昭和十六年十二月二十七日、日米間は既に交戦状態となり、日本の将来は暗雲に包まれ、世相騒然たる最中にわれわれは急逮大学を繰上げ卒業することになり国立の母校を後にした。級友の大部分は翌日にも従軍の至上命令を控えていた。

 あの日から内外の情勢と世相は移り変ること五十年、二十一世紀は目前に迫りつつある。卒業時、級友のうち何人が超平和国家を迎えたこの日本に今日迄生き永らえて、卒業五十周年を共に讃え合う日の到来することを予想し得たであろうか。この五十年の間日本も世界も激動の連続であった。天皇制国家から平和民主国家へ、日本経済の驚異的発展、エレクトロニクスを主体とする世界的な技術革新、自然環境の破壊と公害の発生、価値観の変革、マイホーム主義の蔓延等々枚挙に遑がない。そしてニューメディアによって狭められた激動の世界は今や社会主義か資本主義かの選択についても終止符をうちつつある。

 然し乍らこの大変革の中で唯一つ、われわれの十二月クラブの深い交友と厚い友情とはこの五十年間何ら変ることなく、むしろ年を重ねると共に深まる一方であった。われわれは、この誇るべき十二月クラブの縁(えにし)を卒業五十周年を迎えるに当り、心から会員諸兄と共に喜び合い、そして運命の神に感謝したい。

 この『波濤第二』は卒業五十周年記念事業の大きな柱として計画された。幸いにして会員諸兄の熱烈な支持と愛情によって集大成され、ここに当初予期し得なかった程の立派な姿で刊行の運びに至った。文集の編集に当った渡辺公徳委員長をはじめとする委員諸兄の努力に対して厚く感謝の意を表したい。また、この文集に参画することの出来なかった地下に眠る級友諸兄の霊に心からなる御冥福を祈る。

平成三年十二月

十二月クラブ幹事長  金井多喜男

1988、蓼科山荘にて