5組  松島 英夫

 

 私事に亘る事乍ら、多少なりとも何かの御参考になればと敢えて記させてもらう。

 私は昭和五十七年五月狭心症に冒され、内科療法では病勢を押えられず、この儘では心筋梗塞に至るからとの医師診断により、六月に手術の為三井記念病院に入院させられた。当時心臓の外科手術の実績ある病院は極めて限定されており、当院もその中の一つであった。当時としては人工心肺、カテーテル、シーティスキャナー等の高度の医療機技術による大手術も無事終了し、爾後一月アフター・ケアーの為入院し、八月に退院した。心臓の冠動脈二本が閉鎖状態であったのが大脚付け根の静脈を冠動脈のバイパスに使用し、今日迄九年間何の障害も起こさず作動しているのは吾身乍ら不思議で今更医学の進歩には驚嘆している。

 斯くて東京勤務も八年を過ごし、平成元年秋に此処東京から一時間半かかる田舎の地に越し、のんびりした生活に入れると思っていた処、誠に尾籠な話で恐縮ですが、私は元来大痔主であって時々下血を催していた処、平成二年四月頃からひどい便秘に罹り、下血も従来の痔によるものとは異様なので、近隣の唯一の綜合病院たる東海大学大磯分院で、最初は便の潜血検査から大腸のレントゲン検査、最後に内視鏡検査で出血とポリープが発見されて直ちに入院させられました。

 ポリープも発見が早ければ内視鏡内のメスで手術され、精々一日も入院すれば済むのですが私のはそう簡単に処置出来ず、結局ポリープのある大腸部分を切除するということとなりました。斯くて六月二十二日入院、七月十二日手術という日程が組まれましたが、此の間連日採血、腹部エコー、心臓エコー、腎孟検査、腎機能、肺機能検査等でビッシリ検査されました。手術後九月三日退院となりましたが、此の間も採血、採尿、造影検査、胸腹部レントゲン、又点滴は手術後に一ヶ月半後の八月二十日に外されました。

 以上長々と私の手術の私事を述べましたが、要は早期発見、恐れず手術を受けることが今更肝要と思いました。私も二度の手術で裸では人前に出られぬ切られ与三の様ですが、又今度手術ということになれば愈々三度目の正直であの世行きと覚悟していますが、健康と寿命とは違うものだと自らを励ましています。

 医学が新しい医療機械の開発を伴い急速に目覚しく発達すると、最早昔の名医の如く聴診丈けでピタリ病名並びに対処法を当てるということがなくなり、如何に医療機器を駆使しそれに適した療法をとるのが将来の名医となろうかと思われます。だとしたら個人開業医では到底巨額な医療機器は設置するのに限度があり、一寸した大病は綜合病院に機器で見て貰うということになりはしないでしょうか。

 最後に私の入院に関しては種々のクラスメートの助言や体験等お伺いし、親身にお世話願ったことを厚く御礼申し上げると共に、いざという時の相談相手は十二月クラブの方々であることを銘記した次第です。