4組 鈴木 義彦 |
私は六十六才で現役を退いた。兵役期間を除き実質四十年の銀行員生活であった。永年勤めた東京銀行からメロン銀行(本店米国、ピッツバーグ市)に移り、東京支店の開設を手がけて十二年間メロンに勤務、アメリカ式近代経営の片隣に触れた。メロンとの雇傭契約が満了した時、色々考えた末再就職を求めず自分の欲する儘に生きようと決心した。これが第三の人生の始まりであり、爾来六年の才月が経過している。唯自分の好きなことをすると云う丈では社会に対する義務を果せず、申し訳も無いので幾らかでもボランティアとしてお役に立てたらと思い、軽い気持で杉の樹大学の学生募集に応募したところ、多数の応募者の中から入学を許された。 この大学は杉並区が区内在住の六十才以上の高齢者の為に設けたもので、毎年学生を募集し高井戸の老人福祉センターを教室として、呆け防止から保健衛生に至る老人必須の知識を始め、一般教養、情操教育を授け心身共に溌刺とした生活を可能ならしめるのが目的であり、尚願わくば地域社会に於て指導的役割を果して貰い度いとの狙いがある。 何回応募しても選に洩れて了う人の多い中で唯の一回で入学出来たのは全く幸運であった。第三期生、一九八六年五月のことである。選に洩れた人々のことを思い私は授業に精を出し皆出席で通した。翌年二月卒業の後何のためらいも無くOB会である杉の樹会に入会を申し込んだのであったが、企画委員として会の運営に携わる様になるとは当時考えもしなかっ.た。現在私の日常生活に於て杉の樹会活動の占めるウエイトは可成り大きい。約八十人の仲間と机を並べて聴講し、討論し、見学にレクリエイションに日々研鑚これ努めている。 杉の樹会の会員は杉の樹大学の卒業生に限られるが男女概ね半々、種々の経歴の人(例えば官吏、軍人、医師、弁護士、税理士、教師、労組役員、会社役員、小売業、看護婦等々)が居り、年齢的に人生経験も豊富なので、学校の同窓会や職場関係の集まりとはひと味違った雰囲気を持った会である。自らの意志に基づいて杉の樹会に入って来た人々だから、大半の人は会の行事には大変熱心で積極的な気概に溢れ、年寄りじみた退嬰的な傾向は感じられない。唯会員の平均年齢が高く、又新入の会員がいないので病気、死亡、転居等に依って年々会員数が減少して行くのは已むを得ないことであろう。 私はこれらの人々との交友を通じて異なった価値観、行動方式等を教えられ、又これ迄係わりの無かった領域の知識を修得することが出来て大変参考になっている。又これ迄行ったことも無かった都内の下町や近郊の名所旧跡等を見学する機会に恵まれ、更には秩父三十四ヶ所の札所巡りを結願する等愉しい思いをしている。 杉の樹会の行事について簡単に触れると、屋外行事には足を鍛えるウオーキング会と足の弱い人も参加出来る見学を主としたレクリエイション会の二つの会があり、夫々月一回宛屋外へ出かけるが、私はリーダーとして先導の役を務めている。屋内行事としての学習会は高井戸の老人福祉センターで月一回行われ、外部から講師を招聘して政治、経済、宗教、医療、文学その他時局問題等をテーマとして講演会、討論会や意見発表等を行い生涯学習の実を挙げている。 軽い考えから入会した杉の樹会が、私の第三の人生を実りあるものに盛り上げてくれているのを実感するこの頃である。経歴を異にする多くの人と交友出来ること(嘗て私は神戸のロータリークラブに入会していたことがあるが、杉の樹会にはロータリークラブの様に各界を代表する様な名士は一人も居らず市井一般のミドルクラスの人が多く、こういう人々と多くの交友関係を持つのは杉の樹会に入っていなければ難しいと思う)及び会の運営に参画して会員に奉仕出来ること等が精神的な喜びと生き甲斐を与えてくれるのである。 一昨年文集「すぎのき」を出した時、会員にアンケートを出して「私の好きな言葉」を集めたが、私は「努力即権威」と書いた。今回の当十二月クラブのアンケートにも「座右の銘」として同じ言葉を書き、「最も好きな言葉」として、芭蕉の句「やがて死ぬけしきは見えずせみの声」と世阿弥の「初心忘るべからず」とを書いて出した。人間何才になっても生涯学習、日々精進を怠ってはならない。最後の時を迎える迄一歩一歩努力を積み上げて行く姿勢こそ貴いものであり、私は人生の意義をこの点に見出しこの線を踏み外さぬ様留意している。 私の健康法としてはひと様に誇れる様なものは何もないが、前述のとおり杉の樹会に出て行くこと自体が喜びであり、精神衛生上のプラスとなってストレスの解消に役立っていると思う。現在健康上心がけているのは頭の体操としての囲碁であり、身体の鍛練としての水泳とウオーキングである。特にウオーキングは都合さえつけぱ毎日一万歩を目標に毎時五-六粁の速さで歩いている。既に杉並区内は歩き尽くした感があり、現在は隣接区、市に迄足を伸ばしている。片道バスを利用すれば行動半径は倍増する理である。街道を避ければ四季の移り替わりを存分に味わうことが出来て愉しい。因みに我が家から堀の内の妙法寺へは往復一万歩、石神井三宝寺池なら片道一万歩(約六粁)である。 今や東西の冷戦は終結し、地球規模の新秩序の形成が進展しつつあるかの如くであるが、パレスチナ、クルド難民など今後の成行きは予断を許さず、特に南北格差是正の大問題は未解決の儘残されており、経済大国と云われる我が国の対応が一段と厳しく問われることになると思われる。私は輸銀勤務やパキスタン産業信用投資会社(PICIC)勤務を通じて後進国開発問題に深い関心を抱く様になったが、この激変の世を健康に留意しつつ出来る丈け長生きして事態の推移を見極め度いと希っている。 現在私は持病の腰痛と降圧剤の厄介になってはいるが、それ以外は何処にも支障はなくまずまずの健康状態である。私自身の日頃の心がけにもよるがそれ以上に妻の心を籠めた食事コントロールに負うところ大であり、口には出さぬが内心深く感謝している。この老妻と折にふれ芝居やコンサートに出かけ、或いは小旅行を共にして生活にアクセントを持たせ見聞を広めているが、これも揃って健康でないと出来ないことである。今後共健康第一に感謝と奉仕の心を忘れず信ずるところを実践して行き度い。 |