7組 澤登 源治 |
最近私はアメリカの或る許可を申請する為、英文の大学卒業証明書と成績表が必要となり一橋大教務課を訪問した。教務課では新制大学の卒業並に成績証明書は二つとも英文のフォームが用意されているが、戦前の旧制大学の成績証明書は新制と科目が異なる為、英文のフォームは備付けていないと云う。然しキャプテン・オブ・インダストリーを標榜する一橋大で、英文の証明書を発行することが出来ないではすまされず、暫時猶予願えれば翻訳して発行しますとのことで、旬日をへて英文の卒業証明書と成績表が郵送されて来た。確に一九四一年十二月二十七日附でBacheler of Commerceの資格が授与されているが、よもや卒業後五十年目にして自分の成績表にお目にかかるとは思いも掛けず、AとかBが並んでいる国立三年間の所業の結果に何んとも複雑な感慨を覚えた次第である。 よくぞ勉強したものだと我ながら少しばかり感心する想いと、今少し努力を惜しむのではなかったと云う、かすかな後悔の念とが入り混った複雑な想いであったが、青雲の志を抱いて北海道からはるばる笈を負って上京し、陽光にきらめいて聳えたつ時計塔や兼松講堂を仰いで純真な気持で真理の追求を志した若い日の自分自身の姿の上にそれを果たし得なかったことを示す英文の成績表をオーバーラップさせて甘酸っぱい感傷に浸ったのであった。 因に英文の成績表にはAは(75〜100)Bは(60〜74)Cは(50〜59),、D( below 49)、Lowest
Pass Mark Cと註記してあった。果たしてクラスメートの諸兄は御自分の成績を如何に想い出されるや。 南米サンパウロでは中村豊君(故人)、伊丹君(故人)、切田君、岩本君等とお互に力づけ合い、また金井君が通産省の代表として長期間支払協定の交渉に滞在してホテルのドアマンにプロゴルファーと間違えられた程、ロングラン交渉の余暇を活用されておられたのも楽しい思い出であり、ニューヨークでは魚本君(故人)、中村豊君(故人・再度)等と時期を同じくして交流を深め、或いは駐在した各地で通過するクラスメートの諸兄を迎えての会食でどれ程心温く激励されたことであろう。ロスアンゼルスでは如水会支部長として会館新築の募金活動でいささか御期待に副い得たのではないかと思っている。 この半世紀の間に一橋出身と云う丈でいつも過分の信頼をうけたり或いは先輩同僚に親近感をもって迎えられたかその恩恵は計り知れざるものがあり、本当に一橋百年の伝統の重みを痛感した次第である。 十二月クラブの標榜する「健やかな余生」に自分もあやかりたいと念願する昨今であるが、これからの余生をマイペースで生き抜くとしても過ぎ去った五十年の回顧がこれからの人生の支えになることは間違いなく十二月クラブの各位の御健勝を心から祈念する次第である。 |