1組  塩見 英次

 

 卒業後、早くも五〇年の歳月が流れて終った。その間を顧みると、種々のことがあった。戦争、戦災、兄の戦死、食糧難、住宅難、転職、両親の死、退職、妻の死、等々のことが走馬灯のように思い出される。

 長かった五〇年であるが、極めて短かったようで、ほんの一炊の夢のようでもある。
 今でも、太平洋戦争突入直後の或る朝のことが思い出される。何処の街であったか思い出せないが、歳末売り出しの飾り付けのある商店街を歩いて居たときのこと、その飾り付けが寒風に揺れて居り、商店のスピーカーから勇ましく軍艦マーチが流れてゐるが、妙に寒々とした人通りの少い街並の様子が忘れられない。

 そして『我々はとても三〇才までは生きられそうにもないな』と考えながら歩いて居たことを思い出す。

 あれから五〇年経過し、三〇才どころか七〇才を過ぎる今日まで生き永らえて終った。あと何年生き得るのか判らないが、之までの五〇年間のことを併せ考えると、恐らくはほんの一瞬の余生であろう。この僅かに残された余生を、如何に有意義に過すかを考えるべきであるが、仲々良策が思い付かない。幸いにも、どうやらこうやら独りで暮すことが出来る程度の健康状態、体調を辛うじて維持してゐるが、これとても何時まで保ち得るか判らない。兎小屋の居宅も、独り暮しのため豚小屋に変貌しつつあり、その中で生来の無趣味、無精のためなすこともなくぼんやりと暮して居り、ひたすら予てより用意してある老人ホーム入りか、或いは突然の死を待つばかり、と云う毎日の暮し振りである。寡男暮しは真に味気ない生活で、シャツのボタンが取れたときなど本当に情なくなる。

 昨夏、千葉県の佐倉所在の老人ホームに出掛けて行き、ベッド、戸棚、椅子等、必要最小限の家具をやっとの思いで部屋に持ち込み、表札を掛けて来たが、帰途、管理室の顔見知りの女性が「いよいよ入居しますか」と云うので、「とんでもない、こんなところで死に度くはない、未だ当分は駒場で頑張るつもりだ」と応えたら、他人ごとと考えてゐる為かけらけらと笑ってゐた。

 世の中とは没交渉の生活で、一日中一語も、誰とも口をきかぬ日も少なくない。これが文字通り、無為徒食と称する暮し振りであろう。

 早く死に度いとは思わないが、特に長生きし度いとも思わない。暇潰しに読んでゐる仏教書によると、お釈迦様は、人間には生老病死の四苦がある、と説いて居られる由であるが、生は別として、老と病はたしかに苦であるが『死』は果して苦であろうか。中村元博士によると『苦』とは『思い通りにならぬこと』の意であると云う。何が何でも長生きし度い、とも思わないので、『死』を特に苦とは考えて居らず、『なるようにしかならぬ』という諦めのような心境であると某仏教研究家に話したところ、それは一種の『さとり』の境地であると『オチョク』られた。将来、勿論『死に度くない、もっと長生きし度い』とガタガタ騒ぎ立てるような事態は起らぬ、とは断言出来ない。

 先年他界した家内は、生前、私のことを粗大ゴミと称して居たが、今や粗大荷物に変って終ったように思ってゐる。「ゴミと荷物とはどう違うのか」との友人の問いに、「ゴミは家内が当然の義務として捨てて終えば終りであるが、荷物は捨てる訳には行かず(捨てられては困る)どこまでも、誰かに、他人に、背負って貰って行かねばならない、と云う違いがある。之は好意乃至善意に依るものであり、義務ではない」と返答したら、成る程とその友人は感心してゐた。

 先般、島田君より『無為』と蒙刻した額を頂戴したので棚の上に飾り、毎日眺めて居る。無為徒食の意味かと思ったら、島田君によれば、老子の語の由である。早速大辞典を引いたところ、道教のみならず、仏教にも無為と云う語があるようだ。何れもその意味するところは深遠なものがあり、仲々私には理解出来ず、むつかしい。然し乍ら、目下の私の暮し振りは『無為徒食』の『無為』と解して置く方が適して居るようで、島田君に戒められてゐるように思って居る。

 春のお彼岸が又近付いて来た。祖父母、両親、兄、家内が眠ってゐる小平霊園に、又墓参に行かねばならないな、と考えてゐる昨今である。何分、私が墓参に行かねば誰も行く者が居ない。墓参は、無為生たる私にとって最適の仕事であり、且つ最高の義務でもある、と考えてゐる。

 趣味はなく妻なく子なく金もなし余生を無為に終りたくなし
        無為生