4組  間宮健一郎

 

 平成三年三月十三日。日附から何か意味あり気になってしまったが、これから私の綴ることを編集者が随筆とするか、雑録とするか、どの様に扱うか私には分らない。ここは都内と云っても特有の雑木林や多摩丘陵の見える大きい病院の一室である。

 思いもかけず急に入院ということで、今日は水曜日であるが週末から治療に入るともはや時間がない。時間的、身体的、又バイタリティからみての限界である。

 四十周年記念文集「波濤」第一の時は、機を得て幸いに書きたいだけ書いてよかったと思う。今回の様に不時の病などで不発に終ることがあるのも人間の定めであろう。

 チラリと水心に見えた魚影は再び見ることが出来ようか。

 今回は次のテーマを取りあげ三月中には投稿する予定でいたのであったが……。
『幻の社団法人一橋会の想い出とその終焉』
『一橋妙高山寮の調査企画の想い出とその現況』

 妙高の現地へは三年前秋の紅葉時に家内と訪れた。
 社団法人一橋会。如水会に対して当時現役の教授、学生から成り立っていた学内自治組織。この内容については今は大方の想像に委せよう。分る方には私がこれらの稿を書くことを果せなくともきっとお分り頂けると思う。

 週末から始まる点滴療法は、六、七月迄は絶えず繰り返し続くということである。そしてその時期に[+][-]いずれかのメドが立つであろうが、治療の見切り発車を前に、今夜以外私にもう時間はない。

 敬愛する十二月クラブ諸兄にせめてこのメッセージを託して私は運命の大河に身を投じる思いである。
 いつの日かこのテーマについて筆が執れれば幸いである。

水心をかすめし魚影また見えず悲しきばかり水の澄みたる