6組  熊倉  実

 

 ゴルフで「パープレイ」といえば、大変な出来事である。我々の年齢も「パープレイ」前後となった。何時の間にか年をとって、遅かれ早かれ、終着駅に近づいていることは確かである。

 今年、卒業五十周年を迎え、記念文集を作ることになった。何を書こうか。今更大言壮語も出来ないし、あまり弱気になってもいけない。そこで、最近四〜五年の出来事と、終着駅までの路線をご披露して、その責を果したい。

 東京の土地は、四〜五年前の昭和六十一年頃、異常に高騰した。二十数年前に買った我家の土地も、十倍〜十五倍にはね上がった。社会的には大問題になったが、個人にとっては悪い話ではない。一番先に気になったのは、凡人の悲しさ、相続税のことである。銀行などの説明会に出没して、色々話を聞いた。その結果、一次相続は殆ど問題がないこと。但し、二次相続を考えて、一次相続を処理することが肝要、との知恵を授けられた。まずは一安心である。しかし、よくよく考えて見ると、この棚ぼた式含み利益は、偶発的であり、自分の力で獲得したものではない。これを自分一人で独占するのは、身勝手過ぎるのではないか、と思うようになった。何とか少しでも社会に還元し、自分達もそれによって生活出来る方法は無いものか、と思案をめぐらせた。

 具体的には、現在の住家を売り払って、地方に土地を買い、ゴルフ練習場でも作り、外周は野外騎乗を楽しむ。小さいながらレジャーランドのようなもので、社会奉仕兼終着駅までの路線が出来ないものかと考えた。

 家族とも相談した。我家には家内と二人きり。息子二人は、それぞれ結婚して別世帯。都合六名である。(遅まきながら両方に孫が出来て、現在は八名)。

 移住構想には、全員賛成であった。具体案がなくては検討しようがない。
 早速手を打って、茨城県の御前山という所を、知人に紹介してもらった。御前山は、水戸から国道一二三号線を西に約三十粁、那珂川上流の栃木県境にある。関東の嵐山といわれ、仲々景色も良い。何といっても安い。その頃御前山は、坪一万円もしなかった。束京の土地を売れば、税金などを差引いて、数百倍の土地が入手出来る。一万坪程度あれば、可成りのことが出来そうである。家族で数回現地を見に行った。猪などはよく出て来る所で、人里離れた山林地帯である。家族全員乗気であるが、一寸気になったのは、最後に土地を見に行った帰り路、家内のいった一言であった。「東京を離れるのは、一寸淋しいわね」である。

 物事は、坦々とは行かないものである。昭和六十三年になって、我家に異変が突発する。
 一つは、長男に神戸転勤の辞令が出た。もう一つは、家内が胃の変調を訴えた。病気らしい病気はやったことがないのに、何か様子がただ事ではない。年末だったので、翌正月早々、大学病院で精密検査を受けた。その結果、胃潰瘍との診断で、可成り大きく、手術を要することになった。手術前の検査で、胆石も発見された。両方バッサリ手術をしてもらう羽目になって終った。

 幸いに手術後経過は良好で、四十六日目に退院出来たが、その間、四十五日病院通いをした。ご飯のたき方、味噌汁の作り方、洗濯機の使い方を初めて知った。今まで、家のことは、ほっぽりぱなし。罪の一端を補ったことになる。

 胃潰瘍の手術は、何といっても身体の中心、食物の貯蔵タンクであるから、順調に行っても、二〜三年の養生が必要である。やっと通常の生活が出来るようになったのは、昨平成二年頃からであった。とうとう、御前山展開は、断念した。

 一年もたつと、又々社会奉仕が首を持ち上げて来る。私は、四十周年記念文集に書いたように、碁が大好きである。最近は病気が移ったのか、家内も囲碁教室に通いだした。彼女の腕前は、十二級で、まだまだ初心の域を脱しない。が少し、碁が分って来たらしい。面白くて仕方がないようである。碁のテレビは必ず見るし、新聞碁は毎日切抜き、NHKの囲碁講座、レッツ碁は毎月取りよせ、単行本はやたらに買って来る。正に碁キチである。碁キチは、男ばかりと思ったら、女性にもあることを発見した。彼女は無駄な努力を、人の二〜三倍やっていると思うが、腕前の進行は、鈍行列車のようである。

 嫁さんが、それぞれ妊娠した、との情報が入った。嫁は、二人共スポーツ好きであるが、これもままならないと思い、初心者用の碁の本を送ってやった。長男の嫁は、十三路盤ではあるが、たまに息子に勝つことがあるらしい。そうすると、彼女曰く、旦那様に勝ったから、次は打倒お父さんとか、生意気なことをいっている。

 こんな雰囲気から、囲碁教室でも開こうか、との話になった。碁キチの家内は、勿論賛成である。息子どもは、元気なうちに、やりたいことは何でもやった方がいいよ、という。
 私は、どうせやるなら、囲碁教室だけでは味気ない。何か方法はないものか。色々考えた末、とも角、少し広い部屋を作ろうと決心した。何人かが集まって、何かをやる。その場所作りが先決だと思った。
 これから二十一世紀に向って、老年グループは、どんどん増えて行く。暇は大ありでも、福祉施設は不充分である。少しでもこれを補う意味で、家の改造に着手した。
 やり始めると、新しい所と古い所との接点が、とても気になる。家内は、これも直そう、あれも替えてよといいだす。これが最後だというので、ついOKする。すると又々最後のお願いが飛び出してくる。最後最後が六〜七回に及んだ。とても我慢が出来なくなった。とうとう七回目の最後のお願いを聞いたとき、断を下した。この次言い出したら、お前を取替える、と。それから要望はピタリと止った。
 四月中に、場所が出来上がる予定である。碁を中心とするが、二十人ぐらい入れるので、この場所は、多目的に使用することが出来る。

 こんなことを友人にも話をした。面白いな、期待してるよ、との感想も返って来た。十二月クラブの囲碁同好会は、杉浦君が幹事で、十名前後が、毎月第二水曜日と最後の土曜日に、如水会館でパチパチやっている。碁友の島田君は、この二〜三年クラシックな木彫に熱を入れている。彼に、何かほしいと頼んだら、よし、と心よく引受けてくれた。私の考えを聞いて、彼は、碁所にふさわしい彫物を考え出してくれた。
 「橘中楽」という彫物であった。未だ着工もしていない時期に、早々と持参してくれた。
 古事来歴を聞くと、昔の中国で、老人二人が、みかん畑で、碁を楽しんでいる光景だそうだ。悠々と、本当に人生を楽しんでいる風景が目に浮んでくる。
 彼の厚意に感謝すると同時に、大変気に入った。出来上がったら、壁に掛けることにし、憩の場を、「クラブ橘中楽」と名付けることにした。

 この年齢になって、いささか突拍子かも知れないが、この「クラブ橘中楽」を、親戚に、友人に、近隣の方々に、大いに活用してもらいたいと念願している。
 こんなことをやっていると、実に楽しい。当分はこの場所を、最大限に利用して、若干の社会奉仕と、終着駅までの人生航路を、愉快に過して行きたいと思っている。