1組故野田宗造妻 野田 澄江

 

 新緑の美しい楽しく心地良い季節となって参りました。
 本年は大学御卒業五十周年、お目出度う御座います。心よりお喜び申し上げます。どうぞ今後も末長く五十五周年、六十周年と記念日をお伸し下さいます様お祈り申し上げます。

 『波濤』の文集とお誘い頂きましたが、生れつきの作文下手で、何をどの様に記してよろしいやらわかりません故、近況をお知らせして主人宗造の残した子供達の成長をおわかり頂く事とさせて頂きます。

 主人宗造も本年は亡くなりまして満十六年目となり、去る三月三十一日に伊東市の浄円寺にて子供と孫達でしめやかに十七回忌の法要を済ませました。伊東には今、野田の家族は居住せず、宗造の弟も三年前に亡くなり、その妻と長男が居るだけでございます。私達家族も長男、次男が東京に居住し、三男祐三が私と一緒に焼津に居ります。お蔭様にて祐三は一昨年三十六才にて結婚致し、昨年九月に長男和宏が誕生致しました。やっとこれで私も宗造に親としての任務も終了した事が報告出来る様になりました。祐三は焼津市の石原水産KKに勤め、嫁は焼津市立病院に栄養士として勤務して居りますので、孫の和宏を私が世話をして居ります。一日中忙しく昔の自分達の子育てを思い出して居ります。長男耕一も長男(私の孫)を亡くし長女と嫁と三人で練馬区に住み、次男修二は女の子二人と嫁で調布の方に居ります。

 焼津の地には知人が居りませんので昔の思い出を話す事は御座いませんが、港の様子等知らなかった事を見たり聞いたり、又は冷凍の鰹、鮪等、船より港におろす処を見せて頂いたりして、何とか昨今では馴染んで来た様な感じで御座います。土地としては特別景色の良い場所とか記念物は御座いません。ほんとうの漁港で御座います。最近街の発展の為とかで「サンライフシティ」とか申しまして計画が練られて居る様でございます。私共居住地も区画整理が始められ、色々と騒がれて居ります。自宅も道路に全部入る予定になって居ります。然し祐三が此の地に居る限りは私もここに留る事と存じます。お暇の折には一度焼津の方面にもお越し下さいませ。

 平凡な家族の生活では御座いますが皆様の厚い御交情のお蔭様で一時はどうなる事かと思いましたが、この様に成長致しました事を茲に深く感謝しお礼申し上げますと共に、今後もどうぞよろしく御願い申し上げます。取留めもなく拙い文では御座いますが御報告とさせて頂きます。
 どうぞこれからもますます御健康で御多幸にお過しの程お願い申し上げます。