5組  韮澤 嘉雄

 

 このたび、卒業五十周年を迎えるに当たり、十二月クラブ会員諸兄に記念特別募金を御願いいたしましたところ、応募会員百七十九名、応募金額七百二十万円に達しました。これは、募金目標四百万円を八○%も上回る驚異的な成績であります。母校をあとにして半世紀をへた今日に至るもなお変わらない会員諸兄の十二月クラブ愛にただただ感激のほかはありません。どなたも、いろいろそれぞれご事情がおありの中を、本当によく御協力下さいました。奥様方も深い御理解をお示し下さいました。前回の、卒業四十周年記念募金のときにもそうでしたが、十二月クラブの連帯感、団結の強さに強い感銘を覚えております。

 お蔭様で、亡き同期生の御冥福を祈る慰霊祭の執行、この素晴らしい記念文集『波濤第二』の発行など、卒業五十周年記念事業を次ぎ次ぎに立派に進めていくことができます。敬愛する親友、金井多喜男幹事長と中村達夫卒業五十周年記念事業準備委員長のお話により募金委員長をお引受けした者といたしまして、御応募下さいました会員諸兄に、御送金頂きました際にも謝意を表させて頂きましたが、さらにこの機会をかりましてもう一度、心から厚く御礼申し上げます。

 さる二月十二日、卒業五十周年記念イヤーの幕開け、十二月クラブ新年会の席上、私は募金委員長として、募金が好成績であったということから表彰され、記念品として、丸善の天眼鏡を頂戴する(非常に重宝しております)光栄に浴しました。だが、私としましては、この栄誉は、私にではなく、募金に積極的に御協力下さった下田友吉、田中仁栄、佐治正三、一森明、岩波薫および、鈴木栄喜の六名の募金副委員長と、田辺一男、中島義彦、阿部誠次、高崎正吾、佐藤敏登、石井重嗣、磯部誠、および西堀正弘の八名の募金委員の方々全員に与えられたものであり、私はただその代表としてお受けしたに過ぎないと受けとめ、これらの方々に特に深く感謝申し上げます。御協力まことに有難うございました。

 また、今回の募金が大成功を収めた蔭には、金井幹事長の大きな力がありました。金井幹事長は、進んで多額の応募をして下さった上に、みずから河合斌人、岩波薫、望月継治といった方々に呼びかけ、大口応募を次ぎ次ぎにきめて下さいました。流石に大物幹事長と敬服いたしました。私は卒業四十周年のときも募金委員長をいたしましたので、「ホトケの顔も三度」とやらで、いくら心臓が強いといわれていましても、二度の大口募金を御願いするのは気がひけていたところでした。そこへ金井幹事長の大援軍が現われたわけでして、大変助かりました。お蔭様で、前記の"御三家"と金井幹事長に続いて、木島利夫、田中林蔵、佐藤敏登、佐治正三および、鈴木茂の五名の方々、ならびに翠川鉄雄、坂田建樹、下田友吉、野田勝哉、一森明、鈴木栄喜、金原昌夫、作花慶一、篠原康次郎、土田三千雄および、渡辺公徳の十一名の方々が大口の応募をして下さいました。この機会に記して、これら二十名の方々に、特に衷心より御礼申し上げます。なお、私も、募金委員長ですから当然ですが、これらの方々のあとに続かせて頂きました。

 このように、十二月クラブは、卒業四十周年が最後の募金と思っていましたのに、十年後の卒業五十周年にも多額の募金をすることに成功したわけですが、このことは別の角度から見れば、会員諸兄の大部分の方々が七十の坂を越えた今日においても、なお元気であることを物語っています。これはまことにご同慶に堪えない次第ですが、しかし、人の世の悩みは尽きません。こんどは、ごく少数のオーナー経営者を除いては、元気ではあるが仕事がないという問題に直面せざるを得なくなっています。

 これは、「人生五十年」ではなく、「人生八十年時代」になった現代社会の大問題の一つですが、有難いことにわれわれには如水会があり、十二月クラブがあります。卒業四十周年のときにも述べたことですが、家にいては"粗大ゴミ"と厄介者扱いにされるので、昼間はどこかへ出ていかねばならないわれわれをあたたかく迎え、抱いてくれるのは如水会であり、十二月クラブです。特に十二月クラブには、生きてきた時代を共にし、母校と教養を同じくし、利害ではなく、純粋な友情と青春の思い出によって結ばれている友が大勢います。それらの友と語り合うことによって、また奥様方ならびに御主人をなくされた方々もそれにジョイントされることによって、人生がたそがれではなく輝きを増してきます。

 幸いにして、わが十二月クラブは、会員諸兄の熱意と努力によって、如水会の、いや全国のさらにいえば世界の、大学の同期生会の中でも、最も組織化され、最も資金も豊富で、最も活発多彩な活動を続けています。しかし、さらに幸いなことに、この六月から如水会館十四階の北側半分も一橋クラブのものになり、会員専用の談話室、食堂、集会室などができました。

 このように会員が利用できる場所が著しく増えた如水会館を舞台に、これまでも大学の同期生会としては世界一活発な十二月クラブの活動を、さらに一段と活発にくりひろげ、奥様方ともども大いに若返り、二十一世紀を見てすぐあの世へ行ったのではつまらないですから、二十一世紀を少なくとも十年間は見るまで、つまり九十才を越すまで頑張りましょう。もちろん、九十才以上、百才まででしたらなお結構です。そう考えますと、十二月クラブの本番はいよいよこれからということになります。
 私たちはいま、大変な時代に生きているのです。

