1組 島田 四郎 |
ひさしぶりに十二月クラブ卒業三十周年、四十周年記念文集を読みかえしてみると、「古碁書探訪」、「河山一局棋」と題する随筆を寄稿している。これをみると当時小生が囲碁の魅力にとりつかれでいたことが窺われる。この趣味は今でも続いている。ところが近頃これに刻字創作の趣味が加わった。 一年半ほど前に町田市の国際版画美術館を訪れたとき、偶然青鳥会刻字展が別室で開催されていたので立ち寄ってみた。会場には現代日本の刻字界を代表する先生方の賛助出品作品も展示されていた。これまでに隷書の条幅を習ったこともあるので、佳言・名句の小品はもとより、長文の漢詩を刻った多数字作品も興味深く見ることができた。在来の書作品がどちらかというと平面的で視覚一辺倒であるのに比べて、刻字作品は触覚的で凹凸を持った立体感があり、また金箔・銀箔・胡粉・岩絵具などの色彩も加わってより「手作り」の感じがあってなかなか魅力的だった。新しいものには何でも飛びつく悪い癖が頭をもたげ、ひとつこれを趣味としてやってみようと早速この同好会に入会を申し込んだ。 それ以来すっかり刻字の魅力にとりつかれて、約一年半に三十五、六点の作品を創った。創作の合間には刻字に関する本を蒐め、刻字の展覧会があれば遠路を厭わず都心まで足を伸ばし、会場で気に入った作品があれば穴のあくほど眺め、また後日の参考にと写真に撮るなど、われながら大した凝りようである。 このようにまだノミと槌を握ってから日も浅く経験も乏しいので、多少面映ゆい気もするが、刻字創作の魅力について書いてみよう。 刻字は古代から書道芸術の重要な表現手段であり、甲骨文・鐘鼎文字(金文)・秦蒙・漢蒙・魏碑・唐楷が数多く拓本・墓石に刻まれて伝えられた。 創作のヒントを得るために、折にふれて中国の拓本を拾い読みしているが、その中で気に入ったのは、股墟ト辞「出虹」の甲骨文である。紀元前十四、三世紀の股の時代の甲骨文字は漢字の初期の姿を示しているので興味深い。西暦前十一世紀の殷周革命を経て西周の青銅文化は一層発展した。その所産である鐘・鼎・彝(い)に鋳込まれた金文では、書体の面からこき・宗周鐘が好ましい。特にこきの文字は西周後期宮廷体といわれる典雅なものである。北魏碑では龍門の始平公造像記がある。中国の碑文は大多数が凹刻で彫られているのに反して、これは珍しく凸刻で彫られており、刀意を強調した豪快、雄渾な楷書が好ましい。日本の刻字では、唐招大寺の扁額、東大寺大仏殿の前庭にある青銅の灯籠の台坐の柱に鋳込まれた銘文が刻字作品として眺めても魅力がある。 書というのは考えればあっさりした芸術である。特に字数の少ない場合には一瞬に成否が決定される。刻字はそこからが勝負で、ノミと槌による格闘が始まる。書が相撲だとすれば、刻字はレスリングである。相撲では厳しい鍛錬を積んだ力士が本場所の土俵で火花を散らして激突し、勝負は一瞬のうちに決まる。ノミと槌による刻字は書かれた文字に凹凸を与えるとともに、筆画に刀意を加えようとし、また文字と余白の木地の色彩の調和に神経を使う。したがって完成したときの喜びは、書とはひと味違って、苦心した長さに比例するのが面白い。 これまでの体験から刻字創作には次のような楽しみがある。 一、撰文する楽しみ 絵を描くと同じように刻字作品を創るには、まずモチーフを決めなければならない。発想の根底には物に対する深い感動があり、その動機は様々である。感動的な言葉に接したとき、あるいは優れた古典に出会ったとき、他の美術品に感動したとき、刻字作品もこうしたことによって創られるのである。作品づくりは刻字の場合、素材となる文字を撰ぶところから始まる。文字は漢詩名句、佳言、吉祥語句、禅語、あるいは近代詩文書から撰ぶ。気に入った文字を探すために古典を読み、また拓本・法帖を眺める。あるいは書道展、刻字展、絵画展を訪れ、作品を鑑賞して何かヒントを得るように努める。こういった間接的な努力を続けることによって知識が深められ、教養の幅がひろがる楽しみがある。また夜ベツドに入って眠りにつく前のひととき、撰文した作品候補をどんな工合にまとめ、仕上げるかを考えるのが大変楽しい。ちょうどゴルフにでかける前夜ベッドのなかで、あのホールはドライバーであそこまで飛ばし、第二打は四番アイアンで打つ。うまく行けばツウ・オン、悪くてもエプロンまで行くだろう。そして手堅くピンそばまで転がしてパーだとか、空想にふけるゴルファーの楽しみによく似ている。結果は概ね予想に反するのだが……。 二、刻る楽しみ 撰文が決まり気に入った書稿ができあがると、いよいよ刻りにとりかかる。昔の小学校の机に名前が彫られていたり、あるいは古代の洞窟に動物の画が彫られているのを見ると、どうも刻るという行為は人間の本能に根ざすものであるらしい。実際に作品づくりをしてゆくと木槌でトントンときざみ込んでいく感動がいかに興趣の高いものかが体を通して伝わってくる。こんなとき食事の時間ですよといわれても、すぐにノミを手離せないほどである。 このような楽しみを表現した漢詩句に次のようなのがある。いつか楹聯(えいれん)に仕上げたいと思っている。 看鼎書古字 拾薪煮秋栗 (飽溶) 最後に、贈って喜ばれる刻字作品を創ることが今の願いである。それにはまた秋篠寺に詣り、技芸天にお願いするほかはない。
|