第一話
一九四五年二月。冷たい北風の吹く日。
黒海に面したクリミヤ半島の南端ヤルタを目指して、一台の黒塗りの高級車が走っていた。
乗客はイギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、いま一人はソ連のスターリン人民委員会議長の豪華な顔触れで、三巨頭は第二次世界大戦の終結が近づいたことから、終戦宣言を打ち合わせる会場のヤルタに向っていたのである。
やがてヤルタの森が見えたとき、車の行く手に一匹の巨きな牛が道を塞ぐように寝そべっていて車は通れないので急停車。クラクションをいくど鳴らしても牛は動こうとしないのだそうな。
チャーチル首相が車を降りて牛に向って言った。
「キミ、ここは公道だよ。公道を塞いでいるキミはルール違反じゃないか。われわれは大切な会議で急いでいるんだ。道を開けて退いてくれ給え」
牛は聞こえたのか聞こえないのか、眼ばたきもしなかったそうな。
こんどはルーズベルト大統領が牛の前に立って言った。
「けしからん。われわれをなんと心得ているのだ。道を開けろ!道を開けなければ棍棒で叩いて痛い目にあわせるぞ!それともどうだ一千ドルやる。一千ドルやるから道を開けて退くのだダメカ?それなら一千五百ドルやる。一千五百ドルならキミの一年分の食糧に充分だろう」
しかし牛は一向にピクリとも動かないで、寝そべったままだったそうな。
スターリンがゆっくりと牛に近づいて牛の耳に口を寄せて何ごとか喋った。すると牛は俄に起き上って全速力で走り去ったそうな。
車にもどったスターリンに、チャーチルとルーズベルトが走りはじめた車の中で尋ねた。
「何と言ったの?」
スターリンがにっこり笑って答えたそうな。
「退かないとコルホーズに入れるぞ、と言っただけ」
第二話
日本の敗戦で第二次大戦が終り、講和会議も無事に終って平和が地球に戻ったある日。イギリス人、アメリカ人、フランス人、中国人の四人が集って「日本人とはどういう民族なんだろう」といろいろと議論したという。
●勇敢で死を怖れない
●忠臣蔵に見る様に殿様のために一致協力して目的に向って突進する勇気がある
●赤信号、皆んなで渡れば怖くない
●でも、武士道とは死ぬことと見つけたり
○ツアー旅行を好む様に集団で行動する
○それはツアー旅行なら自分で計画を樹てる面倒がなくて手軽で安易だからだ
○だから自主性に欠けると言える
○原子力というと、どんなに安定性を説いても原子力開発に反対する
●反対は感情が先走って理性的になれないからだ
●だから衝動的な行動をする
●好戦的というわけか
●ということは単細胞の頭脳かな?
○あのツラギ沖海戦は多分に衝動的だった
○あの反転は何だったんだろうか?
○君子危きに近寄らずか?
○でも君子の豹変といってすかさず態度を変えることでも是とする
●傷つく人が出ても構わぬというのかな
●血を見ると狂った様にエキサイトする
●血を見ないとおさまならい
ETC ETC ETC
長々と論じ合った結論は次の様だったと。
「日本人は一方向に走り出すと、全体がその方向に突進して止まるところを知らないほどに狂奔する。そして壁にぶつかって額(ひたい)を割って血を見ると、こんどは全く反対の方角に走り出して、またまたまっしぐらに全体が走りに走り、堅い壁にぶつかる迄突進してそこで足を折り鼻血を流すと、これは間違っていたと気付いて、その途端にまた反対方向に走りはじめて止まることがない。そんな民族かも知れない」
第三話
むかし矢作川(やはぎがわ)に架かる矢矧(やはぎ)橋の上で、八卦見が粗末な机と床几を並べて客の卦を立てていた。構えは粗末であっても必ず当るという評判をとって、近郊近在はいうに及ばず遠国からもやってくる客で繁盛していた。
