杉江  清

 

 この一年間母校の現状を憂い、その再生を願う文章が如水会報に二篇現れ、多くの共感を呼んだ。最新号には、少し思い過ごしではないか、という意見も出されている。

 私は安易な現状肯定には問題があると考える。一橋大学の無気力、停滞、質的低下は多年の積弊に基づく構造的なもので今にして再生への決意を新たにしなければ、悔を後世に残すことを憂うるのである。

 (一)

 問題の所在に関して、まず私の体験に基づく実感から申し上げよう。
 私は昭和三十六年から文部省管理局長として三年間、続いて大学学術局長として二年間、大学行政に携わった。当時は日本の高度成長期で、社会的要請に基づく人材養成を国是として、大巾な大学の拡充整備がすすめられた。所がこの時一橋大学からは、四学部順番に一、二の講座と二、三十名の学生定員増のささやかな要求しか出てこなかった。私は親しい教授に、なぜもっと大きな構想の要求を出せないのか、と尋ねたところ、四学部の均衡論が強くてこういうことになってしまうんだよ、ということであった。
 当時東京大学は経済学部の大巾な定員増と教養学部の改組拡充で多数の教官定員増を実現した。東工大も新天地を求めて改組拡充に努め、昨年度は先端的な学問分野である生命工学部の創設を行っている。
 私は一橋大学においても、国際化、情報化、科学技術の急速な進展に応ずる新しい学問分野の研究と教育を行う新しい組織の要求があってもよい、四学部の多少の充実に止まるようでは余りにも気宇狭少ではないかと思ったのであった。
 現在は学部の新設は難しい。しかし東工大の生命工学部のように問題の捉え方によっては不可能ではない。
 いくつかの案が考えられるが一つの私見を申し上げれば海外出向者の子弟の教育を主眼とした国際人育成のための学部研究科の新設である。この問題には文部省も努力しているが、将来の趨勢を考えるとその施策は極めて不充分である。五大州に雄飛することを標榜してきた一橋大学が他の国立大学に率先して、思い切った組織の新設を計画してもよいではないか。恐らく各方面の共感と援助も期待できると思う。
 多くの大学は土地の制約により新規事業計画の余地は少ない。幸いに一橋大学は先人の卓見により、いち早く国立と小平に広大な土地を持ち、なお神田一橋に由緒ある土地を保有している。しかしこの土地は数十年にわたって活用されず、老朽化甚だしい小講堂に年数回の公開講座を行うことによって大学との係わりを僅かに維持してきた。一時信託方式によってこの土地を活用しようとする計画もあったが、一国の認めるところとならず、今は白紙還元になったと聞いている。
 前からここにアメリカの大学でみられるビジネス・スクール(修士課程)を作るべきであるという、各方面からの熱心な主張があったが大学側は消極的であるという。しかし大学院の拡充とその弾力的運営による新しい形のビジネス・スクールの設置はなお充分研究に値するのではなかろうか。
 東京大学では法学部門において、生涯教育への貢献と短期の教育をも行う新しい形の大学院の拡充を明年度から実施に移そうとしている。

 (二)

 今小平の前期課程の国立移転が評議員会の議を経て実施の具体策が検討されている。私は時期と方法に問題があると思う。新制大学発足の当初から一般教育の画一的な実施には、講義内容と専門教育との接続に多くの問題があることが指摘されてきた。又教官の定員の配分や処遇に前期課程担当者に不満があった。ようやく今文部省の大学審議会において根本的改革が議されているが、まだ結論は出ていない。その結論をまって慎重に検討されても遅くはない。
 二十年前であれば、問題解決のための新しい学部の設置、(例えば教養学部、文理学部等)も、統合移転の予算の獲得も比較的容易であったろう。しかし統合移転の時期は終ったとする文部省の考え方からは、その予算の獲得は容易でないと思う。そこでとりあえず老朽化した本館の改築を国立において行うことによって統合移転の突破口としようという考え方もあろう。しかしこの考え方は危険である。もし二千人の学生の教育と研究に必要な本館以外の諸施策の移転ないし国立における増改築が保障されなければ、教官の不便は解消されても学生の不便は増大する。
 もし小平の土地を財源として提供しようとしても、現在の予算制度の下では、その操作は難しい。もしその困難が解決できたとしても小平の土地の多くを手放すことになれぱ先人の功を無にするのみならず、多くの大学人は一橋大学の将来の発展のために惜しむべきことと嘆ずるであろう。

 (三)

