私の義理の兄は、東京の某医科大学の教授を四十年間勤め、先頃、定年退職し、名誉教授になりました。そして叙勲を受けたので関係筋の祝賀会が続き、最後に近親者だけの内祝の宴をもちました。
その席上、何か健康法の話をしてもらいたいと促すと、左の様に話をされた。
誰もが自分なりの健康法を持っているが、これを盲信したり、過信してはいけない。絶対の健康法などと言うものはない。それで、お互いに健康法の話をし合い、ヒントやアイデアを交換し合って、悪いと言われることは、出来るだけ避け、良いと言われることは、出来るだけ取り入れ、自分の健康法のレパートリーを増やしてゆくことが大切だ……と。
四十年間も教壇に立った医学の権威のお話は、極めて常識的で、判り切った、当り前のことであった。
ついては、私の健康法をご披露するので、ご一読下さい。
私は、或るキッカケがあって、戦前から、二つの健康法を五十年近く続けており、また、最近は、レパートリーが増え続けています。
第一は、温水・冷水の交互利用である。
私は、あの大戦勃発の昭和十六年十二月二十七日、大学を繰り上げ卒業して直ちに、大阪の住友ビルに勤めた。当時、会社のクラブに入浴サービスがあり、時々、これを利用した。
寒い冬でも、皆が水シャワーを浴びているので、真似たところ、大阪駅まで十五分間歩き、更に十五分、電車に乗って甲子園口の下宿へ帰るまで、体はポカポカしていたものでした。
戦後の昭和二十五年以降、大阪の住友へ絶えず通った。そんな或る冬、満員列車の通路に、分厚いオーバーを着て立っていた。名古屋で乗り換え、夜行で帰るのが習慣であった。
車の戸が開いて、白い半ズボンをはいただけの裸の男が、日の丸の国旗のついた竿をもって入って来た。異様な姿に、皆が振り向いた。ツヤツヤした体格の良いハゲの童顔であった。
開口一番、私は西という者だが、敗戦日本の再建のためには、まず、皆で健康に注意してもらうことが大切だ。それには、入浴後、最低でも、クルブシから下、出来れば、膝まで冷水を掛けてもらいたい。腰まで掛ければなお良い。これだけで、健康の維持・増進が出来る。ご健闘を祈る。と、短い演説のあと、次の車輌へと混んだ人込みを掻き分けて移って行った。
西式健康法のことは聞いていたが、お逢いしたのは、これが最初で最後であった。そして、強い感銘を受けた。それ以来、四十年、温水・冷水法を続けている。
入浴のあと、お湯から出る時、タオルで拭いて直ぐ出ることはしない。温めた体の腰から下へ冷水を掛け、また、お湯につかる。出ては冷水を掛けること三度、三度目には、水は温かくポカポカしてくる。濡れた体と顔を拭くだけでなく、冷水でしぼったタオルで、全身をゴシゴシ充分にこする。
この効果はテキ面で、湯ザメは、絶対にない。ポカポカバタングウで、寝つきは実に早い。
軽い手足の神経痛、腰痛などは、直き治る。
お湯の入り方は、体が冷えている時は、特に注意して、直ぐに首まで入らない。入る前に、良くお湯を体に掛けたあと、湯舟では、チチの下まで、ジッと温めてから、静かにスッと沈み、サッと出る。
長湯・熱湯は、絶対に禁物。
不注意な入浴は、心臓を弱めるし、脳卒中の危険がある。
この温水・冷水法を、あらゆる機会に利用する。朝の洗面も、ヒゲ剃りも、眼を洗うのも、すべてが最後は冷水で、を実行する。顔面だけでなく、頸筋を必ず洗う。喉のウガイを機会ある毎に実行する。
タオルは今迄の三倍早く切れるように努める。
第二は、背骨を正しく伸ばす。
私は、伊那中学校の在学中、校旗の旗手を務めた。当時の軍事教練の配属将校は、姿勢を極めて厳しく躾けていた。だが、楽しい思い出が数々ある。
中でも、高崎の陸軍大演習のご親閲には、学校を代表して校旗を奉じて参加した。
