お金を見つめて60年 |
7組 西川 元彦 |
実学といえば、簿記・ソロバンなど低次元のものではないか、という見方が今も昔もある。そんなはずはないと思うままに、あれこれ読んだり考え込んできた。そんな機縁で「一橋の学問を考える会」に誘われ「近代経済学の実学性と金融政策」という卓話をしたことがある。ここで近代経済学とは、ゼミの恩師中山伊知郎先生の名著純粋経済学以降の流れを指すが、この中山先生の学風には一見する所より遥かに広くかつ深い実学的な視野がある。そういう趣旨の回想談であった。私は先生から晩年の御病床に至るまでお教えを頂き続けていた。 それから、私の実学観の背後には、波涛の前号にも書いた"お金を見つめての生涯"という生活体験がある。日本銀行に四三年も居たし、大学の教壇一七年も専らお金談義であり、まだ暫くは続けるつもりでいる。お金の学問は実学でなければならぬ、というのが私の確信となっている。そういう意味で右の卓話の題に金融政策という言葉を付した。金融政策は実学に基づく実業であり、虚学や虚業であってはならないと思い続けている。 この卓話記録はその後「一橋の学風とその系譜」に転載された。正式の教授ではなかった私には全く場違いなのだが……。因みに右系譜の冒頭対談には「実学とアカデミズム」という副題がついている。一橋と実学は切っても切れないものがある。しかるに、そういう伝統はいささか風化していないか。この頃、一般的に経済学の危機が囁かれたり、一橋のミニ東大化が嘆ぜられることもあるが、実学の伝統が生々発展しておれば、そのようなことはありえない筈なのである。だから、そのルネッサンスを待望したくなる。 一橋四天王とその実学性 四天王とは、福田徳三、三浦新七、上田貞二郎、左右田喜一郎の四先生を指す。私はこの四先生にも実学性を嗅ぎとっているのだが、"高度の"とか"次元の高い"という形容詞をつげてもいい。増田四郎先生などはそういう風に言われることがある。我々が直に接した上貞先生の実学性には異論はあるまいが、文明史の三浦先生、経済哲学の左右田先生が何故実学かと問われるならば、お二人とも立派な銀行頭取であり全人格的な実践に身を挺されたと答えたい。三浦先生は実際的な金融政策に関する日銀総裁顧問もしておられた。福田先生の最初の担当は実学の中心軸たる「商業実践」であった。話がそれるが、東大日本経済史の巨峰土屋喬雄先生は学生時代何度も福田先生の門を叩かれたらしい。そして私にこう語られたことがある。「福田先生は、今自分は西洋学の輸入に忙しいが、本当は日本の生の現実を調べ上げ日本経済学を築きたい、と言われた。それで日本経済史専攻の志が固った」と。 四天王から離れて簿記の方から一橋実学の深みを考えてみると、まず高瀬荘太郎先生の会計学の底にあった社会学ないし社界思想が想起されてくる。それから「杉村広蔵を憶う」という追悼文集(昭二五年)にある中山先生の言葉を引用しよう。"哲学者とソロバンは由来縁の遠いものときめられているが、杉村さんの名会計士ぶりに一驚したことがある〃と。そこが偉いのだという趣旨なのである。 こういうわけで、私は予々一橋実学を次のように定義したいと思ってきた。下には、実際、実用といった大地を踏まえ、上には、真案、誠案という言葉にも滲む哲学や宗教を仰ぎ、その真ん中に、何等かの専門的、科学的な研究領域を持つ学問である、と。上、中、下、不可分かつ一連の学問像であり、その何れが欠けても、実学ならざる虚学に転ずる。こう問題は、やかましくいえば科学哲学とか科学方法論のテーマとなるが、私の実学観でスミス、マルクス、ケインズ、シュムペーターを評価できるし、フリドマン批判も可能となる。因みに、中山伊知郎全集の最終巻は「発展の人間学」と題されている。 一橋実学のもう一つの特徴 右に述べたタテの関係でみた実学像のほかに、ヨコの関係、つまり「学際性」ということも一橋実学の大特色といえそうである。これは商法講習所から商科大学へという一橋発展史にも根差す。我々は皆商学士になったわけだが、それぞれのゼミに即していえば、事実上経済学士や法学士でもあり、それでいて一本であった。私など高商出ということもあって、ゼミの時間と休暇期間は経済理論に専念したが、それ以外は他の領域を渡り歩いていた。必修以外の法律も一通り覗いていたし、上貞先生や増地先生の本はかなり熟読した。だから商学士という称号に微塵の異和感もなく卒業した。中山先生もそういう勉強態度に賛成して下さった。 一橋の学問は商学を共通の根とし、そこから色々の幹や枝が伸び、それぞれに大輪を咲かせてきた。そこは各帝大と丸で違っていた。一橋法学の方法論を創始した米谷隆三先生の約款法とか経済法は、役人養成の帝大法学とは法哲学を異にする。だから商大を根城にした経済法学会は帝大からボイコットを喰らう。文学や語学の先生も一橋の伝統を知り一橋化されていたと聞く。文豪ゲーテの商人礼讃、簿記礼讃を知ったのも吹田先生のお蔭なのであろう。 ところが、今の一橋は四学部制に分裂し、共通の根も学際的伝統も少し薄れていないか。四学部連携を願った当時の中山学長の苦心が実っているか。その意味でも一橋実学のルネッサスを待望する。量的なミニ東大はやむを得ないとして、各大学と金太郎飴となっては量が質に転じないかとも思う。 