4組  阿波 博康

 

 早いもので卒業以来もう五〇年、齢七三歳を数えるに至った。その間を振り返ると長い様でもあり、あっと思う程短い年月の様にも感じられる。

 繰上げ卒業して就職もそこそこに昭和一七年二月三島野戦重砲に入隊、一橋での不足分を予科の向かいの陸軍経理学校で絞られ、北満延吉での一年、西部ニューギニアで食うや食わずの数ヶ月も含め、戦争からおいてきぼりになった二年半、昭和二一年五月オランダ軍の捕虜から解放されて紀州田辺港に上陸し、大阪を通って金沢の兄の家に帰った時は今浦島の感じであった。

 中世古清忠君が同じニューギニアの我々の極く近くに居て、一九年八月に戦死されたと後日ご両親様と妹さんから聞き、残念でならない。同君とは大連一中の同期で、暫く同君のお宅にお世話に成り、机を並べて商大受験の為頑張ったのが忘れられない。心から御冥福をお祈りしている。

 家内の里が熱心なクリスチャン・ホームで、結婚式も教会で挙げ、感ずる処があって洗礼も受け、今も千里山教会に通って居る。正直な処余り忠実な信者とは言えないが、生涯の心の拠り所としている。

 復員後籍を置いていた神戸製鋼は鍋、釜を作っていて復職の希望も持てず、神戸で一、二の小企業に勤めてみたが面白くなく、岩波兄に相談にゆき、兄のご尊父様の勧めもあって今の日本ピラー工業に勤める事になり、私の一生の仕事となって、何時の間にか四〇数年を過ごし今日に至っている。

 四年前に現役をハッピー・リタイヤーし、気軽に毎日出社しているが、本文集が出る頃には週休六日の暇を持て余す日々を過ごして居ることと思う。

 会社の方は総勢四〇数人の小企業から、やる気のある熱心な良い従業員に恵まれて六〇〇人まで発展し、在任中に株式の上場も出来、パツキン、メカニカルシールのみの専門メーカーから、エレクトロニクス、建築関連の樹脂部門を拡充し、もう一本の柱を確立出来た。

 まだまだ開発、開拓に多くの課題を抱えているが、岩波兄の長男が社長となり、若い経営陣がJUMP3Kを旗印に一〇年計画で頑張って居るので将来を楽しみにしている。

 そんな訳で中小企業に打ち込んで来た四〇年に何の悔いも無い感謝の日々であるが、只一つ其間にもう少し勉強して何か良い趣味を養っておけばこれからの日々をもっと充実出来るのにと心残りに思っている。

 数少ない趣味と言えばドライブ旅行、下手なゴルフぐらい。旅行と言っても観光地の温泉旅館なんか費用の点からもそうそう利用出来ないが、幸い前々からジャンボクラブオーナーホテルとダイヤモンドクラブに入って居り、会社の会員ホテルを併用すると、結構一〇日間くらいは程々の費用で楽しめる。

 行く先は主に信州、白浜、北陸、山陰等で、JRには申し訳無いが、電車は殆ど利用せずオーナードライブに終始している。家内も随分前に免許を取り一応運転出来るのだが横に乗っている方が空ブレーキを踏んだりして疲れるので、ついつい独りでハンドルを握っている。運転は性に合っているのか、連日の長距離ドライブもさして苦にならない。箱根、東京の往復や信州の山野を一〇日間に二〇〇〇キロ走り廻った事もある。家内は運動はするのも見るのも余り関心が無いようだが、書や日本画に興味をもっており、旅先でゴルフに行っても宿で独りで何か画いて居てくれるので助かる。

 それにつられて旅先でよく美術館を訪れるが、丸や三角の抽象画は苦手で、素人分りのよい風景や人物、生物画等を中心に見て廻っている。

 昨春初めて仕事を離れて家内と二人で一〇日間程欧州旅行に出かけ、ウィーン、スイス、パリを観光して来た。段取りや切符の手配、荷物の受渡しが億劫なのでJTBのツアーに参加したら、何と一一組中一〇組が新婚さんで、未だパスポートの夫婦の名字が別々なのに驚くと共に、若い人々がどんどん海外に出掛ける新しい時代を感じた。

 若夫婦ばかりでどうなるかと心配していたが、かえって頼りにされ、荷物を持ったり席を譲って呉れたりと親切にされて若返り、楽しい旅行を堪能出来た。

 自然、特にアルプスや牧場、町並や湖畔の公園が美しく思えたが、中でも街の建物や高速道路脇に広告看板がないこと、街に電柱電線が見えない事、スピーカーよりの騒音が聞こえない事、街中の建物が五階建位に統一され個性的だが良く揃っていることなど、何となく品位が感じられ美しいと思った。日本での大都市集中やアメリカ式の高層建築の乱立、山野の自然や町並の美しさを害する広告看板の見苦しさなどに、再考の余地在りと思うのはリタイヤーした者の戯言なのだろうか。

 パリではオルセー美術館を楽しみにして居たが生憎休館日で、やむをえずルーブルを訪ねたが余りにも広大で、限られた時間ではモナリザとミロのビーナスを見るのがやっとであり、只物凄く広いという印象しか残っていない。

 ゴルフの方はキャリアを聞かれると返事に困るが、年と共に飛距離は下がりスコアは増える一方で閉口している。それでも健康の為と称して仲間を捜し、結構コースに足を運んでいる。

 健康と言へば、元来丈夫な方で、十数年前に軽い胃潰瘍と腎炎を患ったが暫く入院し内科治療のみで跡形もなくなった。そんなことで医者とは余り関係が無かったが、一昨年夜中のトイレの回数が多くなり残尿感が有るので知合いの専門医に相談したら、前立腺肥大だから直ぐ手術をしようと言われてびっくりした。体にメスを入れるなんて後にも先にも経験無くビビッて居たら、手術といったって腹を切り開く訳でも無く、チュウブの先のグラインダーで肥大したところを一寸削りとるだけですよ、気の弱い事言いなさんな、と言われ、観念して手術台に乗る事にした。終ってみると確かに治療は痛くも痒くも無く後はさっぱりして非常に気持ち良くなった。前立腺というのは高年者が罹りやすい病だそうで、若し気にかかる方があったら是非専門医に相談されることをお勧めしたい。

 現役時代はさほどでも無かったが、仕事を離れてからは人との出会いが非常に懐かしく感じられる。

 東京におれば一二月クラブの集りも多く楽しい時が過ごせるのだが、離れていると出掛けるのも中々億劫でついつい失礼して居る。

 それでも関西での一二月クラブの集りや大連一中の緑桜会、陸軍経理学校同期の関西九紫会等には努めて出席して旧交を暖めている。

 原稿依頼を受けて何を書けば良いのか思案したが、結局卒業以来五〇年の自分の歩みを披露することで責めを果たしたい。

 幸い今のところ夫婦共々何とか元気に過ごして居るので、一二月クラブの諸兄とのご厚誼を大切にして、二一世紀までこれからも明るく楽しく健康な日々を送って行きたいものと願っている。