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西川 元彦 |
「一橋大学の将来を考える」討論会で、私は二つのことを述べた。その一つは、一橋の学風のルネッサンスということであった。ここで学風とは「実学」的なそれを指し、一橋に伝統的な実学は、一見するより遥かに次元が高く、そして極めて視野の広いものであった。この実学という点で旧帝大とは丸で違う。しかし、このことは別稿で書いたので、ここでは、もう一つのこと、標記のような一種のアクション・プログラムについて誌したい。諸彦の賛同を得られるかどうか、私なりの真面目な空想である。 (語らいの会・私案の趣旨と概要) 手っ取り早くいえば、十二月クラブの有志全員で昔の予科、今の小平分校の先生をやろうではないかということである。人生経験を積んだ我々全員有資格者たること間違いなしと思う。信州大学でアグネス・チャンが正規の先生になったこともある。我々の場合何も正規である必要はなく、手弁当・私塾のオヤジさんである方が好もしい。こういう事を思い付いたきっかけには色々ある。 ○ 先ず第一には、よくは知らないが小平は今荒れていると、時々見聞してきたことである。小平は厄介ものだという声さえあった。やっと受験戦争を終えた新入生を待ち受けていたものが、若し本当にそんな小平だとすれば、彼等の心情如何。背筋が寒くなる。人生で一番大切な二年間である。むろん優秀な学生は国立に進級後大いに勉強するだろうが、就職のための単位・優稼ぎにはならないか。人格形成もなく、学問や人生への夢も定かでないまま、となりはしないだろうか。新制大学の前半二年間は教養課程などというが、どこの大学でも余りうまくいっていないと聞いている。幸いに一橋では、校舎の衣替えや国立の専門課程との一貫教育制度などが進み始めたらしいが、実際問題として万事うまく進むかどうか。何か我々にお手伝いできることはないか。 ○ そこで第二には、直ぐにでも出来そうなことで母校へ恩返しをしたいというわけである。あれこれの議論より実践が先だろう。実践の積み重ねで議論にも実がついていく。それに、いくら母校の将来を真摯に憂え大所高所の議論をしても、評論家的、批判的になっては、当事者たる大学当局や現役の先生方を困らせ、悪くすると反発を招かないとは限らない。曾て「一橋の学問を考える会」が如水会で何十回とあり、長老OBや名誉教授と現役教官が交々にスピーチされたが、何かしらそういう懸念が拭い切れなかった。これは学問研究の話だが、大学には研究のほか教育や運営の問題があり、研究に忙殺される先生方には、こちらの方が厄介かも知れない。だから、お手伝い出来そうである。一種の教育だが、むつかしい理論の解説という教育ではなく、人間教育とその運営の一助ということとなる。段取りはどうするか。 ○ 会の名前 ○ 会の運営 ○ 発足の手筈 (出講有志へのお誘いーー私の体験二話) 想い起せば確か昭和五十年から十年近く、私は国立で毎週教壇に立っていた。貨幣に力点をおいた経済原論だったが、日銀が本職だったので、自然に金融政策のことにも及ぶ。ところが政策実践はあらゆる現実を踏まえると同時に、上には価値理念や哲学にも折にふれ思いを致さざるを得ない。つまり私の言う高度の実学に行きつく。教官室で先生方と茶呑み話をよくしたが、貨幣に哲学ありやと詰めよられたこともあった。その頃の思出話、といっても学生との間のそれを二つばかり書いてみる。よしそれなら俺もという気を起してくれる人があれば嬉しい。 第一話 第二話 曾ての予科では上田貞次郎先生が修身を教えられた。三浦新七先生は道義を担当されたという。我々凡人には両大先生の代講などは迚もできない。しかし、売った買ったの世界を身近かに、しかも長い間経験しており、その中で折にふれ人間の根本に多少は思いを馳せたこともあった。我々全員のそれを合せれば、両先生にも負けないかもしれない。 若し売買が単なる賎業だとすれば、我々の一生は一体何だったのだろう。後輩も同じである。就職に有利という程度の動機で入学してきた新入生にも、何かを、少しでも訴えようではないか。実業界に身を寄せるであろう新人に、実業の「志」を、それへの「夢」を点じえないだろうか。我々に相応しい最後の御奉公と思う。 |