5組故井上一造妻  井上裕子

 

 武蔵野の面影をとどめるキャンパスの図書館に、突然聞こえてきたのは、日米が戦争状態に突入したという臨時ニュースでした。
 昭和十六年十二月、十二月クラブの方達が繰上卒業されたのもその年でした。

 此の度、十二月クラブ五十周年との事を伺いそのご発展、心よりお祝詞申し上げます。会員の方々の社会的にご立派なご活躍をされる一方、十二月クラブを守り育てる深く細やかなお心遣いによるものと存じ上げます。
 あれから五十年の歳月が過ぎ去っていき、その中に主人と共に過ごした月日も織り込まれていた訳です。

 昭和三十二年一月、主人の急逝後更に三十年余経ちました。慣れない勤めも、どうにか終え、定年退職後自分の時間を持ち得たこの頃です。娘と息子も夫々の家庭を持ち孫も四人になりました。その間、陰に陽に戴いた皆様方の御厚情や励ましは大きな支えであり、感謝もつきません。
 度々お招きにあずかりました慰霊祭やその後に続いた懇親会、会報により多くの会員の方々のご活躍、ご交遊ぶり等、感銘深いものでしたし、主人を偲ぶかすかなよすがでもありました。

 最近、級友の方達から主人の学生時代の事を伺う折もあり、当時の写真なども頂き、今まで知らなかった青春の一端に触れ、今、思い出の中に新しく生きかえったというような気がいたします。

それぞれの孫達のうちに徴しあり薄らぎゆきしその面影は

青若葉静けきうちに故郷を羨み言ひしは遠き日のこと

世にまさば緑した・る田園に共に暮らさむ思ひ溢るる

 四人の孫達の中に故人の中にあった特徴がいろいろに顕われているのを見て、不思議な気がいたします。本人達はみんな祖父を知らないのに……と。
 主人亡き後随分長い間生きてきたのですけど、余りにも早く逝った人の為にせめて追憶の中にとどめてあげようと思う昨今です。