7組 枝廣 幹造 |
わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我々の好悪である。或いは我々の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。 ではなぜ我々は極寒の天にも、将に溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであろうか?救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依ったのであろうか?より大きい快を選んだのである。……且又水や寒気などにも肉体的享楽の存することは寒中水泳の示すところである。なおこの間の消息を疑うものはマゾヒズムの場合を考えるが好い。あの呪うべきマゾヒズムはこういう肉体的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加わったものである。わたしの信ずるところによれば、或いは柱頭の苦行を喜び、或いは火裏の殉教を愛したキリスト教の聖人たちは大抵マゾヒズムにかかっていたらしい。 我々の行為を決するものは昔のギリシヤ人のいった通り、好悪の外にないのである。我々は人生の泉から最大の味を汲みとらねばならぬ、『パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿れ』やそさえ既にそういったではないか。賢人とは畢竟けいきょくの路にもばらの花を咲かせるもののことである」。 これは芥川竜之助の侏儒の言葉の中の一節(好悪)である。山口高商三年の時、当時赴任したばかりの滝沢克巳先生が芥川竜之助論の冒頭で示されたものである。滝沢先生は、エピクロスの快楽説、アタラクシアからカントの実践理性批判を経てトーマス・ヒル・グリーンの自我実現説に至り、我々の人生の目的、何を基準として行為すべきかを述べ、更に何故芥川が自殺に追いこまれたかを、内面的に分析して我々に教えられた。自殺したのは彼が神を知らず、只人生を決定するものは遺伝、境遇、偶然の三者であるとして、それらの根底に存する神を見得なかったからであるとされた。しかし彼の天才的な世の常識に対する批判はこれを是認したのである。芥川は多くの警句を残している。その中で今に至るまで私を捉えてやまないものは、次の「小児」である。 当時(一九三七年)山口の校長は生徒と記念写真をとる時なぞ必ず右胸にあの大きな勲章(勲二等か)をつけていた。一方で滝沢先生は芥川の侏儒の言葉で、勲章小児病論をやっていたのだから、我々の眼には校長の得意然たる姿がいかにも滑稽に見えざるを得なかった。その後私は商大で阿部次郎の「人格主義」、「三太郎の日記」や「トーマスヒルグリーンの思想体系」を読むに及んで、ますますこの芥川の説に賛成するに至った。 形式よりも、表面的なものよりも、その内容、その行為の裏にひそむ動機、内的心情こそがその本当の価値を示すのだという考え方。これを教えられたのは商大一年(一九三八年、私は一年休学)の時よんだ阿部次郎の「人格主義」である。 「……われわれは自ら正しい人となるために、『罪と罰』のソニアと、夫に対する真実の愛なくしてしかも夫の富貴を誇りとする貴婦人とーこの二つの者に対していかなる態度をとるべきであるか。ソニアは身を売った女である。父と継母と継母の子とのためにその身を売った女である。しかし身を売ったのはソニアばかりではない。彼の貴婦人も富貴に代えるために身を売った者である。およそ夫に対する愛なしに結婚生活をしている女はーたといいかに法律上の手続をふんでいるにせよ、又いかに貴婦人として婢僕の追従を受けているにせよーことごとく身を売る者である。この両者は身を売るという不義に陥っている点において等しく戒律にそむき、しかも等しく邪淫戒という同一範疇の戒律にそむいているのである。しからばわれわれはこの二つの者に対して又同一の態度をとるべきであるか。この両者を同様に取り扱うことによって、われわれはわれわれ自身正しい人となることができるか。 問題は内面的態度、動機如何であり、外面的なものではない。即ち、我々の価値判断の基準は、外面的事象ではなく、その奥にある内面的なものであるのが真実である。従来私の懐いていた娼婦は軽蔑すべきものという考え方を根本から覆すものであった。 ついで同じ頃読んだ阿部次郎の「三太郎の日記」によって、我々にとって内省のいかに重要であるか、深く考えて初めて事物の真の価値判断が可能であるということを教えられた。三太郎の日記は至るところで私の今までの生活がいかに浅薄なものであったか、その心情が世間一般の考え方に左右されていたかを、痛烈に反省させた。当時私の友人にこのことを打ちあけた手紙を書いたら、彼は私が誇大妄想に陥っているのではないかといってきた。私は自分の心情を考えれば考える程自己嫌悪になり、全く神経衰弱ではないかと自分で思った。三太郎日記の中で最も影響を受けたのは次の一文である。 三太郎はある日上京してきた尊敬する友人Qと口論し、ひどく傷つけられる言葉をQの口から聞くこととなる。そして彼はQの態度を軽蔑しようとする自分の態度を反省して悲しむ。「……併し彼(三太郎)が自他融合の基礎を、他人の彼に対する愛と理解との上に築こうとすれば、こうなって行くより仕様がないのであった。彼がこの立場に立っている限り、Qのような特別に敬重すべき人格とさえ融和の道が絶しているのに相違ないのであった。彼は今、問題はこの根本にあることを悟った。自ら求める心を挟んで他人に対すれば、凡ての人が彼に向って彼自身の求めるものを悉く与えることが出来ないことは固より極っている。それは恰も彼自身が他人の求めるものを悉く与えることが出来ないと同じことである。