5組  早川 泰正

 

 いかにも固い表題だが、これを選んだ理由は、世紀の一大実験ともいうべき一昨年秋の「ベルリンの壁の崩壊」以後の東西体制の急変が、私にとって大学時代のゼミナールの思い出を鮮明に甦らせてくれるからである。

 マル経とは、いうまでもなく一九世紀の後半にマルクスによって創設された経済学の流れをいう。これにたいする近経は、やはり一九世紀後半の一八七〇年代以後、イギリス、オーストリア、フランスなどの経済学者によって展開された経済学の総称である。マル経が独特の社会思想によって資本主義経済を批判し、新しい社会主義経済社会の到来を主張したことは周知の通りである。反対に近経は古典派経済学の伝統を受けて、研究の対象を自由競争経済においている。

 このように二つの経済学は、よって立つ社会・経済思想はもちろん、その理論内容においても対立する。しかるに双方からの相手側にたいする批判は、少数の例外を除けば、きわめて稀薄であった。その少数の例外すら、相互の批判はイデオロギイ的反発に近いものであった。むしろ二つの経済学はそれぞれの陣営にこもって、相手側を黙殺したといってよい。

 そこで半世紀をふり返って、大学時代に戻る。私のゼミナールの指導教授の杉本栄一先生は、終戦直後の昭和二一年に「近代理論経済学とマルクス経済学」と題する論文を発表された。そのなかで先生は、二つの経済学の特徴、その長短を明快に指摘された後に、二つの経済学が学問的鎖国状態を改めて、相互に切瑳琢磨しなければならないと力説された。当時学問的にも戦後の混迷期に投じられた、この論文の意義は大であった。しかし残念にも、当時この論文の主旨を正当に評価する声はなかった。この論文にたいしてマル経、近経の両陣営から投じられたものは、科学的とはほど遠い悪意とひやかしに満ちたものであったことを記憶している。しかし当然のように、ゼミ生に与えた影響は大であった。私などを含めて、二つの経済学にたいして先入観や違和感をもたずに勉強できたのはそのおかげである。

 さてゼミナールの回想にひたりながら、「ベルリンの壁の崩壊」以後の東西体制の急変について考えてみる。この大実験の内包するものが、社会主義計画経済の行き詰りと、その対応策としての市場経済の導入にあることはもはや周知のところである。そこでこのことは、科学としてのマル経の失敗をいみするであろうか。一部のマルクス主義経済学者は、資本主義後進国のロシアにおけるレーニン・スターリニズムの特殊性を強調することによって、計画経済の行き詰りがけっしてマル経の無効を示すものではないと力説する。果してそうであろうか。

 この疑問をわきにおいて、市場経済の導入が東側の計画経済体制にとっていかなるいみをもつかを考えたい。市場経済の導入は果して万能薬あるいは特効薬となるであろうか。資本主義経済は一九世紀後半の独占化時代を経由して、二〇世紀の三〇年代にいたって一大試煉期を迎えた。長期沈滞とよぶこの時期に、市場経済は政府の誘導政策を導入する一種の混合経済体制に進んだ。ケインズの経済学がその指針となったことは周知の通りである。したがって現在、東側の計画経済体制が市場経済を導入するといっても、そのことは自由市場経済の初期の段階に戻ることでは勿論なく、せいぜい計画経済の大枠のなかに市場経済的要素を包含することであろう。ここで昨年一一月に来日したチェコスロバキアのドブチェク議長の発言が示唆的である。「資本主義経済をそのまま取り入れることはできない。めざす体制は資本主義と社会主義の双方の長所を取り入れた新しい体制である」と。私の意見をつけ加えれば、双方の長所をいかに取り入れて、ここでも新しい混合経済を構成するかは、ソ連、東欧諸国のそれぞれの経済状態のほかに、さらに政治的、民族的、宗教的事情によって異なるものでなければならない。

 再びマル経と近経に戻って考える。日本の大学においては二つの経済学を区別し、それぞれ独立の教科目として扱う場合が多い。しかし外国の大学、研究機関においては、研究者が二つの経済理論のなかで自己の体系に役立つ理論要具を勝手に引き出して理論を構成する場合をよくみる。戦前の事例においては、とくにポーランド系の経済学者に、この傾向があった。いまは亡い、これらの人々が現状をみて、いかに発言するかは興味深いところである。ここでさきほどの疑問に戻る。計画経済体制の行き詰りをもって、マル経の無効を宣言すべきではないと私は考える。しかし理由は、一部のマルクス経済学者とは全く異なる。マルクスは社会主義計画経済の到来を主張はしたが、資本主義経済の運動を通して、それがいかに達成されるかを論証してはいない。経済理論にたいするマルクスの貢献は、「資本の運動」を究明するために、一種の動学理論を提起したことにある。マルクスの恐慌理論がそれであろう。しかし理論は未完成のままに残された。現在、経済変動あるいは景気変動の理論として展開されているものの多くは、この点でマルクスおよび非マルクス経済学者の努力によって体系化されたものである。その点からいえば、マル経と近経は、ベルリンの壁のように、すでに境界を撤去したといってよいであろう。イデオロギイを別にして、経済理論はただひとつ。半世紀を経過して、不肖の弟子は恩師の教えをこのように噛みしめている。