1組  柴田 信一

 

 「いのち」という言葉が、宗教書や説教や法話などに頻繁に用いられますが、言廻しに過剰な説教臭が匂う場合が多いので、私としては自分の至らなさを棚上げして、疎ましい感じを拭い去ることができませんでした。しかし、寄る年波のせいか、肉体の衰えと共に気力の薄らぐのに伴い、心臓の鼓動を命のリズムとして知覚するようになった昨今は、人生最重要な意味と価値を持つこの言葉に切実感を味わうようになって参りました。人間は夜眠ると意識不明の状態になり、朝目覚めて今日生きていることがわかります。しかし、死に直面しておらず平穏な生活を営んでいる者にとって死の意味を把握することはできず、そのような人の言う死は限りなく観念的なものに過ぎないでしょう。仏陀の「大いなる遁世」は、観念的ではない死の把握をひたすらに志したものであったに違いありません。

 何かの宗教を信じている人が28%、宗教は大切なものと思う人が38%、死後の世界があると思う人が25%(読売新聞89・9国民意識調査)。実感よりは多い数字の感じですが、現代の様な科学思想の徹底、利益追求、出世主義の時代でも、意外と宗教に共感する人が多いのに驚きます。

 「我未だ生を知らずいづくんぞ死をや」とは孔子の言葉です。現実主義的に過ごし、来たるべき死のことなどわからぬことにかかずらってあれこれ頭をめぐらすのは馬鹿げている。死ぬ時には思い残すことのないような心掛けこそ肝要、という人は多分少しは孔子の思想に通じているのでしょうか。

 「科学的思考こそは真理で宗教には関心がない」と広言していた人が、盛大な仏式葬儀で野辺送りをされたが、多くの僧侶の懸命な読経が故人の霊に果して通じているのだろうかと、故人の写真や棺と僧侶たちとを私は見較べていました。富と名声を得たり、一生を特別の支障もなく円満に過した人が、従容として死につき祝福されて往生すると称される場面は珍しいことではありません。

 しかし、一方、特に信仰とか信心は持たず、死の直前まで自分をめぐるこの世の仕打ちに対して怨嵯の声を上げていた人の「死に顔」に、厳しい圧迫と束縛から放たれて自由となり、最早求めるものもなく、恨みも消えてすべてを許す緩やかな充足感と、うっすらと頬に浮かぶ微笑を見たのは、おそろしい程の感動でありました。この様な人の後世こそ祝福し固い合掌をもって祈りたい熱い思いに涕泣させられたことがあります。この世での並み並みならぬ苦難や肉体的病苦からの解放による緩やかな弛みまでは生理的医学的に説明できるかも知れない。しかし、顔面の、ほのかな優しい美しさ、というエモーションが死の直前直後に現れていたとすれば、死とは彼にとってどのような意味であったのであろうか。この世の仕打ちによる苦悶や怨恨は病の肉体的痛みのうちに掻き消され溶解されたとしても、仏の御来迎に接するのに、このように美しい後生清浄(ごしょうしょうじょう)の容姿を以て応えられたのは何故であろうか。「自力作善(じりょくさくぜん)の人は弥陀の本願にあらず、悪人こそは往生の正因(しょういん)」と、下品下生(げぼんげしょう)こそは済度の大願であるとする親鷲の言葉の実証を見る思いでした。

 菩薩が仏陀になるための「大いなる遁世」は、@永遠の青春、A衰えざる美貌、B病に脅されない健康、C永遠の生命、の四条件が俗世では満たされない故にその探究のための家出であるとされます。又、イエスは「我は甦りなり命なり我を信ずる者は死すとも生くべし生きて我を信ずる者は決して死することなし」と大胆明瞭に宣言しました。イエスと仏陀は「信ずる者に限り」不死と永遠の生命を保証しました。

 仏教経典が現代用語にまで充分に翻訳されてはいないが、その漢文調は簡潔で含蓄を持ち宗教的真理の内容を温め味わい深いものがあります。しかし、学識の滓(おり)を匂わせ表現が間接的で観念主義であるように菲才な私には感ぜられます。開祖高僧達の篤い信心と布教のお蔭で南無阿弥陀仏を称名するだけで、仏陀の大悲に何とはなしに触れる思いにされるのが日本人の多くです。

 一部の形而上的表現を除けば、聖書は日本語の平語に直されている。心象風景を外部の事物に擬(なぞら)える表現が屡々用いられて、それは稚拙蒙昧の現れの様にも見えるが、むしろビジョンが生き生きと表されているように思います。慾を言えば、翻訳調を脱し、もう少し自然な日本語になって欲しいものですが。キリスト教圏の人々は「アーメン」と言えば救われる実感を持つことでしょう。

 大抵の日本人クリスチャンは神社仏閣をなるべく避ける。町会で神社の境内の清掃に当る時も、済んで皆が柏手を打って参拝してもそれには加わらない。浅草観音様近くの教会のクリスチャンは、観音様であなた達の町が栄えたのですねと尋ねても、子供の時からよく行って遊んだが鳩に豆はやるが本堂で拝むことはしないと言うことが信仰の証でもある。

 印度人のクリスチャンを案内して神社仏閣や路傍の道祖神を巡ったが、彼は進んで掌を合せ費銭すら投じ身を屈め道祖神に触れたりしていた。日本人の私に敬意を表した風ではなく極く素直な素振りであった。印度にはモア・エイト・ミリオン・ゴッズ(八百万の神以上)がいると言っていた。私自身は神社のどんな祭神にも各宗のお寺にも教会の一神教の神様にも「何ごとのおわしますかは知らねどもただありがたさに」といった気持で掌を合せお願い事をします。京都太奏広隆寺の「いさら井」は聖なる「イスラエルの井戸」を祀るものとされ、高野山奥の院「太奏景教流行中国碑」の模造碑は、空海が長安留学の折キリスト教と接触したことを記念するものと聞いています。この様な寛やかさは、偶像崇拝の異教を根絶することを宗旨とする旧約等の教えからは遠い。ただ肝心のイエスの言行記である福音書にはイエスも諸々の偶像や異教を目にしている筈なのに、是ら異教の禁教の言葉がないのが私には不思議です。

