6組故中山幸治郎嫁 中山 夏子 |
春が巡ってきた。いつでも、この季節は嬉しい。 ・・・さて、そろそろ我が家のベゴニア・ゼラニウム達を、ベランダに並べて、春の空気をたくさん吸わせてあげましょう。それにしても、まあ随分鉢植えが増えてしまったこと・・と、ひとり言を言いながら、一寸手を休め、過ぎ去りし日々に想いを馳せる。花は大好きでも、嫁ぐ前は、およそ土いじりなどしなかった私が、「植物愛好家」になった。 ・・今の私は、野の花でさえも、いとおしい・・ とりとめもなく、こんな事を考え始めるうちに、知らず知らず影響を受けた一人の姿が・・。ああ、きっと、そうなのだわ。 父と私の初対面は、今思い起こすと愉快なもの。結婚前のことで、夫の母にはすでにお目にかかっていたのだが、父とはまだお会いする機会がなかった時のこと。海外から帰国する「未来の夫」を、私は成田空港で、父は箱崎ターミナルで、出迎えていたが、なにしろ、お互いに面識がないので、会えるかどうかという、緊張感より不安がつのった。 ・・堅実そうな、良いお父様・・ 聞く所によると、父は、大分以前から園芸の趣味を持ち、庭に、四季を通じて絶やすことなく花を咲かせることが夢だったとか。だから、どんな炎天下でも、休日など時間がある時は庭に出て、植物と語り合い、手入れを怠ったことがなかったという。 「花」と言えば「女性が好むもの」といった、私の固定観念は、根底から覆された。 花の王様「蘭」の他に、父はとりわけ「バラ」の栽培にも力を注いでいた。 後に知ったことだが、「バラ作り」というものは、草花の中でもとりわけ難しく、美しい大輪の花を咲かせるには、四季を通じて細心の注意を施さないといけないとのこと。そんな大切に育てあげたバラも春、秋と、開花すると、父は切り花にして、惜し気もなく、近所の方々にさしあげていた。私も幾度もその花束をいただいたことがある。それらはどれも花屋さんで売られている物より、ずっとかぐわしく、大きく大きく広がり、生き生きとしているから、長く咲き続けた。いただいた誰もが、父のバラのファンになり、花の咲く頃を心待ちにしていたらしい。今でもバラの花を見かけると、その美しい中に、父の手入れをしている姿を、想像の世界で思い描いてしまう。 私と父、つまり嫁と舅なるものは、一般的にも、そうであろうが、親子関係とはいえ、一番ぎこちなさがつきまとう。話題も、共通項があまりない。母と話すような、女性同志の世間話をするでもなし、かと言って、政治・経済の難しい話をするでもなし。しかし、草花に関しては、私は、知らない花の名前や育て方を尋ね、会話が弾んだことを思い出す。又、それを嬉しそうに答えて下さる時の笑顔が、今は、なつかしい。 私達が結婚してからすぐの頃、父は一度だけ、新居にいらしたことがあった。結婚後、間もなく、まだ閑散とした部屋を、少しでも華やいだ空気にしてあげたいという「親心」の為か、鮮やかなオレンジ色の「クンシラン」の鉢を持って現れたのだった。しかし、新婚カップルの家庭に、男親が一人で訪れたという照れの為だろうか、いそいそと帰ってしまわれた。この事は、今も悔やまれてならない。 ・・せめてもう一度、今度はゆっくりと、来訪してほしかった・・ それから一年後、突然、病床に臥し、「平成」を知ることもなく、大正・昭和の時代を、駆け足で走りぬけてしまった父。 あれから、また春が来て、夏が来て・・相変わらず母の庭には、いつもと同じ順番、見慣れた花を目にする。だが、私達は年ごとに、これらに深く興味を持って接するようになった。母も、夫も、私も、そして父をよく知っている人々までも。どうやら、父は最後に、人々の心の中に優しい種を、数多くの種を、蒔いていかれたよう。 再び、春が巡ってきた。 追 記 父は、今年で七回忌を迎えます。嫁いで、その間約二年くらいの思い出しか、私にはありません。それ以上の長い年月を共にした母、夫の方が、もっと数多くのエピソードを語れるに違いありません。けれども、こうして私にペンを執るよう勧め、励まして下さったお二人に、改めて感謝の意を捧げたいと思います。 最後に父へ 皆、仲良く、健康に過ごしております。 |