ある日。その日は珍らしく客がなく、八卦見は腰をおろしてぼんやりと橋を渡ってくる通行人を眺めているとき、通りかかる小僧が八卦見の眼に入った。小僧は、のちに太閤様といわれ天下をとった秀吉が藤吉郎と呼ばれていた頃で、素足に尻切れ草履、袖の破れた木綿着、頭はぼうぼうとしたざんばら髪、すす煤けた顔に団子鼻で乞食同然の風体であった。暇をもてあましていた八卦見はもの好きに乞食小僧に声をかけて呼び止めた。
「おおい小僧。卦を見て進ぜよう。お代はいらないよ」。八卦見が小僧の卦を立てて手相を見て顔が曇つた。こんどは天眼鏡で、穴のあくほど小僧の煤けた顔を見ているうちに、とうとう八卦見は力なく持った天眼鏡をばったと落して、天を仰いでつぶやいた。「ああ、わしの八卦見もおしまいだ。こんな乞食小僧に天下を取るという卦が出て、顔の相にもそれが見えるとは。おしまいだ。おしまいだ」と言って商売道具の天地人の三巻の宝典を拠り上げたそうな。三巻の宝典はバラバラと矢作川の水に呑まれて、はるかに遠く流れ去ってしまったそうな。
それからずっと後世になって、八卦見の宝典がひろい上げられ世間に多くの八卦見が商売をするようになったけれど、ひろい上げられたのは、天の巻と地の巻の二巻だけだったので、天地二巻だけの占いは当ったり当らなかったりする様になったという。三巻あれば必ず当る占いが、それから後は当るも八卦当らぬも八卦といわれる様になっただと。
第四話
ボクノオネエサンハ、イロガシロクテ、セイガタカクテ、ミンナガビジンダトイイマス。ソノオネエサンガオヨメニユキマシタ。オネエサンノオムコサンハ、カガクシヤノタマゴダソウデス。ボクニハムツカシクテワカリマセンガ、ウチユウカガクヲベンキョウシテイルノダソウデス。
オネエサンタチノシンコンリヨコウハ、ウチユウノナカニアルカセイリョコウデス。ミンナニミオクリヲシテモラツテ、ロケツトニノツテユキマシタ。オネエサンノカオハトテモウレシソウデシタ。
キノウ、オネエサンタチガシンコンリヨコウカラ2ネンブリデカエツテキマシタ。クウコウマデデムカエニユキマシタ。ロケツトガツイテオネエサンタチガオリテキマシタ。オネエサンハ、チイチヤナアカチヤンヲダイテイマシタ。タマゴガカエツタノカナ。
第五話
中国の昔、紀元前一二〇〜一三〇年頃に、ローラン王国という国があった。コンロン山脈と天山山脈との間にひろがるタクラマカン砂漠の東方にあって、莫高窟で名高い敦煌の西の方(かた)陽関を去る千六百里の彼方の砂漠の中で半世紀の栄華と高度の文化を誇ったと史記に書かれている幻の楼蘭である。一九三四年にスウエーデンのヘデインによる探査行の発掘で楼蘭の遺跡がはじめて世に出た。ヘデインの探査行では考古学上まことに貴重で豊富な資料が発掘され世界ぢゅうの人々を驚かしたのであった。
楼蘭への関心がいよいよ高まった一九九一年に、シルクロードの終点であるトルコを加えて、日本、中国、トルコの三国共同探検隊がタクラマカン砂漠に入った。おおよそ二年を費してロプ・ノールの発掘、ローラン住居趾の発掘が行われ、考古学者をさらに驚かす貴重な資料が出土したのであった。この度の発掘調査でとりわけ注目されたのは、考古学者がはじめて見る文字の木板であった。材質は胡楊の木で巾二〇センチ長辺一メートルほどで、表面は焔で焼けて木炭化していた。木炭化していたせいか二千年の風月に耐えて砂漠の中に眠っていた文字は楼蘭王国の文字とは異っていた。楼蘭の文字はカロシュティー文字でその系統でないことは明瞭であった。木板の文字は何と読むのか探検隊に参加していた一日中の考古学者は首を捻るだけであったが、トルコの考古学者が「すこし時間が欲しい」と言った。それからイスタンブールの博物館と衛星通信を交わして、木板の文字が解かれる手がかりが博物館にある資料片と符合することがわかったのであった。その後の研究は長い年月を経て一九九九年の終り頃までかかってようやく解読された。完全ではなく一部分解読できない箇所があったがおおむね
このよう○かねのか○るせいじがく○をほろぼ○
というような内容らしい。
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