1組故橋本較一妻 橋本 小夜子

 

 「竹下景子さんを囲む会という催しをしますのでいらっしゃいませんか」
 当時十二月クラブの幹事長をしておられた一組の新井様からお電話をいただいたのは、昭和六十二年三月のはじめでした。その頃の私は、主人亡きあと七年間一緒に生活していた姑を前年に見送り、主人が他界した時、高校二年生だった末娘も大学を卒業して就職し、やっと責任を果したという思いで何となく力が抜けたような気持ちの毎日を送っていました。いつも送っていただく十二月クラブの御名簿やクラブ通信でお名前は存じあげていても、お顔なじみの方もあまりいらっしゃらないし、主人もいないのにあつかましいのではないかと一寸躊躇していましたら、娘が「折角さそって下さったのだから出席してみたらどう?」とすすめてくれたので、勇気を出して如水会館に伺いました。

 はじめはドキドキしながら席につきましたが、会員の方々も奥様方もとても御親切にいろいろ話かけて下さり、すぐにうちとけて、竹下景子さんのお話も大変たのしく、又如水会館のシェフが腕をふるわれたお料理もおいしくいただき、久し振りに幸せな気持ちになりました。一ぺんに十二月クラブの楽しさを知り、それからはお誘いのあるたびに出席させていただくようになりました。それまであまり外へ出掛けることのなかった私にとって何もかも珍らしく楽しく、いろいろな講師の方をお招きしての有意義な例会に、「史跡めぐり」や「バスハイク」等々。だんだんとお顔なじみも増え、束西懇談会の旅行も二回連れて行っていただきました。そのたびに沢山の写真をうつして送って下さるので、思い出のアルバムがもう五冊にもなりました。

 いつも感じることですが、各クラスの役員の方々が一生懸命趣向をこらして、多岐多才な講師の方をよんで下さったり、良い場所を探して下見に行って下さったりと、陰の御苦労があればこそ毎回楽しく過させて戴けると感謝の気持ちで一ぱいでございます。それにしても男の方の友情というのは、本当に素晴らしいですね。十二月クラブの会員の皆様を拝見していると、とても羨ましい気が致します。

 卒業して五十年という長い年月を経て、ますますその友情の強さというものを、集いに出席させていただくたびに感じます。主人も存命ならばこんなに素晴らしい会に出られたのに……と思いますと残念でなりません。十二月クラブの会に出席する時は必ず「これからお友達の皆さんにお会いしてきます」と仏壇に手を合せ、帰ってからは又「今日はこんなことがありましたよ。楽しかったですよ」と報告いたします。今の私は十二月クラブの集りに参加させていただくのが唯一の楽しみになりました。

 前日孫達に「明日おばあちゃんは出かけますよ」と言いますと、「十二月クラブでしょ」と申します。おばあちゃんの出掛ける時は十二月クラブの会と心得ているようです。

 このように十二月クラブの会に出席出来る最初のきっかけを作って下さった新井様、又参加するたびに優しく接して下さった会員の皆様や奥様方に心から御礼を申し上げます。そしてこんなにあたたかな友情に包まれる喜びを遺(のこ)してくれた亡き主人に「何にもまさる大きな財産だった」と感謝している日々でございます。

 卒業五十周年記念文集に載せていただくには誠におはずかしい幼稚な文章ですが、今の私の気持ちをありのまま記しました。
 会員の皆様方奥様方、ますますお元気でこの十二月クラブが長く長く続きますようにお祈り致します。
 これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

 




卒業25周年記念アルバムより