1組 大塚 正幸 |
十年前に勤めをやめてから暫らくはブラブラしていたが、退屈しのぎと健康のため一念発起して昭和五十七年四月からテニスを始めた。 小生の在住する千葉県松戸市には市有のテニスコートを定期的に利用するテニスクラブが幾つかあり、民間のクラブに比べ大幅に安くテニスを愉しむことができるのである。小生は自宅に一番近いコートを使用する常盤平硬式テニスクラブに入会し、火・木の週二回コートに通い練習に励んだ。ただ平日なので女性が圧倒的に多く我々老人は少数派でそのため何となく遠慮勝ちにならざるを得ない環境であった。それから四年余り経過した六十一年十一月に「フレッシュクラブ」というクラブが誕生した。これは松戸市テニス協会々長であった室谷邦雄氏(小樽商大→日本銀行)という方が高齢のテニス愛好者のために同志の方々と相計って組織されたクラブで、我々老人にとってはまことに好都合で有り難く且つ時宜を得たもので小生も発足と同時に参加させて頂いた。 テニスを志して良かったと思うことは色々あるが、先ず第一は何といっても健康状態の改善であろう。体重六十八瓩(キログラム)が五十九瓩に減量し、血圧は元々高い方ではなかったが一三〇〜七〇に安定し、他に特別悪い個所もないようだ。第二は前記の二つのクラブを通じ多くの人々との出合いがあり、特にフレッシュクラブの年寄り仲間とは共通の話題が豊富で愉しいものだ。又それぞれ戦中、戦後の厳しい世の中を生き抜いて来た人達ばかりだから教えられることも多い。第三には平成元年十一月に大分県で開催された第二回全国健康福祉祭(通称ねんりんピック)に硬式テニスの千葉県代表選手の一人として参加させてもらったが、一生の思い出となるだろう。なおこれはテニスが上手だからではなく、毎年順番に行くということである。この外昨年七月十一日に松戸市で開催された「千葉ねんりんピック」をNHK(千葉)がテレビで取材し、その日の夕方関東甲信越ネットワークのニュースでその模様を放映したが、その中にプレー中の小生がアップで写し出される場面があり、テニス仲間や隣近所の話題になったこともある。更に本年三月には教育テレビの毎週土曜日のウイークエンドセミナーで、講話の前後にお年寄りがマラソン、ゲートボール等活躍しているところが放映されたが、その中に前記の小生の姿が現れるのである。 以上の通りテニスにより当初の目的は一応達せられたと思いますが、尚数年は引き続き頑張りたいと願っている次第です。 |
卒業25周年記念アルバムより |