3組  川口 憲郎

 

 「何だ、これは?」「何を書くつもりだ?」と言われるだろう。「ポッポ」と言えば、普通は「鳩ポッポ」や「汽車ポッポ」と言うような幼児語を思い出すに違いない。

 ポッポの下に括弧して(猫の名前)とでも書いておけば良かったが、それでは、殆ど読んで貰えまい。題目で人を釣ろうとするのは、誰でも一寸考えることだろう。

 ポッポは、わが家に迷い込んできた猫の名前で、元の飼い主が付けたものである。牝猫であり、自分の子が成長した時、子を置いて家出をし、わが家で第二の人生ならぬ猫生を送っている猫である。家出して、わが家に落着くまでの経緯、元の飼い主から聞いた「縁結びの猫」の話、「協調性のない猫」と診断された話などを紹介するため、駄文を綴った。

 七年余り前のことである。二人目の孫が生まれるので、上の孫を一カ月ほど預ったことがある。もう少しで二才になる頃で、ヨチヨチ歩きの可愛い盛りだが、手のかかる頃であった。主として家内が面倒を見たが、毎日が日曜日の私も手伝って、家の周辺を連れ歩いたりした。

 ある日、わが家の小さな庭に、一匹の猫が顔を出した。「どこの猫かしら」と言いながら、家内が煮干を投げてやると、少しずづ寄って来る。孫に「ホラ、猫ちゃんですよ」と教えながら、更に幾つかの煮干を投げる。毛色は褐色に弱い黒い縞があり、家内は「キジ猫よ」と言う。顔はふっくらとして、タヌキ顔とでも言うか、仲々可愛いらしい。尻尾は兎のように丸まっており、毛玉をつけたようである。赤い首輪を着けており、動きからも、一見して飼い猫とわかる。

 更に煮干を与えたが、少し経つと満足したか、姿を消してしまッた。翌日も現れ、煮干を食べると帰ってしまう。回を重ねるに従って、滞在時間が長くなってくる。やがて、いつもわが家の周辺に居るようになった。

 更に数日後の夕刻、わが家の裏通りを「ポッポ!ポッポ!」と呼ぶ女性の声が聞こえてきた。家内が猫を抱いて出て行き、「この猫ちゃんを探しているのですか」と聞くと、「はい、そうです」と嬉しそうに答える。猫の名前がポッポであることを初めて知った。何処の娘さんかと話してみると、家内と一緒にフランス刺繍を習っているAさんの娘さんで、半年程前に結婚した人と判明した。娘さんと家内は、猫の取り持つ奇遇を喜び合うた。Aさんの家は、わが家から道路を二つ越え、百メートルほど離れているので、通常の牝猫の行動範囲を越えているように思われる。

 娘さんは猫を大事に抱いて帰って行った。孫にも「猫ちゃん、バイバイね」と言って見送らせた。私達は一寸淋しかったが、知人のAさんの猫が、その家に帰ったので、Aさんにも喜んで貰えると安心したものである。

 ところが、一件落着とはいかず、三十分程で、猫は再びわが家に戻って来てしまったのである。同じことを繰返した後、Aさん親子はポッポの帰りを諦めたようである。「知らない家ではなく、川口さんのお宅で飼って頂ければ安心です」と言った。翌日、娘さんが「よろしくお願いします」と言って、猫用罐詰を二十個置いていった。

 その後Aさんから「ポッポは縁結び猫なんです」という話を聞いた。娘さんが大学生になった時、音楽部で男子学生のB君と知り合った。これが現在の夫である。はじめB君は、彼女にとって部活動の仲間の一人に過ぎなかった。彼は静岡から上京し、Aさん宅とは、さほど遠くない処に下宿していた。B君は子供の時から、大の猫好きであった。ある時、知人宅で生後三カ月位の子猫を見て、欲しくなり、貰い受けて下宿で育てることとした。彼は猫に「ポッポ」と名を付け、食べ物を与えるほか、仕付けにも心掛けた。夏休みが近くなり、静岡へ連れてゆくか、誰かに預かって貰うか、迷っていることを、Aさんの娘さんに話したところ、彼女が母親と共に家で預かることを約束した。その後も、ポッポはAさん宅で預かることが多くなり、B君は度々Aさん宅を訪れるようになった。ポッポが取り持つ縁で、娘さんとB君とは大学卒業後半年ほどで結婚するに至った。かくてポッポは「縁結び猫」となったのである。結婚後、B君夫婦はマンションに住むこととなり、そこではペットを飼うことは禁止されているので、二人は母親に引続きポッポを頼み、頻繁に会いに来ることとなった。