一橋実学の源流・ホイットニー 一橋の前身商法講習所は"ホイットニー商業塾"といった恰好で明治八年スタートした。簿記・ソロバンの事始めでもあるが、その実体は何であったか。ホイットニー家は英系の名門で、著明な学者、神学者もいる。彼自身は初め数学を学び五ヶ国語に通じていたというが、後にアメリカ・ニュージャージーでビジネス・カレッジの校長となっていた。彼は五十歳の時一家を挙げて来日する。表向きは森有礼の招きによるが、実際には留学生富田鉄之助(当時三五歳、後の日銀総裁)に文字通り惚れ込んだためであった。ビジネス優等生だけでなく、求道的な人柄にであった。英語はアンナ夫人に学ぶが、聖書の英語を乞われ、聖書の講義を通じ彼女自身開眼し真実の幸福を見出した。この国の人のため一切を犠牲にして何かしなければならぬと思った"という。簿記(帳合の法)も伝導の一つの媒体だったらしいのである。法律学としての商法も講義したが、当時日本には商法典は制定されておらず「商律」という科目名が使われた。規律と道義という含蓄だろう。授業は全部英語であった。第一期卒業生成瀬正忠は学校に残り教頭となった(後の三井合名総理)。 しかしホイットニー一家を待ち受けていたものは大きな犠牲であった。森のバックも政府との関係で途絶え、府立移管後の校長矢野二郎とは対立し、退任を余儀なくする。忽ち生計に窮するが、米国での第一期生富田が全面的にサポート、殊に富田の幕末以来の師勝海舟は一家を邸内に引取り、世話を尽している。こういう不幸と幸は伝導者の宿命だったろう。一家は一旦帰米するが、多くの犠牲と不幸に拘らず再渡日の道につき、ホイットニーはロンドンで客死する。それでも夫人と子女は来日し生涯二世代に亘り伝導活動に献身している。医学と病院経営、西洋料理やマナーなどを媒体とする伝導であった。小平に津田塾を開いた梅子の渡米も斡旋した。 ホイットニーの商業教育の主眼がキリスト教倫理にあったことは、その一番弟子富田の著「銀行小言」にもよく表れている。これは銀行実務の書だが、終章の銀行の公義では宗教論が展開されている。なお富田は渋沢栄一と共に東京商業学校の商議員を長く務めた。(本節は渋沢輝二郎先輩の本にもよる) 実学と宗教倫理-日本の神儒仏 ホイットニーと富田は、上にキリスト教倫理を仰ぎ、下に実用を重んじたという意味で実学者であった。それでは日本に伝統的な神儒仏はどうか。渋沢栄一は「論語算盤合読」でよく知られているように大の儒教家であり、それを生涯実践した。遡って江戸は元禄の高度成長期に生れた「石門心学」も一応儒教と目され、商学や経済学の芽も生えていた。上方の小商人として生業を営みながら思索を深めた石田梅岩の創始だが、神儒仏の門弟も多く、広く江戸などにも広がった。今も信奉者が少なくない。 仏教では現存の方として、東大印度哲学の中村元先生、創大経済学者大野信三先生の名を挙げたい。それから欧米にも仏教倫理と経済を結びつけている人が何人もいる(シューマッハ、ベラー、コルムなど)。今の日本の実業家にかなりの仏教篤信者がいることはもちろんだろう。 仏教的な経済思想の我が国の古典としては、江戸初期の禅僧鈴木正三が特筆されよう。私の知る限りこの正三に光を照したのは、右述した中村、大野両先生であった。正三は戦場経験を持つ武士の出身らしく仁王禅と称されているが、商人や職人にも道を説き金儲けの秘訣さえ説く。曰く"売買をせん人は先ず得利を益すべき心遣いを修行すべし"、〃商人なくして世界の自由なるべからず"、"唯是一仏の自由なり"と、無漏の善を説く。そして今も鈴木正三顕彰会が毎年行われている。もっと遡れば室町期の疎石や鎌倉期の道元や日蓮にもその萌芽がある。要するに「仏法即世法」の思想であり、仏教は印度で生れ、中国で整序され、日本で生活化したといわれる所以である。ウェーバーのプロテスタントの倫理といった世俗規範は日本が先行していたと説く西欧の学者もいる。 ところで一橋の仏教について一言すれば、左右田先生が晩年仏像を大切にしたという御息女のお話を聞いたことがある。京大と併任の哲学教授山内得立先生(現塩野谷学長の岳父)の遺墨集は仏教語で「随眠」と題されている。上原専禄先生には仏教書があるし、上辰先生の「経済人の西東」でも儒仏が登場するという按配である。 お金を見つめて六十年・・貨幣の実学 もう紙幅がないが、貨幣の本質はタテ・ヨコ無限の実学的存在だといえる。上に宗教や哲学ありー哲学では左右田先生やジンメルー下なら人生万事金の坩堝だろう。ヨコの学問分野で貨幣に無関係のものは何一つない。最近文化人類学が流行しているが、そういう見地で福田徳三先生の貨幣観が再発掘された。一方左右田哲学の継承者のはずの馬場啓之助先生が少々左右田離れしたという話を如水会々報で見て、一橋の伝統の行方に不思議さも覚えた。 ともかくお金はむつかしい。シュムペーターほどの人でも「貨幣本質論」という大著の原稿を出版せずに他界した。高垣寅次郎先生もこれに似ていたと御子息が書いている。神学者フォスターは金が奇麗になりさえすればという本を書いた。だがワーゲマンは、貨幣は、生物の生命の如く、永遠の謎であると言った。私の未完成交響楽も終りに近い。 |