一、極めて最近のこと
四月五日甥の敬君がやって来て、彼の父即ち私の長兄正一が、日本医大の附属病院で検診を受けたところ、肺癌との診断で、最長一年とは持たぬだろうと医師がいっているので病室が空き次第入院させる予定であると告げた。兄は八十二才、ここ一年位で体重が十キロ痩せたと言っていたが、極めて元気で毎日酒煙草もむしろ薬効ありとしてたしなんでいた。入院前に会いに行ったが、寝ているわけでもなく、左胸上に時々鈍痛がある程度で本人は病気の意識が全くないので、小生も医師の診断が本当だろうかと疑いたくなる位であった。一週間程前に入院したとの報らせがあったので、明みどりの日(二十九日)に見舞いに行くつもりである。癌との報告を受けて一大ショックを受けたのは小生であって、その日からあれほど吸っていた煙草をやめてしまった。兄が肺癌とすればそれは煙草のせいだと直感したからである。酒も煙草も好きな丈夫な兄がいたので、小生もたかをくくっていたのである。あれだけ好きだった煙草を約一ヶ月も禁煙していることになるので、やはりまだ少しは生きたいと思っているのが本音のようだ。
二、昨年のこと
昨年(平成二年、一九九〇年)七月二日、帯状庖疹が右腹から右腰に発症し、生れて初めて入院した。折しも昨年秋の十二月クラブ通信には、二人の級友の帯状庖疹の記事があり、びっくりしたと同時に最近はやっているのかなあと思いたくなった位だ。別に伝染病ではなく、体の疲労したとき、骨ずいにひそんでいた水庖瘡の菌が神経に伝って皮膚を犯す病気だそうだが、変な病気である。かさぶたが取れた後には銭形の跡が残っており、もうかれこれ一年近くになるのに、時にはひどく痒く、時には小針の先で皮膚を軽く突くような痛みが走ることもある。完全に後遺症がなくなるには相当の年数がかかるようである。
三、ちかごろの夜
最近午前三時頃小用に目覚めると、そのあと朝の六時頃まで眠りにつけず、頭の中で数学の問題を考える癖になって困っている。夜が明けてから九時頃まで眠るので、睡眠不足にはなっていない。なぜ数学などにこり出したかと言うと、中学校の入学試験に出た算数の問題一〇〇題を集めた本で、これが出来れば天才と名付けた講談社の小冊子のせいである。百問全部は解けなかった。今までは算数の問題は代数幾何で皆な解けると思っていたが、そうではないことを知った。算数には算数の考え方があるのである。お陰で代数幾何の復習をすることになり、加えて予科の頃習ってその後全く忘れていた微分積分まで勉強してしまった。仕事にも生活にも何の役にも立たないので、今日は止めよう明日は止めようと思い乍ら毎晩少しずつ勉強して一ヶ月以上になってしまった。あまり夜中に深い睡眠を取らないことはよくないので、勉強するなら昼間暇を作ってチャンとした書物によって本格的に学習すべきで、夜寝ながらの暗算では深入りできるわけがないので、悪い癖にとりつかれたと悩んでいる。これも老人病の一種なのかも知れない。
四、私の考え
何年か前に般若心経を読んで直感したことは、般若心経にいう空とは人と人との関係、人と物との関係、特に自分と他との関係、相関、縁を指すのではないかということである。私というものは何百億かの細胞から出来ており、私の精神活動即ち魂は細胞の有機的な作用によって生ずる。私の細胞が消滅-死ぬと、精神活動も消滅する。だから死後に私というものは物質として宇宙に散って行くだけであり、精神や魂や霊というようなものは残らず、また天国、極楽、地獄へも行かず、またそういう所はない。只死後残るのは私が存在したという事実と、その事実と他者との関係-因縁だけである。この因縁-関係は不増不減不生不滅である。因縁に力ありとすれば生者の発するエネルギーの作用であって、死者の側からは力を出すことは出来ない。神仏に加護を祈るのは、神仏-偶像でよいーと私との縁-関係を深めることの祈りであって私の側からだけ発しているのであるが、私が生きている間は神仏からのエネルギーとして神仏の力を感ずることができる。力学的には自分の発するエネルギーの反動なのである。自分の力の反動を神仏の力と感ずることが出来る間は一生懸命祈らざるを得ないのである。
五、私の自慢
私が公認会計士になって興味を覚えたのは、非営利法人の会計組織である。浅草寺の会計顧問にさせていただいたのが切っ掛である。その頃は非営利法人-宗教法人会計について興味のある会計士は少く、あまり詳しい人はいなかった。それで、二、三度論文を発表し、単行本ー業種別会計実務-宗教法人(第一法規出版滑ァーも出した。私は昭和三十年頃から、宗教法人の財務書類は三表主義でなければならないと主張した。営利法人の財務書類は二表主義(貸借対照表と損益計算書)でよいが、非営利法人-宗教法人-の財務諸表は、現金主義による収支計算書、この収支計算を発生主義会計に修正する剰余金計算書、この剰余金計算書より導き出される貸借対照表の三表が必要であると考えた。昭和四十六年に日本公認会計士協会が発表した宗教法人会計基準(案)は、日本公認会計士協会東京会の委員会が、委員である私の意見を入れて作ったものである。
私の自慢は、現在諸官署が採用している昭和六十年公益法人指導監督連絡会が作成した公益法人会計基準では、収支計算書、正味財産増減計算書、貸借対照表の三表主義が採用されていることである。その内容は私が若い時から主張して来たものと全く同一であり、我が意を得たものである。公益法人会計基準がここまでに達するまでには紆余曲折があり、私は何回も切歯扼腕したものである。
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