6組  杉浦 正直

 

 「迷い込む」とはこのことだろうか。スペイン語を話すことも書くこともできない者がスペイン語しか通じない町、アンダルシアはセビーリァに飛び込んだのである。それは字も読めない書けない「つんぼ」が知らない村に迷い込んだのに等しい。

 時は今から十年前の昭和五十六年九月にパック旅行でスペイン観光をした或る日、一行はマドリードから日帰りでトレド観光に行ったが、私は一行と別行動をして単身セビーリァ観光を企てた。朝早くホテルを出てマドリードのバラハス空港から小さな飛行機に乗り込む。隣席のスペイン人のサラリーマンらしき男に『アブライングレス?』「英語を話せるかい」と訊ねたが答えは一言『ノー』。取りつくしまもない。窓外を眺めると真黒な雲が漂っている。今日一日の旅の不吉を予告しているようにも思える。四十分程でセビーリァ空港に到着。乗客は仕事できた人達ばかりで皆そそくさとマイカーに乗りにゆく。市内行きのバスかタクシーがないかと空港ビルから見渡したが一台も見当らない。只空港の外れに一台のバスが止っている。近づくと行先標示もなく運転手をはじめ誰も乗っていない。きっと専用バスかも知れない。どうせ市内へ行くのだろう、えい、ままよとそのバスに乗り込む。待つこと二〇分位で数人の客がどやどやと乗ってくる。多分次の便の飛行機から降りてきた客だろう。やがて運転手が来て発車。別に乗車券を売る様子もない。二〇分もして市内が見えてくる。バスは途中何回か止りやがて住宅地の横丁らしき所に止る。そこで乗客は皆降りてしまう。自分だけ座っていると運転手がときどき振り向いてニヤッと笑う。おかしいなと思って運転席にゆくと「下りろ」と合図する。やっと終点だということが分った。帰りのことが心配になって予め買っておいたセビーリァ発最終便の航空券を示し手まねで何時にバスが空港へ出発するのか確めたところ私の腕時計の8の字を指さし8時に此処で待てという。これでともかく帰途の手はずだけついたわけだが、何しろ一人旅は不安がいっぱいである。

 バスの終点の待合室がバールになっていて、そこで朝食をとることにする。パンとミルクコーヒーを注文したが、このコーヒーの作り方はグラスに四分の一ぐらい原液を入れ残り四分の三は牛乳をガバッと入れて掻き回すのである。結構苦いので砂糖を沢山入れて飲む。

 さあ、これから一日をどうして過ごそうか。何の準備も計画もなしに乗り込んだ町である。常識的に閃いたのが観光バスに乗れば大体の要所は見物できるということである。そこでポケットにひそめてきた交通公社発行の「六カ国語会話」を引っ張り出して店のマスターに『ドンデエスタエルアウトブスデトゥーリスモ?』「何処に観光バスがあるか」とたどたどしく訊ねるが質問するのがせいいっぱいで何と答えられているのかさっぱり分らない。隣席の客が地図を書いてくれるがこれも要領を得ない。しまった!空港で市内地図を買っておくのだったと思っても後の祭り。マスターがたまり兼ねて私の腕を掴み店の外に連れ出して、あっちを曲ってこっちへ行ってと指で示す。よく分らないが兎に角教えられた通り歩きだす。再びバスの終点に戻れないと帰れないので足跡を地図にし乍ら進んでゆく。観光バスらしいものは見当らない。とある銀行の店舗を見つける。銀行員なら英語ぐらい話せるだろうと思い守衛に聞いてみる。為替係一人だけ話す人がいるということである。そこで為替係の窓口へ行ったが、客の長蛇の列の最後尾に並ぶことにした。やっと私の番がきたので『ホェアイズザシーサイティングバス?』と尋ねたがスペイン訛りの聞きとれない発音の答えが返ってきてこれもさっぱり駄目!銀行を出る。歩いてゆくうちに郵便局があり、そこから出て来た三人の女学生にまた尋ねた。すると親切にも一緒に連れていってくれると云うのである。ついてゆくと或る街角で「あそこだ」と指さして三人は帰ってしまった。示された方向には観光バスは止っていない。唯ビルが並んでいるだけである。あとで思い付いたのだが観光バスが路上で乗客を募集している筈がない。これは日本でも同じである。女学生達が示したのも、バールのマスターが教えたのも観光案内所のビルだったのだ。案内所で切符を買ってバスのターミナルから乗るのは世界共通の常識だったのだ。そんな簡単なことがその時は不安が先走り気が顛倒していて分からなかったのだ。

