1組  南  毅

 

 学園は、新しい抱負に胸膨らませた新入生を迎えて、あわただしさのなかにも斬新な活力が充ち溢れている。私はいま、さきに学園から送り出した自分のセミナー卒業生達へ送ったメッセージを静かに思い起している。

 私自身の大学卒業五十周年に当り、以下、その趣旨を述べることにしたい。
 高度成長の末期、「くたばれGNP」ということが盛んにいわれた。それは、高度成長が同時に騒音や大気汚染をはじめとする各種の公害を引き起し、われわれの生活環境なり、生活水準を大幅に悪化させていくマイナス面を考慮すべきであるとの趣旨のことをいったものであったと思う。ところが最近に至り、「環境と文化に関する懇談会」が「環境にやさしい文化の創造をめざして」とする視点からの提言を打ち出してきたことが報ぜられ注目を浴びている。私はかねてこの問題を自分の専門とする経済分析や経済指標の観点からだけでなく、基本的には人間性や感性を尊重する視点からも重視すべきだと考えてきた。われわれの世代は、戦後、専ら「追いつけ、追い越せ」を目指してGNPの計数的拡大に向けて全精力を傾注し続けてきたと言って過言でないであろう。そして、そのために全面的とは言わないまでも、ここにいう人間性と感性に対する軽視や欠除を免がれ得なかったのではないか、という問題意識を持ち続けてきたのである。

 今からほぼ十年前から縁あって教職に就き、若い学生と直接接触するにつれ、われわれがそれまで歩んで来た足跡をもう一度ゆっくり見つめる機会を持つことが多くなった。そのなかでの重要なテーマの一つが、実はこの「GNPくたばれ」という言葉に内包されたような人間性と感性の低下という問題であったのである。しかもそれは、戦後の経済復興と発展に明け暮れて、とにもかくにも今日の「豊かさ」を達成させてきた私達よりも、その達成された「豊かさ」のなかに育ってきた若い世代にとってさらに由々しく、看過できない性質の問題ではないかと考えるに至ったのである。人間としての存在と価値観に通ずる問題にほかならないからである。

 二十一世紀は「協調と取引」の時代だともよくいわれる。そのことの是非はともかくとして、その言葉のなかに従来のように只管経済的競争にのみ鎬を削った世代から、お互いにもつ豊かな人間性と高い感性に敬意を払いつつ新しい国際社会を建設していく重要性と必然性とを思うよう願うのである。それは言うは易く、実効をあげることのむずかしい問題であることは言を俟たないところである。しかしながら、もしそうでないと人間性の欠除と感性の貧困さが、われわれ人間にとって、精神的はもとより、肉体的な存在にも危慎を迫って来ているのである。私は最近しきりに唱えられているハイテク戦争や地球的環境破壊の問題や危倶について物理的視点に止まらず、ここに言う人間性や感性の視点からのより本質的な検討と対応が不可避となってきていることを憂慮しているのである。相互の人間性と立場適確に理解し尊重できる柔軟なスタンスと、あわせて自己の自主性を発揮する意欲を備えていくよう願うのである。われわれが目指す国際性、民主性を発展させて行く基底は、ここにこそ見出し得るのではないかと思うのである。

 社会生活への第一歩を極度にせわしい気持のうちに出発して行く諸君に、この際だからこそ、上述のことを思いつつ人間としての向上する心構えと努力とを心から望みたいと思う。本当の意味の「豊かさ」、君達の「豊かさ」がかくて開かれて行くことを期待して已まないのである。