4組  篠崎 達夫

 

  (1) いく度も参る

 @ 「いく度も参る心は初瀬寺……」と遠く御詠歌に歌われた名刹、長谷寺は西国巡礼第八番の霊場である。門前町の坂道を上ってゆくと三方を初瀬山に囲まれた中腹に単層入母屋造りの屋根を構えた舞台造り本堂が見え隠れする。仁王門をくぐり八方行灯のさがる長い廻廊をゆるやかに上って本堂に達し、仰ぎ見た十一面観音像の八米もの偉大さに驚嘆しながら思わず目を見張り頭を垂れた。同時に社務所で何気なく手に取った一冊の巡礼案内記を開いてみて、三十三ヶ所の観音霊場が立派にまとめられていることを発見し、その大観音が眼の前に堂女として立って居られるのに胸を打たれた。これは今から二十数年前であるが大阪支店に転勤された親戚のKさんと共に、奈良正倉院から依水園に遊び、長谷寺迄足を延ばし満開のポタンを賞賛した時であった。この観音像に魅せられたこの時、出来ればこれからこの三十三ヶ所を暇を見て全部廻って見たい思いにかられた。

 当時は西宮の香炉園の独身寮で三、四年の間来る日も来る日も一人さびしくその日暮しをしていた時代で、休日ともなれば全寮皆無人となる位、関西の名所・寺社巡りに気をいやしていた頃であった。

 白浜寮に泊り第一番札所の青岸渡寺は熊野三山の一つで仁徳帝以来の古寺である。石段を上り乍ら流れるご詠歌を耳にしつつ、これから小生の巡礼が始まってゆく。帰りに那智滝も見学、帰途は安珍・清姫の道成寺にも立ち寄り更に二三〇段もの階段を上り紀三井寺にも参る。

 十一番上醍醐寺は枝垂れ桜の美しさに見とれながら、秀吉が花見を楽しんだ時の醍醐味の清水に喉をうるおしてお参りする。石山寺から歩き初めるとやはり巡拝の人が、岩間寺迄の遠い道のりから更に三井寺迄車で案内してくれた。観音のお蔭であろうか。十六番の清水寺の舞台から眺める京都の景色は格別である。帰りは焼き物の先生方を訪ねて疲れをいやす。天の橋立からゆく成相寺で股下から眺める逆さの景色は格別である。謡曲で名高い琵琶湖の竹生島の美しさも又格別。最後の満願霊場は岐阜の谷汲山である。石灯と大旗が並ぶ参道から入り、三十三ヶ所の巡拝の結願のお参りをする。

 A 寂しき単身赴任の大阪時代に公私の交際が広がり何時の間にか三菱各社の人々と昵懇になりつつ誘われたのが、三菱考友会である。三菱系の銀行、信託、生命、商事、金属の各社の人々が相参じて昭和二十八年頃から始められ、関西の神社・仏閣を年に数回ずつ見学して歩く散歩会である。小生も法隆寺から当麻寺、長谷寺、秋篠寺の各所に参加し交流を深めて行った。その後主流が東京に移り、同会の主体が三十名程度で東京近辺で毎年熱心に続けられている。

 東京での最近は旧東海の大川潔氏(専門家肌で造詣が深い)を講師として新しく順序を立てて拝観を続けている。飛鳥、白鳳時代の仏像形式から平安時代へと移り、最近は鎌倉時代の仏像体容に迄なり、先日は鎌倉の奈良時代様式の杉本寺の仏像を拝観した。来る七月には鎌倉時代様式の韮山の願成就院の重文の如来像を拝観の予定にしている。老いの息抜きに時には良い散歩と続けている。

 (2) いつ迄も百を切りたい

 歩くのが身体に好いと思いつつ、また時には青空の下で旨く振れた時には気分爽快でその味が頭にこびりついて、出来るだけ毎週と迄はゆかぬにしてもゴルフ場に行ってみることにしている。年を取るにつれて毎年二〜三位ずつ実力が落ちてゆくような気がする。ボギーべースでいって今日は調子がよいぞと思うと最終ホールでOBやチョロにつまづいて十近く叩くようになってしまひ、ハーフで五十を切るのもむずかしくなってしまう。身体が堅くなってきているのか、とにかくむずかしい。いつまでも百を切って廻りたい。

 以上思い出すまま取止めもなく近況を書いて見た。幸いに健康状態は良いのでチャンスさえあれば参加しますから声をかけて下さい。