2組故古田土昌久次女 柿添 佳子

 

「お母さん、今年の一橋祭いつかな?」
 ここ数年、11月が近づくと娘の口からとび出す言葉です。私が父に連れられて一橋祭に行ったのは、もう何年前になるのでしょうか。

 小学校6年で東京へ越してきたことを考えると、初めて一橋祭に行ったのは中学の時だったのでしょうか。国立駅からの大学通り、「この大学だよ」と言われながら正門になかなかたどりつかず、「遠いな……」と思ったものです。それから毎年、ほとんど休むことなく参加させていただいたように思います。

 あのころは、構内は静かで(今に比べれば)、教室での討論会や催し物を紹介する立看板が並び、いかにも最高学府というイメージがありました。そこで「フーン、お父さんもここで勉強したのか」と思うはずだったのですが……。正門を入ると父がまっすぐ向かったのは食堂、そしてグランド……。学生時代の習慣とは恐ろしいもののようです。大学ではバスケットばかりやっていた、という父の言葉を素直に信じ、大学生というのはあまり勉強しないのだ、と娘に思わせてしまったのです。

 一橋祭に一生懸命出席した理由は、あの4枚(5枚だったかな?)つづりの食券と、ドキドキする福引にあったことは確かです。しかし、12月クラブの皆様の交流を暖めあわれている雰囲気とでも言うのでしょうか、社会的に重要なポストにあり、日々厳しい仕事でストレスにさらされておられる方々が、学生にもどって肩をたたきあい、大きな声を出して歌を歌われている姿が何となく好きだったのかもしれません。大学生となり、成人し、結婚しても、なおかつお邪魔したのは、そんな雰囲気に触れたかったのかもしれません。そして、一橋祭は父と私をつなぐ一つのポイントだったのかもしれません。

 母親となってからは子連れで参加させていただきました。息子も娘も、私と同じように、食べることと、福引に胸をときめかせてきました。(特に娘は冒頭のように一橋祭が大好きです)。

 しかし、駅から続く人の波、構内にあふれる模擬店と人の群れに、(何か違う)、と寂しさを覚え、(一橋祭はいつかな?)というときめきがあまりおこらなくなったのは、月日の流れのなせる業なのでしょうか。