卒業五十周年記念事業の一つとして文集刊行が決ったとき、三十周年、四十周年の二つの文集発行の実績をふまえ、夫々の編集委員長、鈴木栄喜君、倉垣修君からその経験を学んだ上で、四百ぺージ位にまとめることを予想して計画を立てた。
所が各クラス委員の寄稿依頼に対する反応は活発で、遺族の方々の寄稿も多く、〆切日を過ぎ初校を終える頃には、前より活字を少し大きくしたとはいえ、文集本文だけで千ぺージを越えることになった。これに特集部門やアンケートのまとめ報告を加えて、千百ぺージを凌ぐ大冊となった。
私達の努力は、原稿を集めることから、予測の三倍になった文集を盛りこむための費用を承認して貰うことに向けられた。しかしこれは嬉しい苦労であった。この内容豊富で充実した文集は、私達クラブ会員の友情と活力の凝集したものであり、感激であり感謝である。六十周年にも記念文集が企画され、その編集に携わる人々が私達と同じ喜びを持つようになることを期待したい。
なお、口絵は木島利夫君、柴沼庄左衛門君の油絵で飾ることが出来た。表紙の背文字、扉の題字は『波濤』と同じく杉原直門君にお願いした。各組表題の七枚のスケッチは水田正二君を煩せた。
文集編集委員の諸兄には原稿収集から整理まで大変な努力を頂いた。たびたびの会合にはすべて手弁当で、会員との通信連絡の費用もすべて自弁、ないしはクラス基金負担で沢山の寄稿を得てくれた。厚くお礼申し上げる。
学園史編纂室の高田淑子女史には一方ならぬご尽力をいただいた。十二月クラブ文集用原稿用紙の準備からはじまって、原稿の整理、編集、校正、のすべてにわたって処理してくれた。口絵のカラー原画の撮影、アンケート回答の集計とまとめなど私達ではできなかったと思う。心から感謝します。
平成三年(1991年)十二月
記念文集編集委員
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委員長 |
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渡辺 公徳 |
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副委員長 |
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折下 章
大串 隆作 |
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専門委員 |
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新井 隆
酒井 襄 |
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編集委員 |
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1組 |
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鈴木 貞夫 |
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2組 |
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鵜沢 昌和
中牟田研市 |
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3組 |
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田島 博明 |
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4組 |
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武川 祥作
蘆田 正之 |
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5組 |
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小林 悦生
佐藤 敏登 |
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6組 |
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鈴木 栄喜 |
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7組 |
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岩本 治郎 |
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