7組  鴨田 保美

 

 平成元年十一月頃から耳の聞えが悪く、妻の話にとんちんかんの返事をする様になり、近所の耳鼻科で診察を受けた所七〇才を過ぎると難聴になる人も多いが特に心配するほどではないとの事で、半年以上も通院したが、聞えが次第に悪くなる許りであった。

 そんな折(翌年五月)N医師を紹介され受診した。「中耳炎で両耳の鼓膜が破れて居る。私は穴のあいた鼓膜を閉じる閉鎖方法を研究成功させ現在まで十数年治療を行い成功率は八O%前後である。貴方のは数ヶ月で完治出来ると思うから私に任せなさい。但し耳は非常にデリケートで単に耳の治療のみでは快癒は難しい。穴を完全に閉鎖するには治療は勿論であるが並行して夫を可能ならしむるに足るだけの体力が絶対に必要、青少年の破れた鼓膜が自然に何時の間にか閉じられるのはそれだけの体力があるからに外ならない。現在の貴方は健康体とは云えない(体重四十六キロは少い、顔色が悪い)。肉魚を主とした食事を野菜(特に青いもの)中心に転換し体力の回復増進に努めると共に、並行して適切な治療、投薬、栄養剤の注射等を数ヶ月続け鼓膜閉鎖処置可能な諸条件(穴の大きさ等)が整い次第手術をします」と云う先生の如何にも自信に満ちた頼もしい言葉に通院する事にした。

 半年以上も通院した先の医院では鼓膜に穴があいて居るなど一言も云わなかったし、私も鼓膜が破れて居るなど夢想だにしなかったので、先生の診断には愕然とした。当時体重は四十六キロと可成の減量であったが、内臓は故障なく食欲旺盛、快食快眠快便、活力あり健康体と自負して居ただけに先生の言葉はショックだった。

 こうして五月中旬からN医師への通院が始まった。「N方式と呼ばれる治療法は麻酔薬で鼓膜の表面を洗った後、穴の縁をメスで数ヶ所少し傷付け出血させる。その上に人工のコラーゲン膜をあてて置くと傷口から鼓膜の新しい表皮が張り出して来て穴がふさがる」。

 週四回の通院はガーゼ取換、適時栄養剤の注射、漢方薬等の服用が十月初旬まで続けられたが聴力は低下する許りであった。その間先生の指示通りアルコール中止、食生活の転換に努めた結果、体重も一キロ強増えたにも不拘、先生から尚体力不十分でメスを入れる状態でないと言われ、次第に不安と焦りを覚えた。

 漸く十月九日左耳の穴が小さくなるなど条件が整い手術が行われた。鼓膜にメスを入れ人工鼓膜(コラーゲン膜)を当てる。多少の痛みがあったが、手術は短時間で終了。術後耳を十数時間氷で冷し続け、穴が完全に閉じられた。閉じられた鼓膜は「コンニャク」の様にブヨブヨして居たが十月末漸く太鼓の皮の様にピーンと張り艶が出て(先生の説明)、生来の鼓膜に近い状態になり聴力も上り十二月末には殆ど正常に回復した。
 左耳は第一回の手術でうまく閉じられたので右耳も当然簡単に閉じるものと考えたが、これは大きな誤算であった。

 十月三十日右耳の手術が行われ、術後前回同様、氷で十数時間冷し続けたが穴は閉じず、続く十一月十日の再度の手術も不成功、而も術後十二月中旬まで間欠的に流出する粘液(耳アセでうみではないと言われる)に苦悩し乍ら、十二月二十日三度目のメスが入れられたが今度も失敗に終り、又又粘液が流れ出し、長い年末年始の休診日にも治療を受けたが、不安と焦燥のため徒らに暗澹たる気持がつのる許りであった。
 一月には、八日、十三日、十七日、二十一日と立て続けに閉鎖処置が行われたが何れも失敗、一月も空しく過ぎた。