 「霊というものによって人は神様に祈る能力を授けられている。その霊は何処ででも神様の本当の姿を見せてくれる。神様はこの世の事物と違って強い霊であられるから、祈ろうとすれば霊によって新たに生れ変わらざるを得ないようになる」ヨハネ4〜23ー’82ドイツ聖書協会版ーぎこちない拙訳で恐縮ですが、人は自分で祈るのではなく霊というものによって祈らされている。神様の方から求めている。「何処ででも」は寺(教会)や僧侶(牧師)によらず在家のままで何時でも何処ででも南無阿弥陀仏(アーメン)と念仏(祈り)さえすれば、仏(神)の方から、その人は平生業成をさせられる(新たに生れ変わらざるを得ない)ようになっている。言い廻しは稚拙で不適切かも知れませんが、何れも他力本願のようであります。「叩けよさらば開かれん」というキリストの言葉は一歩進めば「開かれつるに叩くとは」と、信に至るのに行の上での人間の意志や働きをできるだけ軽くして、往生(救済)のでき易いようにしてあるのが仏や神の御意思なのだと言わんとしている様で「求めよさらば与えられん」と恰も人間への厳しい努力や信仰心の要請はしばらく措き、ひたすらにただ念仏し祈ればよいと言っている様に聴えるのですが。そうとすれば、二つの宗教は肝心の所で重なり合うようにも思いますが。

 異教を認めない一神教の偏執的頑さはヘレニズム文化の力を加えられて森羅万象は神の光芒の下に全貌を余すところなく曝し出されます。中天に懸る蟹気楼の様に模糊として幽邃にして高雅脱俗な仏教美術とは界を異にしているようです。

 四日前に死んで死臭を発する屍体を墓の中から甦らせるという聖書の「ラザロの復活」は事件のドキュメンタリー風の趣があってショッキングであります。山村に埋もれた昔物語を掘り起したくすんだ伝承風のものではなく、よく見かける墓地の一角に起きた出来事を報道する記事のようであります。「復活」はイエス自身の死後の課題ですが、神の子イエスでなくとも、信ずる者は誰でも「永遠の生命」を得ることができるという信仰の主題を、存命中のイエスが実験して見せたのが「ラザロの復活」であると思います。墓の中の屍体が生体へと生き返るのをこれからイエスが実演して見せようとする。そんな奇蹟など起きよう筈がないと、環視する肉親や遠近から集まって来た人々は、イエスの祈りと共に、唐突徐に甦り始めた死人のラザロの姿態を自分達の肉眼で見た時、驚天動地、眼玉までひっくり返る思いにさせられました。

 鈍い私は、数回読んでもピンと来ませんでしたが、或る時「罪と罰」の中で「ラザロの復活」を読み上げる娼婦ソーニアによってその魂が救われるラスコリニコフと共に、私自身もこの荒唐無稽の物語が成立つものであることを教えられました。哲学的確信に基づき金貸婆を殺したラスコリニコフは世の冷笑と侮辱の下に生きていた売春婦ソーニアによって良心の深刻な呵責と苦悩、人類からの断絶感、絶対の孤独から救われる最初の切っ掛けが与えられた。ラスコリニコフとソーニアの複雑深刻な心理的応酬に微妙に絡んでくる「ラザロの復活」の途切れ勝ちなソーニアの朗読の進行と共に、殺人者がことここに至っても何故目覚めないのかと、イエスによる復活を待つ死者ラザロに自分を擬する狂信者ソーニア地上で最も卑しい職業に身を落しこの世から死人以下に冷たく遇せられる自分すらこうして生を受けているのだから、あなたも罪に目覚めて再生しなさいと説得し、人生の最も重い苦悩を共に分ち合って行こうとするソーニアに深い共感を覚え、その心中に深く立ち入らされて了いました。聖書ではキリストに対する悪役でしかない悪霊を主人公とした「悪霊」、並みの人々の交際場裏に登場するキリストである「白痴」、多くの強烈な個性が活躍する「カラマゾフ」と蠢(うごめ)く雑多な、救う者、救われる者、見捨てる者、見捨てられる者、等々に光を照らし重みを与えて描き出し得たドストエフスキーにして、始めて「死人の復活」は最も説得力を持ち得たのではないでしょうか。

 レンブラントは、この光景を視覚的リアリスティックに描きました。「甦れラザロ」と墓の際で直立して手を空に伸ばして神に全霊を打ち込んで祈るイエスの顔の内なる深い動きは、丁度釣師が糸にかからんとする魚を追うが如くに、再生の幽かな始動をうかがわせる墓の中のラザロの顔に照準をピタリと合わせている。崩れ落ちて力を失っていた屍体は、他界からの目覚めに眼瞼の奥の瞳には光に耐えられない戸惑いが見える。復活の実演を態々見ようと遠近から集まった人々に囲まれて立つイエスの面相は、三世に隈なく遍照する様な繊細幽眇(ゆうびょう)な容色を帯び、人々の苦悩と悲しみを敏感に汲取り、心の奥に深く滲み入る柔らくもしめやかな優しさに溢れる風貌である。まこと三十三才の気魂を内に蔵しつつも、世のあらゆる辛酸をくぐって知情意の絡繰(からくり)を、脱骨吹っ切った老人の如き美しさというべく外に言いようもありません。