「東都の流れ」について  (3組)大友立也君のご尊父が作詞者です。

(3組) 大友立也君の父君は「東都の流れ」の作詞者大友春一大先輩である。
  大友春一大先輩(大正12年学部卒)が昭和40年7月4日(「東都のながれ」について)一橋歌集に書いておられる説明を茲に転載させていただきます。

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                  「東都の流れ」について      大 友 春 一
 東都の流れの歌詞は大部分私の書いたものです。古いことですが、一橋会端艇部で応援歌制定の話が持ち上り、大正九年のころ東京高商、一橋会編纂部が歌詞募集並びに選定の仕事を引受けた。その時応募した私のものが一等に選ばれた訳です。しかしその後、本ぎまりになった応援歌詞は一、二字句の修正が行なわれていた。修正であったか挿入であったかハッキリしないからだ。
その文字はその時六等になった歌詞の一部を取り入れたものであることを記憶しています。そんなわけで結果的には両者の合作と申すのが適当でありましよう。
 一等の賞金五円は学友たちと神田の今文だったかで牛鍋をつついて飲んでしまったのを覚えています。東京高等商業学校は今の如水会館の隣りの一橋講堂−共立講堂一帯にありました。
 応援歌の作曲は、これまたたしか軍艦マーチや後の愛国行進曲を作曲した瀬戸口藤吉氏であったかと思います。コロンビアだったかで出したこの応援歌のレコードは、そんなわけで私も記念に一枚求めておきましたが戦災で焼失しました。
                             (大正12年学部卒〕              (昭和40年7月4日)
    
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