卒業四〇周年の文集「波濤」で何を書いたかこの機会に読み返してみましたら、青春時代から働きざかりの壮年時代を経て、老境の入口に立ったような時期でもありましたので、そのような背景のもとに「人生思い出すままに」拙文をまとめたようで大変懐かしく思い出されました。これも「波濤」の刊行があったればこそのお蔭と思っております。
それから瞬く間に約十年の歳月が流れ、このたび編集委員諸兄のご尽力で五〇周年記念文集刊行の運びとなり、このよきチャンスに何か書き残して置きたいとの気持で性来の筆不精をかえりみず、あえて「人生思い出すままに」拙文を綴ってみることにしました。しかし「波濤」のときと大きく異なる点はすでに齢七〇をすぎて世間でよく耳にする「オールド・オールド」の老境に入って、残された人生をこれからいかに健康で楽しく張合いをもって、大袈裟にいえば「生きがい」をもって送れるかどうかということになると思います。過去の環境・体験・人生観などにより、ひとそれぞれ独自のやり方があると思います。私も私なりの自己流の考え方、やり方で毎日を過ごしております。時々他の人の体験談など参考に聞きますが、今更他人の真似をしても仕方がないとついあきらめが先にたってしまうのが常日頃です。
さて、前置きはこの位にしてこの十年間具体的に何をやってきたか、またこれからどうなってゆくのかを次に思い出すままに書いてみたいと思います。「波濤」の続篇になってしまいそうです。
(一)
「波濤」でも書いた通り、第一の人生を五五歳の定年までおり、それから出向先の第二の職場を六四・五歳まで現役でしたが、それまではとにかく一般のサラリーマンの特質ともいうべき「我慢・忍耐」をモットーにただ働くだけに専心せざるを得ない結果となってしまいました。それからは「健康で精神衛生上プラスになれば」と気楽な気分で第三の職場で七一・五歳まで過ごしてしまいました。その点、大企業で社長会長の職歴を経た相談役の人とか、自営業者の方は終身時間をつぶす拠りどころがあるから余計なことを考えなくてもすむわけで気楽だと思います。
私もこれでサラリーマン生活にピリオドを打ち、これからはどうしても地域社会に何んとかとけ込んで暇つぶしに何かをしなければという気持になりました。趣味はないのかといわれれば、現役時代会社の同好会で小唄を七年間程かじり、師匠のお情けで一応名取免状を貰い、これで老後の余暇利用に役立たせようとの当時の殊勝な心掛げでしたが、七〇歳を過ぎてみると全く興味がなくなって再開しようなどとはさらさら考えず、やはり年と共に趣向が変ってくるものかと思っています。元来不器用で惰性で続けていたのかも知れません。
(二)
まず地域社会へとけ込むための第一歩として始めたのは、私が時々行く近くの区立勤労福祉センターの掲示板に「東京都労働経済局主催中高年齢者福祉推進員養成講座」のポスターがあり、主として中小企業の社内コンサルタント養成の目的のようですが、一般都民も枠に余裕があれば参加できるとのことで早速申込みし、立川の労政事務所で約一カ月間毎日ではありませんが、朝十時から午後五時頃まで講習を受け、都知事の終了証書を授与され大変参考になり今でもその基本体系を時々思い出し、ある程度生活行動の拠りどころとしております。参考のためその要約を次にのべることとします。
(1) 退職後の老後経済設計
これから先約十年間位の収入支出を算定し、年々のインフレ率等を想定して計画をたて、毎年見直し修正の上対処してゆくというものです。一応人生八○年を目途とするよう指導を受けました。これは皆さんそれぞれ適宜備えがあると思いますので省略します。
(2) 健康管理
私達の年代になるとこれが最重要事項です。皆さんそれぞれゴルフ、釣り、ジョギング、山登り、散歩等趣味をかねた健康管理に努めておられることと思いますが、毎日一定量の運動が必要で最少限一日一時間(七〇歳以上は少なくとも四五分以上)歩くことが大切とのことです。それにはカルチャーセンター、講習会、事務所とかどこかに通うのも一つの方法で、要は毎日コンスタントな運動の積み重ねが効果あるわけです。また時々健康のチェックを行い、病気予防に努めることも肝要です。私の場合、近くのクリニックで年一回の成人病検診は勿論のこと、週一回の血圧計測月一回の糖尿病検査を気休めかも知れませんが、実施して健康管理に留意している積りですが、それでもいつどのような病魔が突然訪れてくるかも知れませんが、そのときは運命と諦めるよりほかありません。
(3) 余暇の利用
「生きがい」ある生活には健康の次に大切ですが、実は「健康管理と余暇の利用」は相互依存の関係で特に高齢者には表裏一体をなすもので、余暇の利用には趣味が不可欠です。私が指導を受けたのは一口に趣味といっても「自分が行う能動的積極的趣味」と「他人の行うのを楽しむ受身の趣味」また前者には「仲間と一緒に行う趣味」と「自分一人でも行える趣味」等すべて必要なわけで趣味の多様化です。一般的に欲をいえば、趣味度の強弱は別として十三〜十五種類、少なくとも七〜八種類の趣味が必要で、この位ないと退屈してひいては健康管理にも影響するそうです。私自身も仲々理想通りにはゆきません。
