5組 佐藤 敏登 |
御互いに七十才を過ぎると、何事にも「物憂く」、呆気、短気、失念の毎日となる。さて何を書くかと随分長い間苦悩したが、素直に「テーマ」が見つからぬ。文学、音楽、短歌、俳句、園芸、茶の湯等々、文人墨客に縁の薄い私であれば、「ソフト」のジャンルは不得意、致し方なく、平均的サラリーマン共通のゴルフ話で責を埋めよう。以下ゴルフ歴の概要を誌す。 (イ) S八年(十五才)叔父同伴で初めて三田クラブに。勿論ノンプレー。暖かい芝生の上で、いつ知らず昼寝。夕方スキヤキを食べて、オープンカーで引き上げた。当時は、ニッカポッカー、蝶ネクタイ、ハンティング。負ければ神戸の花隈辺で晩飯進呈。 (ロ) S三〇年(三十七才)門司C(松枝コース)。初打、(H)三〇。当時はまだゴルフ場が少なく、九州では長崎(雲仙)、古賀、門司、唐津、小倉位で、ポールも(糸巻)新品は高価で買えぬ。道具は義父のヒッコリーのワンセツト。靴はラバー。ゴルフ場はガラガラ。 (ハ)S三〇〜三二年(三九才)主として「東雲CC」。近いので帰社して勤務可能。伊東の大室山のゴルフ場にも時折。 (ニ)S三二〜三九年(三九才〜四六才)宝塚CC(法)、(H)二八→一五。関西勤務。販売、購買、建設の一切を引受け、高度成長時代の為、麻雀、ゴルフ、宴会のオンパレード。社宅は甲子園。宝塚、西宮、茨木、廣野等駆け巡る日々。当時は宴会よりゴルフの方が格安で、メンバーであれば、千円以内で可。従って賞品の方が豪華で、カミさんの服地、ハンドバック、旅行鞄、紳士服地等々。ボールはダンロップの緑で四五〇円、赤で三百円、平成になっても同値、卵とボールは値上がり無し。腕の方は、スライス、OBも屡なれど(失球)反面バーディーも又屡。バーディー賞は球一箇、従っていつもニューポールでプレー。ハンディもトントン拍子に上がり二八→一五。東京のゴルフ会も時々あって、S三五年我孫子、S三七小金井の優勝カツプ現存。 「思い出」(一) 宝塚で豪州人を招待。プレー後入浴。小生悠々と湯舟に浸っていると、カランコロンと木製サンダルの音が脱衣場を通って浴室迄来るではないか。"オー、ビント"とチンポコブラブラ、例の外人が入って来た。並居る連中ビックリ仰天。小生も突然の出来事で「サンダルを脱げ」との英語が出ない。彼氏悠々とシャワーしてカランコロンカランコロンと御引き揚げ、私もあわてて後を追う。彼氏ロッカー室の廊下をフルチンでブラブラ歩いて居る。ロッカー係の婆さんがビックリ仰天。小生「スマンスマン」外国では是が日常だろうが小生は冷汗三斗、気の良い明るい外人さんだった。 「思い出」(ニ) 此の頃が日本の高度成長の最盛期。宝塚CCも新コース増設し三十六ホール、ここまでは良かったが、全国一豪華なクラブハウスを造り(長期間支払不能となる)、代表的悪い模範となった派手な大会、騒々しい会長、大型賞品の陳列、ケバケバしい服装、等々、守る可き、ルール、マナー、エチケットは乱れ、旧コース時代を知る人達が眉をしかめることとなった。又、奈良県の某ゴルフ場で暴力団員によるゴルフ場殺人事件発生。浅ましいゴルフの日本人的発展となる。 (ホ) S三九〜四六年(四六〜五三才)東京勤務。湘南CC(法)、(H)一五。仕事的には悪戦苦闘の時代。営業人として各地転戦しゴルフが唯一の肉体的精神的健康法であった。湘南も初めの頃は、食堂着衣を強制、熱汗多出で全く参った。批難ゴーゴーで間もなく解除。 (ヘ) S四六〜四八年(五三才〜五五才)九州勤務。古賀CC(法)、玄海CC(法)、(H)一五、別居独身。支店長職の為、交際頻々、然もゴルフ場迄三十分〜一時間。マンション、単身、御車付き、御蔭で浮気する暇なし。九州第一等の古賀CCが永年のキャディさんストで、セルフ、プレー。さすがにゴルフにならなかった。人事管理の下手な殿様経営のトガメか。 (ト) S四八〜四九年(五五才〜五七才)湘南(法)、小金井個、(H)一五、東京支店の営業区域は本州中部以東、北海道迄、一道一都一五県。会合、出張が頻繁。従って既存のコースは殆ど股にかけた。当時は又々乱開発の時代。ゴルフをやらないと営業が勤まらない。老いも若きも、職業の上下も、男も女もーーと云う差別なき時代。スポンサー付きプロゴルフ大会が漸く一般大衆に根着いた時代。スポーツでなく全てが興業的となった時代。 (チ) S五〇〜五四年(五七〜六一年)大阪勤務。西宮(法)、茨木(法)、(H)十六。二度目の大阪。営業範囲、山陰、山陽、近畿十県。関西の風土は、商売半分、交際半分。散会後は、バーか麻雀、小生は後者派。朝集合時のルール説明、直後にゴソゴソ麻組結成、手早くやらぬと独り寂しくアパート帰りと相成る次第。折角数時間苦闘して稼いだ金も座った途端の一打ちでパー、ゴルフでも麻雀でも鴨になる人は決まって居た。善人往生の教えの通り、大阪時代の公式競技に優勝したことがない。仲間から嫌われた人を必ず引き受けたから。計算ゴマカシ、ノロノロプレー。グリーンウロウロ、どこの会にも必ず二、三人は居るものだ。 (リ) S五四〜現在(五七〜七三才)小金井個、(H)一六→二四。本社詰、子会社勤務。地方長官時代の自由と仕事の現場のない職域になると回数も減るー下手になるー余り興味がなくなるの悪循環で転落の時代。夫れでも三年位前迄は倶楽部の公式戦で思い出したようにカップを貰った。下手は下手なりにチャンスもあるものだ。最近は接待ゴルフも敬遠して練習のみ。練習ボールニ箱で長打、バンカー、アプローチ、パターを二時間位やって、十一時〜十二時一番風呂に入り、風呂の中で軟体操、食堂で酒一杯、カレーライス、合計1,318円(消費税込)を払っておわり。他人様は「そんなお近くに居て勿体ないですネ」と云う、銭を払ってまでも勝目のない仕事はしない方針。家の掃除の時に、粗大ゴミは外出するブラブラ人生が板に付いたと云う可きか。十二月クラブのゴルフ会に誘われるが遠出も是又面倒。会社勤務の御蔭で全国名門コース、全国ウマイもんコース、全国の美酒にありつくこと五十五年、有難いことである。此の御恩は残生に於て少しでも御返しする義務ありと信じ実行する昨今である。 |