昭和天皇が、天皇旗の翻る白い壇上に立たれ、我々の分列行進を一時間余り、直立不動の姿勢で、微動だにせず、白い軍手で挙手の答礼をなされているお姿が眼にしみて、強い感動を受けた。
昭和九年の秋であった。
これらや、中南支の戦争体験が、其後の私の生活態度を律したと言っても過言ではない。
背骨の中を、中枢神経が通っていることを考え、いつでも、どこでも、姿勢を正して伸ばす。
朝、床の中から始める。手を頭の上に挙げて、足も伸ばし、充分に背伸びをする。更に、膝の裏を下に押しつけ、カカトで足を押すようにする。
歩く時は、早足で、一直線にスイスイと歩く。私は誰よりも早く歩く。鞄などは、片方の手だけに持たない。絶えず左右を交換する。空いた手は、指を伸ばしたり、握ったり、大きく振って歩く。
誰にも迷惑はかからない。しかも、年は、十も若く見える。腰痛も、肩コリも知らない。
私は、若い時に、足腰を鍛えた貯金のお蔭で、何時間でも歩けるし、立ってもおられる。
安楽椅子というものは、安楽死椅子であると言っている。背骨をもたれると休息にはなるが、背筋を圧迫するので、頭の働きはニブくなる。社長の椅子が安楽椅子なのは、社長はボケッとしているのが良いという原理から来ているらしい。
チナミに、記憶は、頭ではなく、背筋で行うものである。腰掛けに、腰を深く掛け、背筋を圧迫しないで、浮かした姿勢の時が一番、記憶力を良く発揮出来る。実験してみて下さい。
第三は、摩擦と指圧である。
朝、床の中から始める。目が覚めたら直ぐ、ムックリ起きてしまわない。まず、足首を十回廻し、次に、足の指の屈伸と、足首の上下運動を夫々二十回。更に、脚の屈伸運動を三十回、今度は、足の裏で交互に、足、スネの裏、膝までよくこする。
次に、腹部を、のの字形に百回摩擦して、腸の機能を刺激する。入浴後と、夜中に小用に起きた時は、水を一杯飲むように心掛ける。
長時間、水分を補給しないと、血液が濃くなり、ねばって、血管が詰まる心配があると言う。脳梗塞は、夜中や朝に多い。
また、朝の起きたては、手足の筋肉が堅くなっているので、不用意は禁物。それで、起床前の柔軟体操は、体の調子のチェックにもなる。
腹部摩擦と共に、沢山の水分と野菜を採ることが、快便の特効となる。
快便・快尿は、快眠・快食・快声のもと。
即ち、快眠のためには、寝る前に、体内の毒素である宿便を、心地良く排便することが大切。
私は、コーヒーは、朝の一杯だけで、三度の食事のあとも、来客接待用も、すべて、杜仲茶という中国茶をガブガブ飲むことにしている。これは、体内の老廃物を運び出す利尿効果があり、血圧の正常化に役立つと言われている。
さて、床の中で背伸びをした手で、顔を何回でもこすり、コメカミも指圧する。指を組んで頭の下に入れ、枕にすると共に、親指で頸筋を指圧する。次に、指を組んだまま、肘を廻して肩をもみほぐし、最後は、人差指と中指で肩のツボを圧える。
仕上げは、全身の力を抜いて、静かに腹式呼吸をする。一瞬、寝禅と言う言葉を思い出す。
手の指の運動は、先に、歩行中に、と言ったが、乗物の中、会議中、テレビを見ている時でも、思いつけば、何時でも実行する。手の指を交互に組み合せたまま、良くもみほぐし、また、ジッと力を入れていると、全身の血が温かくなるのを感ずる筈。
また、足の裏のツボを刺激する凹凸の敷皮を靴に入れ、凹凸つきのスリッパを常用している。
足の裏とスネの裏は、第二の心臓と言われ、これを刺激することは、大いに心臓を助ける。
私は、普通のスマートな靴では、直ぐイタクなるので、サイズは大き目、3E以上の幅広を探す。甲の高さに調節出来るヒモ付きに限る。
靴が合わないと、腰痛の原因ともなり、全身に色々と悪い影響が出ると言われている。