故にこの立脚地にある限り、自他の関係は必ず不満、憤怒、憎悪等でなければならない。併し暫く自己の要求を除外して対象それ自身の生活を仔細に見れば、凡ての存在には彼自身の価値があり欠点があり苦悩があるに違いない。……故に自ら求むるところなき愛を以てすれば、彼の敵も、彼の誹謗者も、凡て親愛すべき同胞に相違ないのである。自ら求める心を挟んで他に対する者は、求めるものを与えるか与えないかの一点のみを拡大して、対象そのものの真生命を蔽遮する。自ら求める心を空しくして他に対する者は、あらゆる存在に美と真と誠とを認めて悉く之を愛することが出来るようになるのであろう。彼は後の命題の真実をば未だ知ることが出来ないものであった。併し前の命題の真実をば彼自身の苦しい生活において味い知ってきた。彼は「忍辱」という言葉が新しい輝きを帯びて自分の前に復活してくることを感じた。 自分の生活の中心を名声におけば、自分の名声に不当の損害を与える者は彼の敵に相違なかった。自分の生活の中心を愛せらるることにおけば、彼を愛せぬ人は路傍の人で、彼の愛を妨げる者は彼の敵に相違なかった。併し彼の生活の中心を他人によって侵害せられざる「天」におけば、彼の名声を傷つける者も、彼の愛を妨げるものも、根本的の意味において「彼」の敵ではない筈であった。そうして求むるところなき愛の眼を以て見れば、彼等は唯、他人に不当の侵害を与えずにはいられないような、小さい病める同胞の一人に過ぎない筈であった。彼はここに至って、漸く「汝の敵を愛せよ」という言葉の意味を悟ったような気がした。愛する者に敵はない筈であった。彼の敵は彼の患ある友に過ぎない筈であった」。(三太郎の日記、第二、十一、砕かれざる心)一188 私は内省、自己の内面を反省すると必ず自己の欠点、弱少さ醜汚さをみせられ、悲観して不愉快になり、これを如何に打解するかに困却していた。阿部次郎は、これに対して次のようにいう。 「……ゆえに内省は時としてわれらを悲観と絶望と、猛烈なる自己嫌悪とに駆る。真実を観るの勇なき者が、常に内省の前に面をそむけて、その人生を暗くする力を呪うのはまことに無理もない次第である。しかし胸に暗黒をいだく者は、その暗黒を凝視してその醜さを嘆くの誠を外にして、暗黒から脱逸するの途がない。真実の真視からくる悲観と絶望と自己嫌悪とは、弱少なる者を生命の無限なる行程に駆るの善知識である。暗黒を恐れる者は、悲観を恐れる者は、そうしてこれらのものを生むの母なる内省を恐れる者は、到底人生に沈潜する素質のない者である」。(三太郎の日記、十八、沈潜のこころ) 阿部次郎は、内省を続ければ必ず無意識の底にある力にゆき当り自己肯定を得るというが、私にはそれは不可能であり、当時の私は常に内省によって反って哀れな状態になっていた。 ある時、既に母と父を相ついで失い、帰るべき家を失った私に同情して、堀尾という先輩の母親が、中村天風先生を紹介してくれた。そして私は商大二、三年と天風先生の講習会に通い、いかにして自分の生活を立て直すかを学ぶ。その心身統一法は、人間は凡て神に通ずる能力をその中にもっている。これを潜在意識の中から、暗示という方法や、インドで先生が苦行して修得したクンバハカという方法等で、引き出すのだというのがその教えの中心である。以下はその暗示の主なるもの。 「神韻縹渺たるこの大宇宙の精気の中には我等人間の生命エネルギーを力付ける活力なるものが隈なく存在している。……」 その他にも多くの誦すべき暗示があるが、要は我々の心の奥には神に通ずる潜在意識があり、この意識を常に積極的思考で消極的なものを排除するようにしておけば、神の力を我々に引き寄せることができようという教えだ。そのため自分に暗示をかけ積極的な生活を行うべきだというのである。消極的なものー悲観、恐怖、恨み、怒り等の観念を心の中から排除して、積極的なものー歓喜、感謝、笑い等に満たされた心を持つように心掛ければ、この世界に満ち満ちている神の力をわが心の中に受け入れ得るだろうという。私は爾来可及的に積極的に物を考えるように努力したが、なかなか積極的な宇宙の力を受け入れ、凡て消極的なものを心から追い出すことは出来なかった。一寸油断するとすぐ、自分の心の中は絶望や恨み、不満といった消極的なものによってみたされてしまう。 先月上智大学のデーケン教授が、「第三の人生ゆうゆう論」というテーマで我々の生き方を話されるのをきく機会があった。我々第三の人生を歩んでいる人の大部分は、消極的な考えに把われているというアンケート結果がある。これではますます暗い人生を送ることとなるので、これを積極的な思考の人生に変えるよう、常にユーモアのある、ほほえみのある生活になるよう努力する必要があると、全く天風先生と同じことを述べておられた。 阿部次郎も中村天風先生も、人間を神に近づけることが理想だという点では同じだ。只その方法として、前者は内省に徹底することを、後者は積極的な思考に徹することをのべる。我々凡庸者には後者の方が実行し易い感であるが果してどうか。 もう私の人生は七十年を越える。五十年前に読んだ阿部次郎の本でも、全く同じ個所に赤線を引く有様だ。自分の思想とか考え方はそれ程進歩していないのではないかと戦後求めた阿部次郎全集を読みながら思った。 最後にゴルフのことを一言。ゴルフはいかにミスを少なくするかのゲームだといわれる。ミスのことばかり考えていると決して良いスコアは出ない。天風先生のいわれる消極思考が又宇宙の中の消極さをよぶということだ。だから岡本綾子がいうように、ミスではなくて成功した良いショットを常に思えということは、天風先生流の積極思考と全く同じだと思われる。 私が戦前何度も読み返していた名文を終りに掲げる。 小生にとって一九九一年は、金婚式の年である。 |