 ふと自分の脇を観光馬車が楓爽と走り過ぎて行った。そうだ。観光バスが駄目なら観光馬車があるさ!
 気を取り直して馬車を探すことにする。近くで交通整理をしている巡査に『ドンデエスタカーロ?』「馬車はどこか」と尋ねたが通じない。そこで手まねで乗馬姿勢の手綱さばきの恰好をすると直ぐ分かって駐車場を教えてくれた。あとで分かったのだが力ーロとは単に「車」のことで馬車は『力ーロデカバージョ』でなければならなかった。馬車の溜りは直ぐ見付かった。最後尾の馬車に市内一周を交渉すると一時間半で三千ペセタ(一ペセタは一・五円)だという。これもあとで聞いたのだが馭者は人を見て値段を決めるそうだ。学生なら千ペセタでOKだと云う。

 馬車はとっとと走る。すごいスピードだ。ガタガタ揺れるしとても写真なんか撮っていられない。馭者は写真に良い所に来たら止めるからそれまで待てという。公園の中や古い建物の前を通る。何やら説明してくれるがさっぱり解らない。そのうち馭者が突然振り向いて「カルメン、カルメン!」と叫ぶ。見ると学校のような茶色の古ぼけた建物がある。これがオペラ「カルメン」に出てくるカルメンが女工をしていた煙草工場だったのだ。今はセビーリァ大学の校舎になっている。思わずカルメンの歌を口ずさみ懐かしい思いをした。やがて雨が降りだす。この辺は夏は殆ど雨が降らず突然の雨で道ゆく人々も傘をさしていない。馭者が傘を取りだして自分だけさしている。お客はズブ濡れなのに一向にお構いなし。サービス精神なんて丸っきりない。市内を一周して元の場所に戻ってきた。雨は止まない。馭者に傘を売っている店の場所を尋ねても「あっちだ」と方向を示すだけで要領を得ない。仕方なく当てもなしにぶらぶら商店街を歩き出す。何処にも傘を売っている店はない。そうこうする中に雨は止んだ。

 出発前から之だけは是非行って見たいと思っていたのがヒラルダの塔である。ヒラルダの塔に登る迄はセビーリァを見たと云えないと云われる程セビーリァのシンボルである。ところが何処にあるのか人にきく気にもなれず俯いて探し歩いていたが、不意に目の中に入ったのが『GIRALDA』と書かれた看板である。嬉しかった。これぞ探し求めていたヒラルダの塔なのである。塔を探すのに何で上を向いて探さなかったのだろう。我ながら気が滅入っていてうつむいていたことを恥じた。

