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大串 隆作 |
最近の若い人達は、受験でも、就職でも、その志望先の選択は、イメージによって決めるといわれている。大学受験の場合は、更に偏差値が加わって志望校が決められるのが実状であろう。そのことが、昨今指摘されている、一橋大学学生の質の問題と関係があるかどうか私は知らない。もう半世紀以上前、私達が予科の学生であった頃にも、「昔に較べて東京商大の学生は質が落ちた」という言葉を、幾度となく聞かされた。それに私自身、自分は出来の悪い学生であったと思っているから、ここで「現在の一橋大学の学生は質が低下した」などと、今さら批判がましいことをいう積りは全くない。只、今の学生は自分から、どうしても一橋に入り度いと思って受験するのか、その点私は聊か疑問に思っている。 私が商大予科を選んだのは、当時次兄が大学の本科にいたということもあるが、『東京商大は官学にして私学』と兄がいった一言に惹かれたからである。兄は昭和六年予科に入学したが、偶々その年の十月、籠城事件が起きた。兄も勿論一橋に籠城するため、真剣な顔をして出掛けたが、父母はこのことをひどく心配した。しかし私は、官立の大学であり乍ら、政府が決めた案件に対して教授、学生、OBが一体となり、正論を以て敢然と立ち向う姿勢に、当時は未だ少年であったが、大きな驚きと感動をおぼえた。 私達は戦争のさ中に卒業したが、あの戦時下大きな圧力の中にあって、常に批判精神を持ち続け、飽く迄も学問の自由と大学の自治を守り抜いた東京商大はやはり『官学にして私学』であったと思う。今なお私は、この大学に学び得たことに深く感謝して居り、高い誇りを持っている。そして卒業してから五十年たった今日、私達は母校の発展のために、後輩となる学生諸君の将来のために、何か具体的に出来ることはないか考えてみたい。 一橋は東京高商時代から他の学校に較べ、卒業者の割に海外で働く人が多かったと聞いている。爾来、色々な立場で国際的に活躍する人の多いのは一橋の伝統であろう。このことは一橋会歌の歌詞を見ればよくわかる。特に最後の一節「いざ雄飛せん五大州」にそれがよく象徴されている。 如水会が毎年実施している事業の一つに、昭和六十二年度から始まった海外留学奨学金及び外国人留学生奨学金という素晴らしい制度がある。この他にも明治産業が基金をもつ海外留学金制度があって、これ等はいずれも、学生達にはいうまでもなく、大学側からも喜ばれていると聞く。平成三年度の如水会事業計画を見ると、海外留学生奨学金として約三千二百万円、外国人留学生奨学金として一千百万円が予算に組まれている。それでも本年度の海外留学生数は、過去最多ということだが、如水会で十四名、明治産業の四名を加えても十八名でしかない。在学生の多くは留学を希望しているが、実際に留学出来る人数が少いため、最近は諦めて志願者が減って来たと聞いている。せめて毎年最低でも二十数名程度の留学生を派遣出来るようになれば学生も更に張合いが出るであろうし受験生の間に一橋大学の留学生制度は魅力あるイメージとして定着するであろう。優秀な受験生が増えることは言を俟たない。如水会が今后とも奨学金をふやしてくれるのが最も好ましいが、他の事業とのかねあいもあって大巾増加は望めそうもない。その場合は私達が、個人であれ、クラス・年次単位であれ、金額の如何を問わず、後輩たちのため、奨学金として醵出できないものであろうか。 如水会には別法人として「財団法人一橋大学後援会」があって寄付金を随時受付けているが、この方は主として大学の先生方や大学及び施設関連の資金として運用されて居り、事務局によれば、留学生奨学金として使途を限定して寄付することは、当然のことながら認められないとのことである。 そうであるなら、今後如水会の中に例えば『足長おじさん基金』(仮称)のような、みんなが金額の多寡に拘わらず気軽に留学生奨学金として寄付出来る受入先をぜひ作って欲しいものである。 |