 今回の募金の皆様への御依頼状の中にもちょっと御紹介いたしましたが、アメリカの力ーター政権のときの国家安全保障問題担当補佐官を勤めたスビグネフ・ブレジンスキー教授は、昨年五月、日本にこられ、五月二十九日に経団連会館で、「米ソ新デタント下の日米関係」と題する講演を行い、そのあと別室で開かれた歓迎レセプションの席上、即席のスピーチをされました。

 ブレジンスキー教授は、御承知のように、一九八九年に大著、"The Grand Future --- The Birth and Death of Communism in the Twentieth Century" (伊藤憲一訳『大いなる失敗--20世紀における共産主義の誕生と終焉--』を著わして(原稿は八八年夏に完成していた)ソ連・東欧の大変革を予言した方ですが、前記のレセプションにおけるスピーチの中で、同教授は、「現在は二百年前のフランス革命に匹敵する世界史の一大転換期であります。たまたまその大転換期に際会して、その時々刻々の、目まぐるしい変化のドラマを、テレビ、新聞などを通して、この目で witness (目撃)できるのは、何という exciting な(血湧き肉躍る)ことでしょう!」と述べました。私は、この言葉に電流を打たれたようになり、すぐメモをとって、それ以後あちこちで講演するたびに活用させて頂いていますが、私たちはこういう二百年に一回という世界史の大転換期、激動に次ぐ激動の時代にめぐり合っているのです。

 この興味津々たる時代をもっとよく見、堪能するまで生きないでどうしましょうか。十二月クラブの会員の皆さん、くれぐれも健康に留意されて長生きしましょう。それには、いまの時代をフォローするのも一つのいい方法です。私はこのごろ、しみじみジャーナリスト、それに国際政治経済・外交問題のそれになってよかったと思っています。毎朝、六時からテレビを視、取っている新聞を読むのが楽しくてなりません。新聞は七つ取っていますので、それを読んだ上に切抜きするのは容易なことではありません。背中が痛くなることもあります。でも、いまの激動に次ぐ激動の世界をフォローするのはぞくぞくするほど面白いです。頭の老化予防にはもってこいです。

 賢明な十二月クラブ会員諸兄には、特に一橋出身ですから、私などにいわれなくても、とっくの昔からそうしておられると思いますが、もしまだでしたら、いまからでも国際問題に興味をもたれ、毎日、フォローされることをおすすめいたします。繰返し申しましたように、とても面白い時代に生きていますので飽きませんし、頭の体操になり、若返ります。

 私は、昨年九月、日本記者クラブの取材・視察団の一員として、ソ連(リトアニア共和国を含む)、ポーランド、東ドイツを二週間、見て参りました。米欧、東南アジア、大洋州はこれまでに数十カ国訪れていますが、共産圏は初めてでしたので、思いがけない経験をあちこちでしました。紙数の関係で、それを詳しく御紹介できないのは残念ですが、とにかく訪問先の国の経済が予想以上に悪いのには驚きました。モスクワでは通貨の受領拒否が広く行われています。「ルーブルはいらない。ドルか円で払ってくれ。たばこでもいい」といいます。アメリカのたばこ「マールボロ」は、成田ではたしか一箱百五十円ぐらいだったと思いますが、モスクワではやみ値では十ドル(二千五百円)もします。雲仙岳のように、地下にインフレのマグマが充満していますので、いずれ何らかの通貨措置があると見て民衆が自己防衛しているわけです。一国の通貨がこうなったらおしまいです。

 それというのも、ひとくちでいえば、共産党独裁、中央集権・計画経済・分業経済・軍事・重工業優先が悪かったのです。自由と競争を否定し、〃親方赤旗"非能率な経済を続けていたのでは、いつかは、破綻がきます。財政の赤字、国際収支の赤字、地下経済の肥大化で、にっちもさっちもいかなくなってしまったのです。前記のブレジンスキー教授が指摘されていますように、共産主義・中央集権・計画経済は完全に〃壮大な失敗"に終ったのでして、自由主義・民主主義・競争経済の文句ない勝利です。

 ですから、ゴルバチョフ大統領が、「共産主義は完敗しました。これからは全面的に自由主義・民主主義に改宗します」といって、速やかに自由経済に移行すればいいのですが、彼は「私は依然として共産主義者である」といい張っていますので、自由経済への移行はうまくいかず、西側も対ソ支援に首をかしげざるを得ません。その点、六月十二日の、ソ連史上初めての直接選挙によりロシア共和国大統領に選ばれたエリツィン氏の方がーーこの方が昨年一月十六日、日本記者クラブで記者会見されたとき、私は、日本記者クラブの"質問魔"ですので、真っ先に質問しましたがーー共産党から脱党し、共産主義はやめるといっていますので望みがありますが、それでも前途は多難でしょう。共産党の特権階級(ノーメンクラツーラ)ががっちり根をおろし、改革に抵抗しているソ連社会では、ペレストロイカ(立て直し)はなかなか進まないだろうというのが私の実感でした。

 それにつけても、戦後の日本は何といういい国だろう!ということを痛感しました。こんなに自由で平等で、競争が激しい、活力のある国は、世界中にありません。この活力を維持する限り、日本はどこまでも伸びていくでしょう。

 こういう素晴らしい国に生き、しかも私たちは、宝石よりも貴重な十二月クラブというものをもっているのです。それ故、十二月クラブのこれからの重要な存在意義に改めてもう一度思いをいたし、長生きして、皆で互いに助け合い、励まし合い、慰め合い、いいアイディア・智恵を出し合い、力を合わせて、十二月クラブをさらに一段と盛んにしていこうではありませんか。それが私たちひとりひとりの、これからの人生の幸福につながっているのです。