 入場料を払って中に入る。塔を登るための階段は無く内縁りを螺旋状の坂がついている。かなりきつい坂だ。ふうふう息を切らせながら登るが、途中何回も休んで窓から外を眺めやっと屋上の展望台に着く。この塔の高さは約一〇〇メートルあり、ヒラルダとは風見という意味だそうだ。てっぺんに風見が付いている。展望台から見るセビーリァ市の全景は圧巻でまさに白一色の街並みがまぶしい程で、屋根も壁も真白なのは夏のきびしい暑さを屋内に籠らせない対策なのであろう。展望台の四隅には鐘が三十ほど吊るされている。ここで一応セビーリァ全部を見渡せたことに満足してベンチで休んでいると突然目に入ったのは一人の日本人らしき若い女性である。「やあ、こんにちは!あなた日本人ですか」と声を掛けるとにこにこしながら近付いてくる。早速名刺交換におよぶ。彼女はT嬢という名で目下マドリード大学の留学生で留守宅は兵庫県川西市で大阪外語大スペイン語科休学中とのことで「スペイン語ならまかしといて」と云っていた。また「セビーリァはこれから見物しようと思っているところなので、宜しければ御一緒しましょう」とも云ってくれた。地獄に仏とはこのことだろう。私にはT嬢が仏様に見えた。今まで頭の中が落ち込んでもやもやしていたのが急に晴ればれとして来た。もう大丈夫だ。善は急げだ。直ぐにここを降りて一緒に見物を始めることにした。先ずは隣にあるカテドラルに入る。T嬢はガイドブックを持っていて、それによりいろいろと説明してくれる。コロンブスの墓やキリスト教関係の陳列品が印象的であった。ここは早々に切り上げて有名なアルカサル(玉宮)に向う。ところが間一髪午前の入場は締め切られ四時まで待たなければならないことになってしまった。これはシエスタと称する長い昼休み時間のためで、スペイン観光では至るところでこのトラブルに出喰わす。仕方がないのでこの間に昼食を済ませることにする。T嬢が予め調べておいたレストランに行くことにする。途中彼女のペンションに立ち寄ると太っちょの女主人が愛想良く出迎えた。スペインの中年の人は太っている人が多いのは多分食事のせいだろう。実によく食べる。このペンションは一泊千ペセタだそうでトイレやバスは共用であるが、とにかく安いことが一番の値打ちとはいかにも学生らしい気質である。そう云えばT嬢はマドリードから鈍行列車で六時間もかけて来たそうだ。暇より金という学生と金より暇が大切な中年サラリーマンとの違いが感じられる。

 住宅街の路地に一軒ぽつんとあるレストランに着いた。内部は天井が二階までぶっ通しで中央に階段があるデラックスな店である。料理の注文は彼女に任せる。最初に出て来たのがガスパッチョと云う冷たいスープでトマトを主軸にいろいろな香辛料や野菜をすり込んだものであるが、この猛暑では何よりの御馳走である。これを飲んでやっと一息ついた。それから生きのよい海老や牛肉をとる。実に良い味でシェフの腕前に感心した。食事をとりながらの彼女の話で「スペインの男の学生はこちらが一寸甘い顔をすると直ぐ私の体にさわってくるんです。そんな時の撃退法があるんです。それは私には日本に許婚者がいるのと云うとすうっと手を引いてしまいます。不思議に効果があるんです」と云って笑った。イタリア人やスペイン人のようなヨーロッパ南国の男性の恋愛モーションが激しいことは有名であるが、彼女の体験談からもこのことは裏付けられた。

 レストランを出て待望のアルカサルにライオンの門をくぐって入る。内部はコロンブスをイサベル女王が迎えた部屋とかセラミックが嵌め込まれた階段や壁が美しかった。カトリック文化にイスラム教的なものが混合してかもし出す美しさであろうか。また城内の美しい庭園は印象に残った。このような名所・旧跡を見物する団体客には決まってガイドが説明している場面に接するがT嬢はその説明を私に通訳してくれたので只でガイドを雇ったようで大いに助かった。

 アルカサルを出る。外は正に猛暑で交差点の温度標示板がC四十三度を示している。汗がたらたら流れる。たまらなくなって街路樹の下に避難すると途端にひんやりした風を受けて汗が引っ込む。しかし、この暑さでは見物の続行は無理なので何処かで休もうと云うことになり、マリア・ルイサ公園に行くことにした。公園に入ると何の木であろうか大きく枝を張った大木があり、その下に椅子やテーブルを置いたカフェがあった。そこに腰掛けて飲んだコーラの美味しさ!今も忘れられない。引きつるような咽喉の乾きを癒してくれた。また木の枝越しのそよ風の楽しさ!正に極楽の境地であった。コーラを飲みながらT嬢の留学生活の話をきいた。七時を過ぎたが未だ大陽は燦々と輝いている。朝、バスの運転手に云われた時刻を思い出しタクシーを拾ってバスの終点に行く。T嬢は「ここまで来たらとことん最後まで付き合うわ」と云って同乗し、八時の出発まで別れを惜しんでくれた。

 セビーリァ空港から無事に最終便に乗りマドリードのホテルに着いた時には真実ほっとした。何と苦しみと楽しみの混在した一日であったことよ。