| 片柳梁太郎 |
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私は普通商業から高等商業を経て一橋へ行った者ですから、特に痛感するのですが、昔の商業学校というのは一橋を頂点として、この下に高等商業があって、普通商業がある。一つのヒエラルキーというか総本山があって中間の本山があり、末寺があるというような秩序というか機構があったと思うのです。私達のいた商業学校で、校長以下幹部の先生にいろいろ問題があって更迭されたことがありましたが、次の人事はやはり一橋に仰いで校長の後継者は静岡の県立商業の校長が転任して来るし、校長の片腕というか、学校の経営にタッチするような主要な教師が入って来て学校の空気がガラッと変ったことがありました。商業科の主要な先生は殆ど一橋の卒業生でしたし、大学もそうですが、商業教員養成所というものがあって、それぞれ相当な力を持っていたと思うのです。 所が戦後の学制改革によってそういったヒエラルキーが崩壊してしまったことにより、戦前の一橋が荷なっていた秩序が失われてしまい、全国に数多く生まれた大学との格差というか特色が色あせてしまったのではないかと思います。何でも東大が全国の大学の頂点だとか、偏差値だとかいう考えが支配しているのは、大学の中身を知らない文部官僚と予備校教育の然らしめた結果だと思います。 ではこの学制を元に戻せるかというと、これは全く不可能な話で、社会制度や学制がここまできてしまっているのですから、この現状に立脚してどうしたらよいかを考えるよりほかに道はないと思います。 ですから「社会科学の総合大学」だなんていうレッテルだけでなく、一橋へ行かなければ得られない教育とか学生生活とか特色のある味が濃く出せなければ駄目だと思います。その一つの考え方としてはゼミナール制度の一層の活性化とか、あるいは誰かが言っておられますように東工大との交流を強化して、将来はアメリカのMITのような大学に脱皮して行くことも考えられると思います。 とにかく頭を切り替えて、今迄の四学部制で、これでいいんだということではなく、中身を新鮮なものにして行くことが大事ではないでしょうか。 |