済成長力を指摘して来た。ハーバード大学のエズラ・ボーゲルは日本のやり方を引合いに出して同国人を刺激し、反発心を促そうと試みた。東京大学木村尚三郎教授によれば、誇り高きフランス人も、口に出して言わないが、ひそかに日本を尊敬し、手金を出して人を日本に派遣し日本の経済発展力の秘密を勉強しているらしい。 所で、私がおそれるのは、世界中で日本だけが経済運営を順調に進め、各地から食糧、工業原材料を買い集め、良質な工業製品を売りまくっていると、やがて日本は世界各国からやっかみと、にくしみの対象になることである。 外国から見ると、はるか極東の狭小な島に肩を触れあうようにあくせくと、ろくに休暇もとらず働きづめている日本人は、自分らと言語、宗教、血縁、文化、歴史に共通点乏しく、親しみの持てない、無気味な存在である。 このままで行くと、日本はいずれ世界で、仲間づきあいを受けにくく、いびられ、押えつけられ、市場から締め出され、孤立するおそれがあると考える。 それを防ぐためにやるべきことは沢山ある。政治家、新聞人、経営者、一般勤労者、それぞれの立場で心がけるべきことがあると思うが、銀行業の卒業生として私の感ずることが一つある。 日本の企業は海外に直接投資で進出し受け入れ国の人を上級幹部として使いこなすことである。又日本市場を一層積極的に開放して外国資本の直接投資を誘致し、頼まれれば、日本人が上級経営レベルまで参加することである。物の売買関係はいつでも切れる。貿易関係だけでは不十分である。大切な人と資本を結び合い、損得づくで経営を共にし、人質を交換するように全人格的につきあえば、お互いに理解を深めざるを得ない。 そこで私なりにこれからの日本の役に立つために、右の考え方に基いて国際的スカウト業、現在欧米で盛業しているエキユゼキュテイブ・サーチ会社に参加することにした。 つまり三十一年余携わったマネー・フローの仕事から全く新しいマン・フローの仕事に乗り換えたのである。 私のやることは二つある。一つは日本の多国籍企業の本社から海外子会社の現地上級経営陣を採用する注文をとることである。それに基いて、現地子会社の社長・副社長・部長などのスカウトをわれわれの欧米のパートナーが実行する。 二つ目は、われわれの海外パートナーを通じて受けた外国親会社の要請により、在日外国子会社の上級幹部要員として日本人経営人材をスカウトすることである。 予想したことであるが、今までの所、容易な仕事ではない。まず、日本の経営者が業務責任分担を明確にしてその範囲ではっきり人に任せるという考え方が出来ていないことであろう。一つには言葉の問題もある。つまり日本人が外国人を上級経営レベルで使いこなす準備がないということであろう。 つぎに、年功序列、終身雇用の習慣強く、中年で転職することが難かしいために、在日外国企業が求める様な若くて成長力ある人材が出て来ないことである。加えるに語学力の条件がつくと一層むずかしい。 これは東西両世界に横たわるカルチュラル・ソシアル・ギャップのためで将来とも克服出来ない問題であろうか。それとも数年かけて、じっくり環境の変化を待てば、日本の社会も変ってくるだろうか。 私は日本が世界の孤児にならない様、日本の職業観、社会習慣が転換してくることを望み度い。 右の文を書き終ってから、竹内宏氏の「日本だけがなぜ強いか」を読み勉強になった。日本の将来について私と同じ関心と危倶を持って書かれた本である。 殊に「外国の理解を得るために何をすべきか」の章では新しい視点を教えられた。私の考え方は、日本の出来ることの中、本当に僅かな局面である。しかしあえて、この際十二月クラブ文集に記しておくことにし度い。 |
卒業25周年記念アルバムより |