 もう一つ私の体験に基づく実感を申し上げよう。前学長の選挙にあたって、四人の候補者の一人が学生の拒否権によって除斥された。その原因の一つに寮費の値上げ問題があったという。実は寮費は受益者負担の原則を考慮して、或程度引上げるべきであるという通達を約二十年前に出したのは私であった。当初はかなりの大学において学生の抵抗があったが、大学の説得によって程なく解決した。約二十年間この通達を無視し続げたのは一橋大学だけであると思う。これがある学長候補者除斥の理由の一つであったと聞いて正直のところ、私は唖然としたのであった。
 そしてここにも大学の姿勢に問題があると感じたのであった。
 ここでどうしても触れておきたいのは学長の選挙規程である。学生に拒否権を与え、補助職員の全部に、制限された範囲においてではあるが選挙権を与えている大学は他に例をみない。このことが自ずと学生の要求に対する甘さ(弔旗不掲揚の問題もその一つであろう)をもたらす根源になっているのではなかろうか。この規程には賛成し難いとする教官が多いと聞いているが、これが、作られた経緯とかつての大学紛争の時の学生との話合いが改革の障害となっていると推察される。
 私は申酉事件、籠城事件における反権力闘争をむしろ誇りと考えている。しかしこの規程を守り抜くことが前二者に匹敵する意義と内容を持つものとは到底考えられない。大学の勇断を期待したい。

 (四)

 最後に如水会の大学に対する資金援助の問題を取上げたい。国が当然予算化すべきものまで、如水会が援助することには極めて慎重でなければならないと思う。
 これまで如水会ないし後援会の援助としてもっとも有意義であったのは、教官及び学生の海外派遣であったと思う。
 一橋大学再生のためには、何にもまして重要なことは優秀な教官の採用と後継者の育成であると思う。私は一橋大学卒業生の中から学問研究の情熱と能力をもち、かつ人間として優れた人物を毎年大学が選び、これに如水会が大学院生活に対する継続的援助と二年程度の海外留学をさせるような制度の創設を提案したい。相当多額の援助を毎年行うことになると思うが、それに値する事業であると思う。

 注

 1. この論文は昨年五月号の如水会論壇における半田氏の論文と七月号における若松氏の論文、及び十一月号における石教授の論文に触発され、私が文部省において五年間大学行政を担当した経験から、基本的には半田氏及び若松氏の立場に立って、一橋大学卒業生の無気力、停滞、質的低下は多年の積弊に基づく構造的なものと考え、その原因と対策を主として行政的制度的な面から考察したものである。
 しかしこの論文は論壇への掲載を拒否された。その理由を質したが納得できる説明は得られなかった。私はこの前例のない措置は自由をモットーとする一橋大学と如水会の伝統に反すると考える。

 2. 半田氏は理事長の一橋大学を一流中の一流大学にしたいという年頭の挨拶に関連して、このままでは一流中の一流大学の座をすべり落ちてしまうのではないかという危慎の念から一橋大学発展の基本的方向を提案されている。
 それは「急速に変化する世界情勢の中で国内外の問題に積極的に取り組み、その解決策を提言し続けていく時、一橋の存在価値はいやが上にも高まっていくに違いない。現在の一橋大学の研究体制や講座内容がそのようなビジョンを打ち出し、具体的な施策を提言するのにふさわしいものであるか、根本的に見直してみる必要があるのではないか」というものである。
 このような意見に対し大学は学問研究の場であって政策立案の場ではないという反論もあろう。しかし半田氏の云われるように、急速に変化する、世界情勢や社会の必要に応ずる新しい教育研究の体制を整備することは、大学の当然の責務であり、又それが大学の活性化につながる道でもあると思う。
 一橋大学においても、かつて国際学部設置の提案が内部の有力教授から提案された。又一橋講堂跡にビジネススクール(修士課程)を造るべきであるという意見も前から出ていた。しかしこれらは大学の施策とはならず、新制大学発足以来四学部の多少の整備に止まってきたのである。
 私はこのような点にも一橋大学の無気力、停滞を見るのである。
 投稿論文には載せなかったが、私の大学学術局長時代、当時の学長がわざわざこられて、何の式典であったか忘れたが、ぜひ大臣の祝辞をもらいたいということであった。申出のような場合は、通常祝辞は出さないのであるが、母校のことだからということで祝辞を用意して出掛けた、所が式場に入るや、担当教授から学生の反対があるから祝辞を読むのはやめてくれと云われた。失礼な話だとは思いながら、私の胸に収めて内部には何も云わなかった。しかしこのことは担当課長の知るところとなって、局長の面目を失したことがあった。
 このような大学の権威の失墜、指導力の不足は、今は改善されているのであろうか。

