4組故松本信喜妻 松本富美子 |
顧みますれば、戦前、戦中、戦後と可成り長い間この世の中を渡り歩いて居りますと様々な事に出合いました。戦時中の不自由な暮し、辛かった体験等、今となっては唯懐かしい記憶として古い人々の心の中に刻まれていることでしょう。激動の昭和も終り、年号が平成と改まりまして早や三年目を迎えることになりました。私達古い世代がだんだん後退し、新しい世代へと目まぐるしく引き継がれて行く昨今、技術革新が一段と進み、様々な分野に及んで来ています。世界が平和であればこそ大変喜ばしいことですが、ハイテクの戦争だけは困ります。昨年からくすぶり続けていたものが年明け早々に爆発、それも深刻な後遺症だけを残してあっけなく幕切れとなりました。この汚染によって地球環境が如何変化して行くのか愁いの残るところです。私個人、中東には今まで石油を買っていること位しか関心が無かったのですが、この石油戦争のお陰で、複雑な民族の絡み合い、宗教の深い繋がり等々、色々と勉強させて貰いました。 扨て、話題を変えまして、今年は十二月クラブ卒業五十周年記念を迎えられるとの事で、ここ迄順調な歩みを続けて来られた会員の皆様、先ずは御目出とう御座います。会員方の総力の結集によってなされるこの喜ばしい記念行事を、私は唯外野から傍観者として眺めて居る丈けで何のお力添えも出来ませず申し訳なく思って居ります。この栄えある日を待たずに他界された方々(うちも含めて)は多分宇宙の何処かで実りある成果を優しく見守って居られることでしょう。クラブ通信を毎年定期的に私の様な未亡人に迄送り続けて下さいまして、そのお骨折りに日頃感謝致して居ります。何分にも筆不精ですのでその都度挨拶も致しませず失礼の段お許し下さいませ、今も尚、立派に世の中の為に励んで居られる方々の多いのには唯々脱帽させられます。お陰様で会員方の御消息が手に取る様に分らせて頂いて居ります。併し、その反面、年々何名かの方が霊界に旅立たれ、人間の宿命とは申せ、何とも寂しい気が致してなりません。現に御健在の皆様はこれからが人生本番でしょうから、増々頑張って下さることを期待致して居ります。 因みに、私事ですが、唯今六十代半ばになりまして、年毎に動作が鈍くなっているのが自分でも分ります。息子は新宿区に、娘は大船にそれぞれファミリーを構えて居ります。息子も娘も、オジサン、オバサンと呼ばれる年齢になり、孫は高校二年の男子を頭に、下は今年二才になろうとする男二人女二人の計四人で御座います。私は吉祥寺で目下一人暮らし、「毎日何やっていらっしゃるの」とよく他人に聞かれますが、一ヶ月経つのが意外に早く感じます。今は取り立てて何をしてるわけでもないのですが。少々先行不安もありますが、あまり生き永らえても子供達に迷惑が及ぶので、願望ですが適当な時期に迎えに来て貰い度いと思って居ります。 生活基盤は、主人に感謝しなければいけないのですが、置いて行ってくれた物が大半で、ペンションライフとあとは不動産の僅かなもので細々と暮して居ります。以上こんな処が近況で御座います。 |