 二月に入り穴が非常に小さくなり粘液も止り何時自然に閉じても不思議でないとの事で手術が行われたが、先生の確信、私の期待も空しく又々失敗に終り、続く二十三日、二十六日の処置も効果なく、十月以来手術は丁度十回に及び、その間粘液が間欠的に流出し苦悩の中に二月も過ぎた。

 左耳が通院五ヶ月で唯一度の手術でスマートに閉じたのは、正にラッキーで異例であり、同時に始めた右耳が今尚不成功に終始して居るのは、唯々条件が整わない為である。殆ど九九%治癒して居る故あせらず治療に専念する様に言われたが、手術の失敗、術後の間欠的粘液の流出など、私同様の経過を辿って既に二〜三年、或いはそれ以上も通院して居る同病の患者が相当居るのを初めて知り、これから先何回目かに成功するであろうとのほのかな希望と期待を以て治療を続けることには、十回の失敗に省み不安と不信をいだき全く途方にくれた。

 たまたま本年三月三日朝日新聞に新しい鼓膜閉じ方法が記事として紹介された。
「それは、耳に内視鏡を入れ、テレビ画面で二〜三〇倍に拡大した鼓膜を見せ、開いた耳に綿をあて聴力検査をし穴をふさぐと聞えることを確認すると云う方法である」。
「人工鼓膜移植用の組織は筋膜より浅い場所の結合組織を使うので傷も小さくて済む、麻酔も簡単な局所麻酔、移植用組織が鼓膜に生着しやすい様、先ずかぎ状の道具で穴の周囲を切って新鮮な鼓膜組織を出し移植用組織を鼓膜の穴の奥(中耳)に入れ周囲を生体組織接着剤(フィプリン糊)でくっつけるだけ、フィプリン糊は一分位で固まり始めるので手術は三十分位で終了。穴がふさがった瞬間から耳の聞えがよくなる」。

 三月四日早速K医院の診断を受けた。
 新聞記事通りテレビ画面に鼓膜が映し出され、N医院で言われた穴より可成大きいと思われる穴と、粘液が流出して居るのが判然と見える。
 しばらく通院し先ず粘液の流出を止め、穴を小さくする治療を行う。穴が小さくならないと閉じるのは難しいと云われる。
 こうして第三回の通院が始まった。

 医院での治療のほかに、家で朝夕二回点耳薬を耳に入れるだけで幸い一週間で粘液の流出が完全に止まり、穴も約四十日後に小さくなり、手術可能の状態になった。手術は一日一人、一泊二日の入院治療であるが希望者が多く手術は五月九日と決定した。
 勿論手術の成否は予断を許されないが、前記の如くN式方法に比し人工鼓膜移植には結合組織を使うなど合理的で成功率も九〇%と高いので、一年に及ぶ人工鼓膜受難もこの辺で終止符が打たれる様に、希望と期待を以て手術前の通院を続けるこの頃である。

 尚ここでN医師に付一言附して置きたい。
 N女医先生は篤学の方、六十九才でN式鼓膜閉鎖法で学位を得、現在八十才の高齢乍ら矍鑠(かくしゃく)として、常に患者の立場に立って「医は仁なり」の高邁なる医師精神を以て休診日にも喜んで患者を診るなど献身的に治療に当り、患者が自分の力で病気を治すと云う強い精神と意志を持ち、医者はその病いに最適切な治療を施し回復に協力するのが医者としての道であり、病んで居るのは人間なのだからその人間を治すことを考えなくてはいけない。人間を大切に扱って患者の心と体をケヤすることだと云われ実践されておられる。「病気は見れど病人を見ず」と謂はれる今日、N先生の人間尊重の真摯な治療態度には全く敬服した。
 この尊敬する人道的先生の治療を残念乍ら中止し、K先生に任ねたのは、一日も早い鼓膜の回復を希う患者として(十回の失敗を省み)当然の選択であった。