この外、大切な食事は、家内の作る焼魚・野菜主体の食事を三度、三度採ることにしている。
腹八分目を主義とし、晩酌は一合五勺。
休肝日は設けていない。煙草は五十で止めた。
歯は、毎日、四回はみがく。繊維の多い野菜を食べるので、歯に、はさまるからだ。外食では、テキ面に、はさまらない。殆どが自分の歯である。
義理の弟は、美食家の転勤族で、カップクも良く、健康そのものであった。直前の精密健康診断でも、太鼓判をおされていたが、或日、動脈瘤パンクで、突然死してしまった。五十台の若さであった。
私は、昼寝は殆どしないが、居眠りの名人である。椅子に腰を掛けたままでも、人と話し中でも、相手に気付かれないように居眠りをする。電車の中で、これから十分間、寝ると言って寝られる。孫たちが頭の上で大騒ぎしていても、テレビがついていても、平気で寝てしまう。
私は、医者と薬と栄養剤には、何十年もご厄介になっていない。昔、医者殺しと言う言葉があった。皆で、治療のいらない予防の健康法に精を出そう。
尤も、私は戦地では、栄養失調・マラリヤ・体重四十キロで、体力は遂に限界。大隊の中で、次に死ぬのは、君であったと、戦友会で軍医が語った。
また、戦地で痔になった。戦後、二度の手術も十年ずつしか持たなかった。その結果、現在、腰を曲げた農作業は二時間が限度で、三時間では痔がイタみだす。酒は、深酒や強いウイスキーはイケない。ビールは平気。適度の日本酒に限る。一病息災、痔は、バロメーターだと思っている。
最近、機会ある毎に、これらの健康管理の話をするが、只今、健康の人の中に、自分は今まで通り、自然体でゆく、と言って抵抗してみせる人がある。
誰もが、健康には、気をつけている筈なのに、中途半端のうちに止めてしまっているのが現実だ。
それで、自分に合った健康法を、今、直ぐにでも始めて、気張らずに、自然に、少しずつ、日常生活に溶け込ますことが良いと思う。その中に、面白い程、レパートリーが増えてくる。
私の毎日の生活状況は、百五十坪の菜園の野菜作り、別に、花壇と庭の手入れ、十五、六種類の果樹もある。何時の間にか、こんなに責任が掛って来たので、手が廻らずに、草ボウボウで追い廻されている。春から夏・秋まで、出勤前の早朝と夕方、快い汗を流す。体重は、毎日、ニキロは動く。
また、ボケ防止のために、出来るだけ地域社会の会合には出掛ける。業界や関係会社の役員も、いくつか受けている。
毎日、会社へ片道八百米、昼飯に帰るから、都合四回、必ず歩いて出掛ける。出社は三〇分以上遅く、退社は三〇分以上早い。会社では、コンピューターはあるが、私は、自分で別に、ソロバンで統計資料作りをする。指先の運動と精神集中には、極めて有効だ。
私は、明治、大正、昭和の我が家の歴史を、ボツボツ書き溜めている。第一輯十七篇は出来たので、コピーして、ごく身内に配った。
第二輯は、目次だけが並んでいる。
また、近親五百人に及ぶ系図で、並べると横三米の一覧表が、永年の聞き取り調査で、ほぼ出来た。これには完成はなく、時々、筆を加えている。
非常に有意義・有効のことがある。
博物館・美術館・展覧会へは、中央・地方を問わず、出来るだけ、見に行くようにしている。
時に、気が向くと無精に、油絵描きに没頭する。
この時は、夜でも時間を無視する。私は、戦後、永年の間、油絵を描く暇が取れなかった。
良い季節になると、心がはずみ、車で飛び出し、スケッチ帖を持って、エモノを探し求める。決った岡や渓谷へは、画材をつめた重いリュックをかついで、連日、通いつめ、何時間も立って描く。
ムラ気で凝り性で、熱中したり、間欠したりで、ジッとして居られぬ性分で、次から次へと、色々考えては、小ズク・小マメに動き廻っている。
こんなのが、私の健康法であります。大変、失礼しました。
|