三好 啓治

 

 私は昭和二十六年から一年間フルブライト制度で留学し、そのご山口県庁につとめ、昭和五十六年退職し、五十七年から私立徳山大学で英語を教えた。私には学術論文がないから教授になれなかった。
 昭和六十年から同大学の理事になり、平成二年一月から同大学理事長をしている。
 三月十二日の自由討論会を楽しみにしていたが、この大学で学長の退陣問題がおこり、私は根拠地を離れられなくなりました。そこで、文書参加をします。

 @ 如水会々報新春号の二十ぺージから、在学生服部・藤川君の面白い論文がある。この中で「一橋生の英語能力が低い」という事に、驚きと残念さを覚えます。一橋の特徴は英語にあったのではないか。

 「いざ雄飛せん五大州」というのはダテに歌う歌ではありません。五大州に雄飛するには英語力がいる。
 昭和十一年の予科入試のとき、各教室を廻ってきたラッソー先生を覚えているだろう。あのころからヒヤリングテストがあった。(毛筆の作文もあったのを覚えている)。その伝統をいつ誰が破ったのだろうか。

 A その英語力をつける一方法として、英米(仏独もよい)の経済・経営学者を呼び、生の英語で講義をさせたらどうか。この一科目を必修にする(少なくとも商学、経済学部)。そんな先生が呼べなければ、十二月クラブで雇い入れたらどうか。この学者はこちらで教えると共に、日本的経営論を勉強する意欲のある学者がよい。