高橋 勝 |
私が一橋大学に入ったのは他の人とは違う理由からだ。誠に「非情」だが大学に入って六年間バスケットの大学リーグで活躍したいーーこれが再優先のセレクション、私立大学は念頭になく、高等学校では大学リーグでは三年きりやれない。斯くてどうやら希望通り六年間バスケットを優先に青春時代の生活を注入したが学問の方は二の次。 元々教育ということには関心があった。バスケットのコーチをやって教えることは教わることと観た。小学校二つ、中学校二つ、女学校二つ、商業学校一つ、医者の大学二つ、を長期或いは短期コーチをやった。夫々の階層で(大学を除いて)先生達とも付合った、各々のティームメンバー、環境にマツチしたコーチングをやる様に心掛けたーーこれは私もそれから得るものが大きかった。 私が一貫してやった方法は、定型的な確立された技術的な原則方法による高度のコーチングではない。基本的には、各メンバーの欠点は余り直さない、良い面を見付けてそれを伸ばす様に指導する方法だ。これで各人毎に自信を持たせる様に色々おだてながら指導するというやり方である。 もう一つは練習後、或いは合宿では練習後毎日短時間でも全員との座談をやり、チームメイト同士仲良しになる様なサヂェスチョンを一寸与えて心が通い合う様にし向けてやるーー助け合い。例えば「こいつがドリブルで敵を抜く、それをお前が助けてやる為にヒョイと横に飛んで自分の敵のマークを外す、ドリブラーがそいつにパスして受けた奴がジャンプシュートをする、パスした奴はシュートした奴を又助ける為にゴール下へ飛び、シュートが入らなければフォローする。ガードは又その攻撃が失敗した時に助けてやる様に防禦体制を整える。この様な助け合いがチームワークだ。それは皆が仲良くなってこそ出来る。コートで練習する丈けではなく日常の学校生活の色々な面で兎に角心が通い合う様なチャンスを多くもつ事だ。そして楽しい部生活を貫けば卒業しても心の通い合う友達として良い長い付合が出来るーーという調子。 面白いことに私のコーチした時も割合に成績は前よりも良かったが、コーチをした翌年翌々年位に東京府立一商は東京代表になって甲子園で全国大会の準決勝まで行った。又福島高女は福島代表で、これも全国大会で準優勝した。更に日本医大と慈恵医大は医大リーグで万年ビリ争いから三位、四位に上がった。 個性の伸長とチームワークーー私がバスケットのコーチをやって私自身が体得出来た青春期の経験。一橋の将来という大テーマについて云々するには余りにお粗末な話だが、水田君の立論の様に一橋の教育について「私塾」的な在り方をサヂェストしたい。学問主体は当然だがその基礎として個性の伸長確立が出来る様なことが大事だ。エリートは単なる名門校卒業生ではない。日本の各界のリーダーになり得る人間でなければエリートではない。夢の様な話かも知れぬが、又十年二十年で出来ることでないが、一橋に私塾的なものを取り入れるーー個性の伸長には大学四年丈けではとても話にならぬ。中学・高校の年齢から私塾的な組織、先生夫妻一組に十数名単位の塾生を預けて生活させ、卒業したらその塾生の向き向きの大学学科に進めてやる。先生は万能コーチーー正に白昼夢。三十年五十年先にこんな教育がやれる様な世の中になって欲しい。一橋にユニークさを求める些かのサヂェスチョンーー妄言多謝。 |