(三)
社会保険労務士受験に挑戦東京都労働経済局主催「中高年齢者福祉推進員養成講座」の概略は以上の通りですが、お蔭で時々思い出して反省の糧としています。またこの講座で社労士の方が数人参加され時々懇談してみて、体系的知識のない自分がいかにも頼りなく、肩身の狭い思いを味わいました。そこで高齢化社会の一員として社労士国家試験にチャレンジして現在どの程度の記憶力、集中力、若さがあるか一度自己テストしてみようという気持になり、早速その年の秋から専門の講習会に通学実行に移しました。試験科目は労働基準法・労働者災害補償保険法・雇用保険法・徴収法・健康保険法・国民年金法・厚生年金保険法及び労働社会保険一般常識の八科目で内容は私達が平素耳にしていることばかりで、大して難解ではありませんが、ボリュームが多く法令で組み立てられておりますので、なじむまで時間がかかり厄介でした。七二歳〜七三歳の約二年間を費やし、幸運にも合格することができ、まだ若さがあるのかと自己満足することができました。学部時代選択で孫田先生の労働法を受講し、いつか機会あれば勉強してみたいと思ったこともあり、丁度よいチャンスでした。現在東京都社労士会の研修を受けたり、受験中の仲間と時々学習会をやり、新しい知識の吸収に努め頭の体操には大変効果があるように思われます。
以上、私の体験と高齢化社会の生きがいについて偏見もあると思いますが一応まとめてみましたので、次に現在の生活についてふれてみたいと思います。
(四) 現在の生活
(1) 私の第二人生の出向先職場はいわゆる「オーナーワンマン型」の中企業船会社で、長い海運不況で大方の例にもれず昨年二月に倒産しましたが、そのときは退職後三年が過ぎていました。偶々その倒産で脱サラした元職場の友人Hさんから一カ月後の四月、主として経理処理業務を手伝ってくれないかと懇願され、半日位ならばということでボランティア程度の積りで、心身の健康管理をかねて毎日事務所通いをしています。往復で約四五分位歩き、地下鉄利用と勤務時間を含めて約七時間弱を費やし、お蔭で余暇の利用には苦労しません。但し事業基盤も弱く、また私の健康状態如何でいつまで続けられるかは全く分りません。なお、この仕事を引受けたのは約八年位前に日本商工会議所の簿記(会計学含む)検定一級の受験と税法三法を受講したことがあり、それが今になって役に立つとは思いもよらず「生涯学習」とよくいわれますが、その必要性がよく分りました。Hさんにも以前同じ職場にいてそのことを話したことがあり、それを思い出して頼んできたものと思います。
(2) 水墨画の手習い
近くの区立勤労福祉センターで水墨画入門コースがあることを知り、全く初めてですがとにかくやってみようということで参加しました。約ニカ月間の講習で、始めは四〇名弱が参加しましたが段々人数が減って一年後の現在は一〇名足らずとなり、初級コースを終わり展覧会出品ということで最近漸く一段落してほっとしています。性来、絵の方は素質なく最も苦手とする分野でしたが、逆に苦手のことをどこまでやれるかやってみて自己満足するのも精神衛生上プラスになるのではないかとの好奇心も手伝ってはじめたわけです。何事によらず継続することにより少しずつ格好がついてきて、よくいわれる「継続は力なり」との言葉が何となく分ってきたような気がします。
(五)
以上、いろいろと思い出すままに拙文を書きましたが、結局「波濤」に書いたときの続きになってしまい、私の人生体験談を綴ったにすぎない結果となってしまいました。ただ私の場合大企業、中企業、小企業と職場を歩き、一応のことを体験しサラリーマン生活の生きざまをみて感じたことは、ひとそれぞれ生き方があるものだなあと少しは分ったような気がします。要は生きがいとは、第三者からみてたとえつまらないと思われるようなことでも、いつも何かを求めてそれを追求し実行に移してゆくプロセス、張り合いこそが生きがいと思います。それには健康の支えがあってはじめて可能となるので「心身の健康こそ基本」との平凡ではありますが、これなくしては何事もなり立たないと実感している昨今です。
一人の一生は、出逢いにより人間関係が生まれてきます。それは学窓、職場、趣味の同好会、研修仲間、地域などいろいろありますが、その人の志向、相性などにより人間関係に濃淡が生まれ、淡い関係はいつしか消え、そしてまた新しい人間関係が生まれてきますが、ある意味ではその繰り返しが人生ではないかと思います。かつて第一人生の会社のいまは亡き上司が「人生はトータルしてみないと分らない」と、よく云っておられた言葉が今更のように思い出されます。
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