 3. 昨年七月号の論壇で若松氏は一橋卒業生の質の低下を嘆き既に一流の座をすべり落ちてしまったと総括しておられる。そして一橋出身者に対する一般的な批判は「たのもしさがない」「上司には極めて従順、しかし周囲にとって頼もしい存在にはなり得ない」「我が社(マッキンゼー社)の採用試験において合格するのは圧倒的に東大生が多く、一橋の学生の合格者の数は早、慶、上智、ICUに劣る」と述べている。
 私も亦有力会社の幹部からこれに近い発言を聞いている。
 ある論者は学生の質を高めるために一橋大学のよさをPRする必要を説いておられる。しかしインプットは直ちにアウトプットの質を決定しない。問題は四年間の教育にある。教育内容と指導方法に問題はないか、それを規制する大学の組織、体制に問題はないか、を反省し、その改善に努めるのが教育機関としての当然の考え方だと思う。
 又、早、慶との二重合格者のうち相当数が早慶に流れたことについて、その数に誤報があったといわれる。しかし早慶に流れた者が相当数いたことは蔽えないであろう。これは私共古い時代には考えられなかったことであり、それだけ学生の一橋大学に対する魅力が薄れていることを示すものであろう。

 4. 「できないことは云っても仕方がない」という意見もあるようであるが、例えば学長選挙規程は多くの学長が改善に努力しますという念書を文部省に出していることはかなり多くの人の知るところとなっている。それをいつまでも頬被りできるものではない。その他体質改善、多年の慣行、制度等の改善には多くの困難と年月が予想される。しかし困難な問題の解決の第一歩は問題の所在を表に出すことである。そして真剣にその問題に取組むことである。これなくして私は一橋大学の発展に明るい展望を持てないのである。

 5. 私の論文で例示した新しい教育研究の組織に具体的に立入ることは現在の私の能力を超える。しかし東大が法学部門において国際化、生涯学習の国家的要請に応ずる大学院の拡充をいち早く実施しようとしている時、一橋大学が国内外の経済指導者養成、ないし再教育の場として、昼夜開講制の導入、短期コースの設定、聴講生制度の活用等を行う新しい形の大学院の設置ないし講座増設は早急に検討されてよいと考える。場所は一橋の講堂跡が最適であるが、もし大学がこの土地利用について従来の構想に固執してじんぜん日を過ごすならば、国は遊休地と看倣して他に活用するおそれは決して杞憂ではないと思う。
 海外出向者の子弟(帰国子女を含む)のための学部研究科の設置には思い切って斬新なカリキュラムと運営の工夫が必要となろう。場合によっては、高等学校の付設も考えられてよい。その建設費については事柄の性質上財界の協力を求めてもよいと思う。

 6. 小平分校の国立移転について私の論文では二つの危慎の念を表明している。一つは単に老朽化した本館を国立に改築するというような名目で事を進めることの危険性である。付属施設の移転ないし増改築は当然計画の一環として考えられなければならない。又一般教育の画一的規制は廃止するという大学審議会の答申が、私の論文作成後に出た。これによれば各学部の一貫教育はやり易くなる。今まで一般教育課程と専門課程に横割りになっていたカリキュラムを各学部の必要に応じて自由にカリキュラムを組むことができる。一貫教育のためには、このようなカリキュラムの編成替えとそれに応ずる施設の建設をする必要がある。之はかなり困難な作業を伴うもので小平分校の単なる国立移転ではないはずである。つぎに学部別の一貫教育を実施すれば、国際化時代の必要に即した新たな、特色ある学部研究科を小平に設置することも比較的容易になる。なぜならば小平の土地と施設を有効に利用することとなるからである。
 私は文部省に居た頃から一般教育の画一的実施と前期課程の在り方には多くの疑問を持っていた。だから小平分校の国立移転は基本的には賛成である。もっと早く実施すれば予算の獲得も跡地利用の学部研究科等の建設も容易であったろうと悔まれるのである。
 しかし跡地利用の計画もなく、場合によっては小平の土地を財源にしてでも小平分校の移転を行おうとする考えには私は賛成できない。大学としてはそういう決定はしていないと理解しているが、そういう考えもあると聞いたので、私の危慎の念を表明したのである。

 7. 私は日本の中の一橋大学の役割、世界の中の一橋大学の役割は益々増大すると考えている。その役割を果す潜在能力も持っていると思う。そのような気概をもって現状を改革し、積極的な諸計画の立案と実施に当りたい。それが一橋大学再生の本道であると思う。