 「縁結び猫」のポッポは、やがて成人ならぬ成猫となり、子を産むようになった。Aさんは若夫婦と相談して、生れた子猫を猫好きの人を探して、養子に出していたが、遂に獣医さんに頼んで、ポッポに不妊手術をして貰った。この時ポッポにそっくりの子猫一匹はAさん宅に残して置いた。ポッポは母猫として、この子猫(娘さんがハトと命名)の面倒を良く見たし、このままずっと仲良く暮してゆくように見えた。ところが、それから一年近く経って、子猫の「ハト」が成長すると、ポッポは家を離れることが多くなり、遂に前述の通り、わが家で飼われるに至ったのである。

 ポッポが家に居付かなくなった時、Aさんはポッポの手術をして呉れた獣医さんに相談してみた。獣医さんは次のようなことを話した。野生動物には子が成長すると突き放す場合がある。しかし猫の場合は何匹も一緒に飼われているケースも多い。そしてポッポのことを、「この猫は協調性のない猫です」と言った。更に、この猫は一匹だけで飼うしかない。いい家があるなら頼みなさいとのことであった。

 ポッポがこの世に生れて、わが家に来るまで約五年、わが家に来てから七年余り、計十二年余りと言えば、猫にとっては、かなりの高齢であろう。最近、杉並区役所発行の「犬・猫のしつけ」と題するパンフレットを見ていたら、「犬・猫と人間の年齢の換算表」なるものがあり、それによると種類により、いくらか違いがあるが、六カ月で十才、一才半で二十才(成人式)、四才で三十二才、七才で四十四才、十一才で人間の六十才(還暦)、十八才で八十八才(米寿)とあった。これによると、ポッポは人間に換算すると六十才台の半ばというところか。

 しかしポッポは今のところ衰えを見せていない。家の内外を悠然と歩き、又敏速に走る。よその猫が来れば、猛然と追い払う。不妊手術をしてあるので、発情期の騒がしさはない。元気に樹木や塀に馳せ登り、飛び降りる。しかし二十四時間のうち、決った幾つかの良い場所で、寝ていることが一番多いのではなかろうか。

 AさんやB君夫妻の仕付けが良かったのであろう、家の中を爪で傷つけることはない。庭に出ると、樹木の幹や支柱などで、ガリガリと爪とぎを始める。家の中に猫のトイレ用砂箱はないが、ポッポが粗相したことは一度しかない。用のある時は必ず外に出てゆく。

 一昨年、家を建て替えてから、表も裏も出入口は引戸でなく、ドアとなり、縁側もサッシの戸になったので、以前のように猫が前足で引き開けることは難しくなった。例外は押入れのふすまだけである。外へ出たくなると、ポッポはじっとドアの前に坐り、人が来るのを待っている。仲々来ないと「ニャア」と呼ぶ。人が行くと、まず人の顔を見上げ、次に視線をドアの把手に移し、また小さく「ニャア」という。命令された人間が、ドアを開けて出してやることになる。しかし夜中に出たがることはない。

 外から帰って来た時も、自分でドアは開けられない。ドアの下に坐って待っている。ある時、裏のインターホーンが鳴って、「猫ちゃんが待ってますよ」と教えてくれた通行人があった。ポッポは辛抱強く待っているが、待ちくたびれると、裏のドアの網入り硝子を掻いて音を立てて知らせる。私達が気が付かないと、大きく「ニャア」と言う。即ち「開けろ」と命令する。私達が留守の時は、何をやっても入れない。近所の奥さんから「お留守でしたね。ポッポちゃんが長いこと淋しそうに待っていましたから」などと言われる。旅行する時は、短期なら物置に食物を置き、長期になると近所の奥さんに頼んで出かける。

 猫が独りで自由に出入りすることができる「くぐり穴」を作ることを勧められたが、雨の日など、濡れた背中や泥足を拭かなければならないので、今のところポッポの合図によって、家に入れるようにしている。私達は「協調性のない猫」のポッポに振り廻されているようである。今年の正月、神戸の孫からの年賀状に、「あけましておめでとう おじいちゃん おばあちゃん ポッポちゃん」とあった。